経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

バブルの傷が癒える日

2011年08月03日 | 経済
 米国の景気が低迷しているのは、バブルの傷が癒えていないからである。金融緩和によるドル安で輸出が伸びていても、住宅投資が足を引っ張り続けている。そこへ来て、ドル安が物価高に結びついて国内消費を削り、インフレ抑制で成長が減速しつつある新興国への輸出も影が差しているのだから、先行きに不安が生じるのも仕方あるまい。

 バブルの傷が癒えるのは、いつか。日本のバブル景気の例を振り返ると、住宅投資がピークだったのは1990年後半であり、底を打ったのは1994年の前半であったから、3~4年かかっている。また、設備投資のピークは1991年前半で、底は1994年の半ばであるから、やはり3~4年かかっている。

 米国の住宅投資は、2006年がピークであり、2009年に入って底入れしたが、いまだ低迷が続いている。設備投資は、2008年のリーマン・ショックで大きく落ち込み、そこから3年が経過しようとしている。時間的に見れば、そろそろ、景気が回復軌道に乗ってもおかしくない時期ではある。

 しかし、日本の場合も、4~5年目の1994年、1995年の回復は緩慢で、本当に回復が実感できたのは、1996年に入ってからであった。これからすれば、米国もあと2年ほどは、我慢の時期が続くことになる。かつての日本も、一体、景気低迷はいつまで続くのだろうと、悩んでいた時期だった。

 日本のバブル崩壊の際、必死に景気対策を実施して、経済を支える役割を担ったのは宮澤政権であった。「大規模な財政出動は何の効果も無かった」などと簡単に括られかちだが、当時は、バブルが弾けて、設備投資や住宅投資が急減しただけでなく、円高で輸出も打撃を受け、財政が支えなければ、経済はメルトダウンを起こしていただろう。

 それほど困難な時期だったにも関わらず、今のオバマ政権と同様、宮澤政権の評価も上がらなかった。実際、1993年夏に自民党は分裂し、政権を失ってしまう。その後、経済の低迷と政治の混乱は続き、これが落ち着くのは、1996年1月に自民党が橋本政権で復活してからのことになる。日本で財政危機が叫ばれたのも、この時期である。

 米国において、財政赤字を巡って政治が紛糾するのは、筆者には、日本の過去と二重写しに見える。政治は、バブルの傷が癒えるのを待ちきれず、性急に経済回復の果実を求めるものなのだ。そして、財政が経済を支えているという尊い犠牲を軽んじるところも、変わるところがない。政治は我慢ができないのである。 

 日本の場合、橋本政権が財政再建を焦り、1997年に自殺行為に等しい緊縮財政をとって、それ以来、経済成長から見放され、いまだに名目GDPは低迷を続けている。米国も、財政赤字への焦りから、デフォルトという自殺行為の寸前までいった。経済より、財政を大事に思うのは、いずこの政治家も同じなのであろう。

(今日の日経)
 長期金利、日米独で低下、世界経済の減速懸念。トヨタ大幅上方修正、今期4%減益。IMF試算、米国GDP比1%の赤字削減は2年にわたり成長率0.5%押し下げる。児童手当復活、民主に要求。私立保育所、経営効率低く。対インドネシア投資が増加。節電特需失速。下水管改修、中小競う。経済教室・共通番号制・榎並利博。

※やはりトヨタは上方修正したか。※IMFはそれでもせよと言うのだろうね。※子ども手当は落ち着くところに来たか。地方に負担させるなら、こうなる。※インドネシアは内需主導が良い。※早くも特需は失速、消費は7-9月期も伸びないか。
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