今月25日の午後、私の携帯が鳴りました。見知らぬ番号なので少し躊躇しました
が取りましたら3大新聞の一社からで、「川崎敬三さんが亡くなったという情報があ
りますので、知っていたら教えてください。ご存知なかったらしかるべき人を教えて
下さい」という内容でした。私は知らなかったので、もと大映で詳しい人を紹介しま
したが、翌日また連絡があり、昨日の慌ただしい電話のお詫びを受けたので、「どう
して私の所に」と問うと、私が本を出しているので、出版社に電話して番号を調べた
とのことでした。
本人の希望で死亡を伏せたのだそうですが、後日の原節子さん同様で、ほとんどの
方が後日になって驚くことになったのです。私的には関係者を加えて素早く静かに
弔ってあげたかったという気がします。
彼のことは当ブログや、本にも書いているのでWると思いますがお許しください。大
映が最後に発行した(昭和45年度)社員名簿に彼の名前が見当たりませんが、直前
まで在社していたし、大映最盛期を支えた忘れられない俳優さんの一人です。昭和
29年(1954)に「こんな奥様見たことない」でデビューし、和製アンソニー・パーキンス
などと言われ、一寸ばかりユニークなキャラクターなので重宝されて山本富士子や
若尾文子・叶順子の相手役としても活躍していました。
約120本の大映作品に出演していますが、大映の末期には彼が活躍するような作
品は製作されず、映画と並行して出演していたテレビに活路を見つけていたので、
テレビの司会者としての彼のイメージのほうが強いかも知れません。
数年続いたテレビの司会も、番組内でのヤラセが発覚し番組打切りとなり、暫らく
してまた新番組の司会をやっていましたが、いつの間にかテレビからも姿が消えま
した。
私は彼とは個人的な付き合いはありませんが、撮影所ではよく顔を合わせたし、地
方のキャンペーンで何度か一緒に旅をした事もあります。
素顔の彼はとてもシャイで、何をやらしても器用にこなす青年というのが当時の私の
印象です。特に明るい感じではなく、これだけ主役に抜擢されたのに待遇が良くなか
った・・・などとボヤいていたのを記憶しています。
彼は昭和8年(1933)生れですから今年82歳代でした。自宅で悠々自適で過ごしてい
ると聞いていたのですがとても残念です。どうか安らかにお休みください。合掌
↑ 左から私、姿美千子、万里昌代、一人おいて藤巻潤、川崎敬三、田宮二郎