永田社長の記者会見です。ドアの外に私もいます・・・
私も少しばかり製作現場にいましたので、「本番」という言葉には一種独特な響き
と意味を感じます。あの方面の「本番」ではありませんので念のため・・・。
永田社長の著書の中に「私の人生観」という項目があり、そこでこの「本番いきま
ぁす!!」に触れた部分があります。
その考え方に私も共感していますのでご紹介したいと思います。
=永田社長の著書から抜粋=
映画用語に「本番」という言葉がある。すなわち幾度もテストを重ねて、いよいよ
これが最後の出来上がりという意味である。ところが「本番いきまぁす!」と監督
がどなり、ジーッとカメラが廻って、さて出来上がった映画そのものは、まず映画
評論家と称するウルサ型に批判され、そのうえお客さんの達者な目でみられ、面白
くなければ一向に不入りつづきの御難となる次第は、他でもない、人生これでOK
これで完成というわけには参らぬというタトエなのである。
むろん人生は映画製作とはちがうのだから、その日その日が「本番」であり、真剣
勝負である。つねに正か邪か、善か悪か、の審判を受けなければならない。
かくて人間は数多くの審判を受け、これに及第して、地位名誉を獲得して、いわゆ
る出世していくのである。
そこで私流に言えば、地位・財産はさておき、人を試験する立場に立つとき、その
人は、ある「偉さ」を備えているということである。「やぁ、どうやら人を試験す
る立場になったよ・・・」(ホホゥ、あいつも大したもんだ・・・)なのである。それが、
たとえ脚線美コンクールの審査員であろうと、試験する立場になれば、いちだん高
いはお奉行さま、にちがいない。
何年か前にニューフェースの試験を受けた女の子が、今日ではスターダムにのし
上がり、新しいニューフェース試験の試験官で一役買っていれば、つまり「えらく
出世した」わけである。
しかし私は「どんなに偉くなっても、人間は一生試験されているのだ」ということ
を言いたいのである。
大臣にまで成り上がって「さぁ俺は位人臣をきわめたぞ」と思い込んだら大間違い、
民衆はちゃんと大臣の政策なリ業績なりを、更にきびしく見ているものだ。
人生の「本番」は、自分が知らないうちに、人の眼のカメラに写されていることが
多い・・・。<以上が談話>
このシリーズを書いて9回目になります。永田雅一氏と言えばすぐに連想される一
つが五社協定です。
五社協定は永田社長が首謀者だと言われ続けた事項であるからで、確かに永田社長
の考え方は一理あり、製作各社がより個性的で魅力ある作品を作りたい・・・技術者や
演技者を守り育てたい・・が狙いだったのでしょうが、私はこの協定のために去っ
て行った身近な人を知っていますし渦中にいました。
私としてはこれは結果的に負の遺産であったことを率直に認めたい事項なのです。
永田社長のことを書いても、是非知っていただきたかったいい面の永田社長イコール
大映を書いてきましたが、五社協定は逆の項目に属します。
大映の良さや面白さの次にはマイナス部分にも触れていくつもりなので、五社協定
はもう少し後回しにします。 (続く)
↑左から私・藤村志保・本郷・弓・酒井京都撮影所長 ↑左から私・上原・小原撮影監督・船越英ニ。
↑今井正監督と私 ↑永田秀雅副社長と私