私の大切な思い出です。
拙著「スタアのいた季節」のあとがきに、私をなんとか映画会社に入れたいと考えてくださった方々がおられますと記しました。
Mさんは彼が所属している東宝に入れたいと、撮影所を紹介してくれました。その際に激励してくださった山本嘉次郎監督からいただいた名刺、五所平之助監督の名刺と後日いただいた激励のハガキが今でも私の資料の中に残っています。当時の東宝は労働争議中で、新東宝に紹介され、山田達雄監督の使い走りをしましたが、いったん帰福した私に、早く卒業して帰ってこいと書いてくれた手紙も残っています。
さらにA新聞の須佐寛さんとは朝日新聞西部本社学芸課の方です。朝日新聞に入られる前は松竹で監督~製作者として活躍された方で、撮影所に同行もしてくれました。彼の初監督作品は「破られた手風琴」で、当時浅草で人気があった堺俊二を抜擢し主演をさせて堺俊二を広く世に知らしめました。その後製作者として異動しています。須佐氏のことを書いた資料はあまりありませんが、ここに掲載した彼の写真は初登場と思います。また須佐さんの奥様は今村昌平監督の妹さんです。
多くの方からお世話になりましたが、結局はどうしても入りたかった永田雅一率いる大映に入りました。そのあたりはまた機会があったら書かせていただきます。
映画「破られた手風琴」
(須佐 寛 さん)