↑↓ どちらも「妻の日の愛のかたみに」ロケで私が撮った若尾ちゃんのスナップです。
「妻の日の愛のかたみに」は製作開始まで色々ありましたが、いよいよ福岡県
柳川市にロケ隊が到着、姿美千子扮する教え子が花嫁姿で川を下って行くシー
ンからロケが始まりました。
私は支社でやる仕事も沢山あって、九州各地の通常宣伝の手配を済ませ、ロケ
に参加したのは3日目からです。ロケ隊が到着するまでに私の手配はほとんど
済んでいたのであとは部下任せで楽でした。
ロケは順調に進み、途中で若尾ちゃんを連れて原作者のお家にお見舞いに行っ
たり、市長や観光課・観光協会が催してくれた歓迎会も楽々クリアし、ロケ地は
柳川から阿蘇山へ、そして別府市へと移って無事に終わりました。
私は先述のように支社での仕事を抱えているため、福岡と柳川を行ったり来たり
の連続。途中でロケでの出番が終わった藤村志保・姿美千子を福岡につれて帰
り帰京させたりしましたが、その時も彼女たちと食事に行ったり、果てはボーリン
グをしたのを思い出します。
いつも着物姿のお志保さんがボーリングをやるなんて、皆さんは想像できないで
しょうが、彼女は実に実に均整が取れていて、洋服のスタイルも抜群にいい人な
んですよ。
さて映画が完成。お世話になった柳川市で最初の試写会をやろうと、監督以下
俳優も全員揃って再び柳川に入りました。
もちろん原作者の池上さんもお招きしたのですが、「私はきっと泣くでしょう。
その姿は人に見られたくない。中島さんお願いだから私一人で見せて・・・」私は
気持ちよく了解しました。
池上さん欠席の試写会でも大好評で、柳川の皆さんに共感をいただけた仕上が
りで本当に良かったです。
心配していた元旦那さまもご覧になり、私も満足ですと涙ぐんでおられ、ホッとし
ました。
その時の花束贈呈で、若尾ちゃんに花束を渡したのが当時の古賀市長の中学
生の息子さんでしたが、いま成長したこの人こそ衆議院の古賀一成代議士です。
彼にお会いすると必ずこの話が出ますがこれもご縁でしょう。
次の朝は池上三重子さんひとりの試写会です。
6人の教え子が担架に乗せて映画館に来場。映画が終わってやっぱり彼女は
大きな声を上げて一時間ほど泣き続けました。とても良かった、もうなかないよ
有難うと言われて面目をほどこした私に、彼女が「中島さんもう一つお願い・・・
映画のように舟に乗りたい」ここ数年家から出なかった人の願いですから、私
は気持よくOK。お弁当を買い、教え子と私も川くだり舟に乗りました。
約一時間の川くだりが終わったら、彼女が「中島さん、もう一つ私の望みを叶
えて・・・」それは映画のラストシーンに使った"柳川市沖の端干拓の海の夕日"
を私にも見せて・・・でした。
一日中、赤ん坊のように喜ぶ彼女を見て、私もどんなに嬉しかったか。これこ
そ宣伝屋冥利と今でも思っています。
大映が沈没するまで、池上さんとの交流は続きました。
こういったことも宣伝部の仕事のほんの一部ですが、映画界におけるこのポジ
ションにも興味を持っていただけたら嬉しい限りです・・・。
(まだまだ続きます)
↓「妻の日の愛のかたみに」の原作者から何十枚のお便りをいただいた内の1枚。