映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

映画 「カノジョは嘘を愛しすぎてる」

2013年12月31日 | 日記

   

     原作は「僕は妹に恋をする」(‘07)「僕の初恋をキミに捧ぐ」(‘09)と、映画化
     が続く青木琴美の人気コミックで、累計450万部を超えているそうです。

     23歳ながら天才サウンドクリエイターとして活躍する小笠原秋(佐藤健)は、
     かつて自分が所属していた人気バンド「CRUDE PLAY」に楽曲提供を続けな
     がらも、ビジネスライクになってしまった音楽の世界に嫌気がさしていました。
     そんなある日、秋は気まぐれで声をかけた女子高生・小枝理子(大原櫻子)と、
     自分の素性は隠したまま付き合いを始めます。理子は天性の歌声の持ち主
     で、その才能を見込んだ音楽プロデューサーからスカウトされてデビューする
     ことに・・・。

     佐藤健の相手役・小枝理子を演じるのは、オーディションで5000人の中から
     選ばれた新人・大原櫻子。劇中バンド「CRUDE PLAY」メンバーに三浦翔平、
     窪田正孝、水田航生、浅香航大、「MUSH&Co.」メンバーに吉沢亮、森永悠
     希と若手が多数出演、監督も若手の小泉徳宏です。

     我々の年配になると積極的に見る作品ではないのですが、若い人たちに好
     評ということと、新人・大原桜子に一寸興味があったので見て来ました。
     勿論、原作のコミックは見ていませんが、人の話によると原作と映画はかな
     り離れているそうです。

     映画のお話は音楽業界の舞台裏をえぐるどころかペラペラと薄いし、全般的
     に陳腐で面白さに欠けます。
     私的には新人・大原桜子に注目で、決して美人とは言えませんが、新鮮で
     溌剌としているところがいいと思います。特に走っているシーンなどが・・・。

     脚本も演出もキメが粗く、決着しないまま放置している挿話も気になりますし、
     エンドロールの後に、この物語の終結のシーンがありますが、ここまでやる
     必要はない場面です。
     せっかく若い人たちが大挙映画館に来ているのですから、ピチっと締まった
     若者映画を見せて後に繋ぐくらいの意気込みがあったらいいのになー・・・と
     思った次第です。


     このように最後までブツブツ言いながら、今年のこのブログはおしまいです。
     来年は気分転換してもう少し頑張りますので、どうか宜しくお願いいたします。
     皆様、どうか益々お元気で素敵な新年をお迎えになられますよう、心からお祈
     り申し上げます・。

       中島けん


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大映宣伝部・番外編 / 古い写真の思い出 ( 49 )

2013年12月30日 | 日記


       ↑ 前列左から、私、一人おいて松山社長、壺田副社長、本社岡本営業部長。
            
     ↑ 大映最後の社員名簿               ↑ 配給作品の発表  
     
      ↑ 本社からの出向者名簿の一部           ↑ 九州支社からの出向者名簿の一部

     大映は60年代の後半になると、山本富士子が去り、叶順子が去り、田宮二郎
     も大映を飛び出し、大映上映館では興行数字がみるみる内に下がり、肝心の
     勝新や雷蔵の作品もシリーズ物を連発し過ぎたため、思うような数字が取れな
     い状況に陥入っていました。
     そして1969年(昭和44年)には雷蔵が37歳の若さで急逝し、映画界全体が斜陽
     化する中、特に大映は経営が深刻化していたのです。


     そんな時期の1970年(昭和45年)に、他社に比べて直営館が少ないという大映
     と、同じ悩みを抱えていた日活と一緒になって新しい配給網を設立しようと、出
     来たのがダイニチ映配でした。
     社内的には大映が生き残って行くためには、このダイニチしかないという悲壮な
     考えが社内に充満していましたし、両社から誰がダイニチに出向するかで話題
     騒然でした。

     そして社長には大映専務の松山英夫、副社長に日活常務の坪壺田重三が決
     定、スタッフは両社の打合せにより出向メンバーが決まりましたが、当時の気
     持ちとしてはまるで特攻隊のような気分でした。

     まずダイニチを運営する顔ぶれと配給作品のラインアップを全国向けに発表し
     ましたが、とにかくスタートは派手にやろうという事で、九州支社では大映から
     藤村志保・長谷川待子、日活は山本陽子・梶芽衣子を出席させた館主招待パ
     ーティを開きました。

     そのような状態でスタートしたダイニチでしたが、製作予算縮小ばかりか俳優や
     スタッフの流失もあい次ぎ製作現場は荒廃の一途をたどり、1971年(昭和46年)
     8月にはダイニチから日活が離脱、11月には遂に大映倒産の日を迎えるのです。

  
    ↑ 設立記念パーティだ藤村志保と私    ↑ 同じくパーティで右から私、長谷川待子
     
         ↑ 日活からの参加は、山本陽子、梶芽衣子
        
    ↑ 大映・ダイニチ社員バッチ、今でも大事にしています。 ↑ 松山英夫氏のハガキ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

周・辺・雑・記 ~ (オランウータンとの面会、福岡市動物園)

