「わがうるわしのカツライス」④故・林 万夫(もと大映本社宣伝課長) 遺稿
昭和44年7月17日。
私は京橋の大映本社へ出社してすぐ雷蔵さんの訃報に接し、マスコミ発表の段
取りを決め、その指揮をとった。
その戦争騒ぎの始まる前に、私は一本の長距離電話にかかっていた。雷蔵の死
を誰よりも悲しむはずの男が電話の向こうにいた。
彼はもう、永田社長からの連絡でそのことを知っていた。
「新聞や雑誌の連中が、あなたのコメントを欲しがると思いますが、なにか一言
…」「いや、ノーコメントだ。いまはなにもいう気になれない。雷ちゃんがもうこの
世にいないなんて、とても信じられない…」
その男、勝新太郎の声は、私がかって何度も電話で聞いた声とは別人のように
遠くくぐもっていた。驚くほど陰々と湿っていた。
生涯のよきライバルを失った男は泣くだろうか。勝新太郎ほどの豪放な男でも、
ライバルのために涙を流すのだろうか。
旅先の宿の一室で親友の死の意味を考えている男のために、私はそのまま受
話器を静かに置いた。
私の心の中のカツライス時代も、その電話の途切れるかすかな音と共に終わっ
た、と思った。(故・林万夫の遺稿連載おわり)
私事ですが、7月の頭から腹部の筋肉痛に見舞われ、身体を少しでも動かすと
激痛が走り、とても苦しい目にあいましたが、やっと痛みが和らぎ、身体の自由
を取り戻してきました。
今月は映画館にもあまり行けず、こんなに苦しい思いは久しぶりでしたが、これ
からは映画もバリバリ見ますし、海外旅行の準備も始めるつもりです。
身体が少したどたどしいのですが、どうかこれからも宜しくお付き合いくださいま
すようお願いいたします。 中島けん