↑最新本に載っていた南美川洋子主演「ある見習い看護婦の記録 赤い制服」のスチール
一昨日のこのブログでお知らせしましたが、大映後期に在社した南美川洋子さんから
突然のお便りがあり驚きましたし嬉しかったです。彼女は久しぶりに自分の芸名を検索
していてこのブログに出会ったようです。
(南美川 洋子)→ 懐かしさで胸がいっぱいです
久々に自分の芸名を検索してみました。以前、ウィキペディアで、写真が全くの別のか
たの写真になっていて、「古い思い出なので仕方ないのかな」と悲しく思っておりました。
私は、おかげさまで元気でおります。テニスを楽しんだり、車で都内や神奈川近辺を走
ってます。何かの機会にお目にかかれたら嬉しいです。
・・・とあり、彼女がお元気で幸せに過ごされていることがよく判ります。
大映に最後までいた人を私は戦友と呼んでいますが、南美川さんも最後まで在籍した
一人です。私は宣伝会議で毎月のように撮影所に行っていたし、南美川さん売出しの
プロジェクトの一員でもあったのですが、不思議にいつも行き違いで一時度も会ってい
なかった女優さんでした。
いま私の住む福岡市には紺野ユカちゃんがいて、時々食事をしたり宝塚歌劇を見に行
ったり、会っては大映の思い出話の花を咲かせていますが、彼女も同様に大映時代に
会っていない一人、でも同じ釜の飯を食った仲間として、気持ちがすぐに通じるのが不
思議なくらいです。
このブログでは、2014年の12月08日に南美川さんのことをアップしていますが、一部を
抜粋し改めてご紹介します。
→大映社員名簿の最終版に目を通すと、南美川洋子の名前があります。もし大映がそ
のまま存続していれば、この人は大映の主軸女優として大きく伸びた正統派だと私は思
っています。結局は大映が断末魔のような作品を連発し、もし大映が残ったとしても大映
にはいなかったかもしれませんが、大映後も映画界で活躍して欲しかった人なので、とて
も残念な思いがいつまでも残っています。
南美川洋子は某テレビ局へ見学に行き、プロデュサーにスカウトされたのがきっかけで
芸能界と縁が出来、昭和43年(1968)に大映と契約を結びました。
大映での作品は23本に終わっています。中でも「千羽鶴」を彼女の代表作としてやりたい
し、松方弘樹の「眠狂四郎卍斬り」にも出ていますが、後の作品は先述の大映末期的作品
で、清純派が似合う彼女だったのに、浮かばれなかったと思います。
昭和46年(1971)の大映倒産時に嫌気がさしたのか、この年に結婚して引退していますが、
数年後に何本かのテレビに出演したそうです。昭和25年(1950)生れですが、元気で幸せ
であって欲しいです。(以上抜粋)
私がこのブログの開設や本を出版してから、大映関係者からのお便りが多々ありました
が、残念なことにご家族のかたからで本人は亡くなっておられる方がほとんどでした。
それだけに元気な南美川さんに接してとても嬉しく思っています。担当重役、両撮影所
長、宣伝部長、本社支社の宣伝課長のなかで生き残っているのは私だけ、やり残してい
ることがあるので今はただ頑張るのみです。
南美川さんがお元気だという一報をフェイスブックにも入れましたら、次のようなコメント
が寄せられましたのでご紹介します。
☆二階堂 晃さん→
南美川さん、本当にお綺麗ですね!確かに渥美さん、関根さん、松坂さん、八並さん達と
大映を背負って立つくらいの方だったのですがすぐにお辞めになられたのが残念でした
が、お元気だそうでよかったですね。
☆Akihiro Sakuraiさん→
南美川洋子さん、大好きだった女優さんです。
☆Ken OKUAKIさん→
私も南美川さん大好きです!ハレンチ現代物も楽しいですが、最近では与太郎戦記の
清楚な美しさにすっかりw雷蔵さん出演予定だった千羽鶴にも出られてましたよね。お返
事書かれる際には、是非、遅れてきたファンが沢山いる事もお伝えいただけば…w
☆城谷 平さん→
きれいな人でした。ただなんか、荒波の中で、おとなしかったというか。もっと売れてもよ
かった女優さんだと思います。ほぼ同時期の関根景子さんは、美しいだけでなく強さがあ
ったのじゃないでしょうか。
☆小倉一郎さん→
いや、お懐かしや。南美川洋子さんは「高校生番長」第一作で御一緒しました。わたくしの
次女が南美川さんのお嬢さんと女子美で同じクラスでした。隔世の感ありです。