2013年12月28日 | 日記

        
         ↑ ガラス越しなので少し見難いでしょうがお許しください。


     何日か前のことです、少しばかり暖かい日差しの日に近所の福岡市動物
     園へ行ってきました。
     福岡市動物園は自宅から歩いて5分くらいのところにあり、今回もそうです
     が訪問の目的はオランウータン(雄・雌)と同じ展示施設で暮らしているシロ
     テナガザルに面会のためです。

     テナガザルは雄のオランウータンを恐れてあまり近づきませんが、雌のユキ
     ちゃんは雄のオランウータンの面倒だけではなく、シロテナガザルの世話も
     よくするみたいで、シロテナガザルも雌にだけは甘える仕草をするそうです。

     この雌のオランウータンは寒い日に麻袋を二つに裂いて下敷きと上掛けに
     して眠るくらい知能が進んでいるそうで、さすがにヒト科のオランウータン。
     見物客が逆に観察されているのかも知れません。(笑)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画 「もらとりあむタマ子」

2013年12月27日 | 日記

   

     東京の大学を出たものの、甲府の実家に戻ってきて就職もせず、家業も手
     伝わず、ただひたすらに食っちゃ寝て、ゲームして、マンガを読む日々を送る
     23歳のタマ子(前田敦子)です。
     たまりかねて就職活動を促す父親(康すおん)に対し「そんな時が来たら動く!
     少なくとも今ではない!」と逆キレするタマ子でした。

     そんなタマ子がいつ一歩を踏み出そうとするのか・・・「もっぱら口だけ番長」
     のタマ子の1年間を描いた物語で、音楽チャンネル「MUSIC ON! TV(エムオ
     ン!)」の30秒のステーションIDとして、春夏秋冬を通して描かれてきたタマ
     子の日常を長編化したものです。
     主題歌を星野源、脚本を「リンダ リンダ リンダ」「マイ・バック・ページ」の向
     井康介が担当しています。

     「苦役列車」でもタッグを組んだ前田敦子と山下敦弘監督が、気持ちのいい
     仕事をしています。
     モラトリアムな女の子の話なんて・・・と見る前にタカをくくっていた私ですが
     拾い物の一本でした。

     山下監督としては6年ぶりのオリジナル作品だそうですが、小品ながら脚本
     ・演出・撮影・キャストが実に相乗効果をあげていて、楽しい一本に仕上げて
     います。
     この監督は役柄に合った俳優を見つけてくるのが上手いし、中々丁寧な演
     出で役者指導もいいですね。

     AKBの前田敦子は好きではありませんが、「苦役列車」に続く今作も彼女の
     埋もれていた持ち味を上手く引っぱり出しているし、父親役の康すおんもいい
     味を出しています。タマ子の走り使いをさせられる中学生役の伊東清矢もチョ
     イ役ですが無くてはならぬ役で印象的でした。
     ラストはもう一歩踏み込んでもいいかなと思わぬでもありませんが、山下監督
     の健闘を買って、それ以上言うつもりはありません。お薦めの一本です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トルコの旅 ⑥」 セルジューク・トルコの首都だった町 コンヤ

2013年12月26日 | 日記

 
               ↑ 「セリミエ・ジャーミイ」の外観と内部。
  

     2日間滞在したカッパドキアに別れを告げて、これから215k、約3時間か
     けて向かったのはコンヤです。
     途中でスタルハンに残っている隊商宿・キャラバンサライ跡を見学してコ
     ンヤに着きました。

     コンヤは11~13世紀に、セルジューク・トルコの首都が置かれていた町で、
     全盛期には政治・文化・芸術の中心地として繁栄しました。
     今でもその頃の遺跡やモザイク・レリーフなどが残っていて、美しいイスラ
     ム芸術を見学することが出来ます。

     前回ご紹介しましたが、コンヤには旋回舞踊のイスラム神秘主義教団「メプ
     ラーナ教」の総本山があり、今なお宗教色が色濃く残っています。
     宗教的な繋がりからでしょうか、コンヤと京都市は姉妹都市だそうで、バス
     の車窓からですが、大きな日本庭園が作られて市民の憩いの場になってい
     るのが見えました。

     コンヤでの最大の見学先は、16世紀にセリム2世の治世下に建てられた堂
     々たる威容のモスク「セリミエ・ジャーミイ」(世界遺産)で、メッカの方向を示
     す灰色大理石のミフラーブなど、内部には大理石がふんだんに使われ、大
     ドームはオスマン建築の最高傑作と賞賛されている建物です。
     このモスクには国の内外から信仰者が集まってくる感じで、しばらくはそんな
     人たちの表情を観察していました・・・。

        ↓ ここからの8枚は「セリミエ・ジャーミイ」にやって来た人たち。
  

  

  

  

  
           ↑ スタルハンに残っている隊商宿・キャラバンサライ跡
  
           ↑↓ サライは学生の町でもあります。行き交う若者たち(ここから6枚)
  

  

  
           ↑↓ コンヤで泊まった「アネモン・ホテル」
  

  
                  ↑ 車窓から見えた「日本庭園」
  
                               ↑ ジュース屋さんになった私。

     ↑ トルコのデザートはお気に入りでした。ハチミツをたらすパフォーマンス。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする