経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

幸福度は消費で量られる

2012年05月30日 | 経済(主なもの)
 今週のJMMのお題は「成長と幸福の関係」。成長だけが幸福でないと言うと、ポスト近代みたいな雰囲気がするのかもしれないが、現実から目を逸らすことになるだけではないだろうか。今日は、成長よりも、もっとストレートな「消費」という観点で切ってみる。

 1980年から近年までの民間消費の名目値をグラフにすると、おもしろいことが分かる。右肩上がりで増えてきたものが、1997年を境に水平になり、まったく伸びなくなっているのだ。つまり、豊かさが消費で表され、豊かであるほど幸福であるとするなら、日本の国民は、1997年のハシモトデフレ以降、不幸になったということである。

 こうしたグラフ線の屈曲は、通常、構造変化を示すと解釈されるから、学問的に強い関心を呼ぶのが通例だが、何しろ日本では、度外れた緊縮財政でさえ、経済に影響しないという思想が蔓延しているため、ここが転換点だとは思われないようだ。むしろ、大した変化の見られない「バブル崩壊の1991年」が重大な画期とされる。

 確かに、1992年以降、成長率は落ち、GDPは伸びなくなったのだが、中身を見ると、投資の減少と入れ替わるように消費が拡大し、バブル崩壊以降も、国民の幸福度は着実に増してきていた。当時の景気を支えた財政出動は、財政を傾けたと批判されるが、国民の幸福のお役には立っている。

 しかも、国の財政赤字こそ大きいものの、地方や社会保障基金を含めた政府部門全体でみれば、十分に健全な範囲であった。政府部門全体で見ても大きな赤字を出す深刻な状況となったのは、ハシモトデフレで「構造改革」をやってしまって以降の話になる。「財政再建」こそが財政を危機的にした元凶なのである。

 こうしてみると、近年、日本の国民が幸福感をあまり感じられず、経済的なもの以外に幸福を探さなければならなくなったことは、消費を量ることで明確に分かるし、幸福を失った原因が「構造改革」にあり、幸福を取り戻すには「構造改革」の失敗を認識することから始まることも分かるはずだ。

……… 
 ところで、このグラフだが、名目値であることがミソである。実質値であると、これほど明確な屈曲は表れない。すると、「1997年以降も、それなりに豊かになった」という反論も出て来よう。「小泉構造改革は、成長を回復させた」とかね。こういうのは、筆者には、最近の若手に多い、モデルとマクロデータでしか経済を理解しようとしない悪弊だと思うね。

 国民の「豊かになっていない」という実感を、むやみに否定せず、どのあたりにあるのかをマジメに考えるべきではないだろうか。そこで取り出すのは、消費者物価指数である。名目で消費は伸びていないのだから、実質の豊かさの源は物価が安くなったことにある。実は、これを見ると、品目でのバラつきが非常に大きいことが分かる。

 ハシモトデフレ前と最近を比較して、大きく下落したのは、教養娯楽品や家庭用品である。端的にいうと、パソコンは超高性能になったのに安くなり、100円ショップで雑貨は何でも買えるようになったということである。逆に言えば、それ以外は、あまり安くなっていないということであり、実質値で消費が増えたと言っても、生活全般が豊かになったと感じられないのは、当然ではないだろうか。

 実質値の豊かさの源は輸入財であり、国内で生み出されるものは、全然、豊かになっていない。1997年以降、景気が回復しだすと、さっそくに緊縮財政で所得を吸い上げ、内需を抑圧してきた結果がこれである。そして、同じことを、今また繰り返そうとしている。幸福度は消費で量るべきだ。なぜなら、それは現実を見せてくれるからである。

(今日の日経)
 いすゞがミャンマー進出。社説・原発の選択肢ごとに得失示せ。内需は想定より強め・山口副総裁。出先機関改革進まず。ASEAN国防相会議・東南アの軍拡歯止め探る。丸紅かガビロン買収。パナ・小さい本社で再起。関電・節電電力を入札で購入。夏の果物が上昇、新興国の需要増。経済教室・ものづくり・遠藤功。

※日経の主張は正論。しかし、曖昧にすることが政府の狙いなのだろう。※山口さんも、そうなのか。※改革自体に無理があるのでは。※これに日本が行けないとはね。※集中と分散を繰り返すことにになったか。

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3 コメント

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消費と政府の役割 (KitaAlps)
2012-05-30 11:10:17
>「幸福度は消費で量られる」

 たしかに豊かさは、消費の水準で量られますね。貯蓄が増えても消費水準が下がれば、豊かさは下がっていると言えるわけですから。国民は貯金が貯まると豊かになったと思いこみますが、貯金するために消費を削れば、現在の生活の水準は下がってるわけで。

 つまり、それは将来に対する安心(あるいは将来の高い生活水準)を買う対価として、現在の生活の豊かさを捨てているわけです。

 そしてマスコミ(とそれに誘導された世論)はそれと同じこと(赤字を減らせ=マイナス状態の貯金をプラス方向へ)を政府にも要求してきているわけです。しかし、それは、自分たちの現在の生活水準を押し下げる方向に働くことが理解されていません。

 もちろん、ギリシャのように身の丈(所得)以上に消費するのもいけません(・・・米国も)。しかし、日本のように、所得にふさわしい消費をしていないのもいけないわけです。ギリシャは消費過剰(だった)で日本は過少です。重要なのはバランスであり、程度が大事な問題です。バランスを失っていることが経済停滞などの経済的危機をもたらしていると思います。

 では、なぜ、国民が所得にふさわしい消費をしないかと言えば、バブル崩壊後の経済停滞で将来の所得上昇の見通しがなくなり、さらに失業不安や自分たちの子どもの世代での所得の低下見通し(非正規雇用の増加)があるからでしょう。

 その結果として生じている消費停滞を踏まえて、企業は将来の需要(売上)の停滞見通し(期待)を形成しますから、企業が設備投資を抑制するのも当然です。消費と設備投資という需要の主要項目のいずれもが伸びる見通しがないのですから、(また、外需は世界同時不況で世界中が不景気なのですから期待できないわけで)経済が停滞を続けるのも当然です。

 国民も企業も、こうした停滞見通しを持っている以上、国民に消費増を、また企業に設備投資増を期待しても無理があります。それこそ市場経済においては非合理な行動です。

 こうした環境下で需要を増やす行動を取りうるのは、市場原理では供給が出来ないか・供給が過少になる財・サービスを供給するために設置されている「政府」しかありません。

 ところが、財政当局は、誤った何かに毒され、政府も市場原理に従って行動しなければならないと思い込んでいるわけです。そして、それに従って(財政再建のために)政府支出を抑制してきたために需要が伸びない状況が作り出されています・・・つまり政府自ら国内市場の成長抑制政策を強力に実施してきたわけです。

 たしかに発端はバブル崩壊です。そこで資産価格が大きく低下したことが設備投資の抑制につながったと考えられるわけですが、崩壊の大きさに従って通常よりも長くかかる回復を待ちきれず、橋本財政改革以後、財政出動の縮小や意味のない構造改革に手を付けたことが、今日の長期停滞につながったと思います。
(・・・これは、先に書いておられたように、1930年代大恐慌時のニューディール政策による持ち直し後の財政均衡路線への転換によるルーズベルト不況、1990年代バブル崩壊後の橋本構造改革後のハシモトデフレ、今回の世界同時不況後のヨーロッパの緊縮財政による不況といずれも、バブル崩壊後の緊急対策後には「普遍的に」懲りずに(緊縮財政政策が)繰り返されていることでもありますが。)

 財政赤字による累積債務を大きくする原因を自ら作り・・・近年のヨーロッパの財政緊縮政策の結末を見れば明らか・・・マッチポンプを自演していることに自ら気づいていないのは滑稽というか国民にとって悲惨としか思えないことです。

 政府は自分たちが何のために設置されているかを失念しています。
 

 
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幸福は消費で量れません (通りすがりの者)
2012-05-31 00:41:00
経済的な記事なのでどうかとも思ったのですが、心理学的にどうしても気になるのでコメントします。

お金がないと不幸になるが、お金持ちになればなるほど幸福度が上がるわけではありません。

幸福の研究に関する第一人者であるイリノイ大学教授エド・ディーナーやハーバード大学教授ダニエル・ギルバートなどの最新の研究です。


適当にWebの記事も拾ってみました。

・お金が人を幸福にしない理由:心理学実験から
http://wired.jp/wv/2010/08/18/お金が人を幸福にしない理由:心理学実験から/

・「お金があるほど幸福」ではない?――米大学が調査
http://www.itmedia.co.jp/news/spv/1009/07/news073.html
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対立するわけでもない話ですね (KitaAlps)
2012-06-01 17:31:56
「通りすがりの者」さん

 「幸福度は消費で量られる」は経済的な比喩なのですね。

 経済的に「幸福度は消費で量られる」とは、お金を持っていることや収入が多いことがただちに幸福につながるという主張とは違います。お金を持っていても、消費に使われないと、社会の幸福度は増えないと言う意味です。

 メカニズム的にいえば、不況下では商品が売れないために、失業が増え、所得が停滞しています。こうしたときに消費が増えると商品が売れて、人々の所得が増え、雇用が増え失業者が減って、社会全体として幸福度が高くなると言うことを意味しています。

 逆に言えば、「収入や財産が増えても幸福度は高まりません」というのが本来の「幸福度は消費で量られる」の意味ですから、ご主張の話とは対立しないと考えて良いと思います。
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