分科会は、みなと医療生協6人のうち5人は、碑めぐり(健脚コース)の参加することになりました。
まず初めに、爆心地にある碑から、500m上空に原子爆弾(プルトニウム性)が、爆発し、一瞬に7万人以上の人たちが亡くなりました。ある人は真っ黒焦げに、ある人は水蒸気のように骨まですべて解けてしまい、蒸発してしまった人もあるというこ とです。
天主堂にあった門柱と壁を移築したもので、レンガに穴が開いていたり、爆風で傾いてしまったそうです。
すぐ隣に流れている下野川で、水浴びをしていた高校生は、川の水とともに何十人も蒸発してしまったそうです。
川の壁には、「ゲルニカキッズ・・・・」国内、海外の小中学生の書いたタペストリーが展示されていました。大治小学校の生徒たちのものもあり、驚きました。
韓国等の外国人で被害にあった 人たちの碑もありました。
親子で参加している小学生は、夏休みの自由研究にするために、一生懸命メモを取っていました。隣のお兄さんにカメラでとるとメモをしなくてもいいよと教えられていました。
生命慈しむという福田須磨子さんの詩の碑もありました。親族や友人たちが彼女にしに励まされて、碑を建てられたのでしょうか。
平和の母子像は、原爆によって苦しむ親子の様子が碑になっています。どんなに熱かったでしょう。どんなに苦しかったでしょう。母親が一生懸命に子どもを加保っている様子は痛々しいばかりです。
長崎大学医学部の学生、教授が一瞬に被害にあい、医療活動ができなかったのも、大きく被害を広げた原因にもなったようです。
長崎大学の門柱は、爆風によって、大きく傾いてずれてしまっています。
健脚コースももう終りかなと思っていたら、これから上りに入るということで、
いっぺんに疲れてしまいました。
長崎特有の狭い道や階段を上りながら、カトリック系のお墓で、家族全員が8月9日に亡くなったお墓もありました。この地域は、カトリック教徒が多い地域で、ほとんどのお墓が、カトリック系のお墓になっていました。
いよいよこのコースの最後は、穴弘法寺です。原爆の被害者が山を登ってきて、ここの水を飲んでホッとしていたということで、私たちにも住職さんが水を振舞っていただきました。
門の入り口にあるお地蔵さんも左は被害にあって、手が欠けていましたが、右のお地蔵さんは、被害もなく、健在でしたとのこと。人間も雲分は誰にもあるものです。特にこんな爆弾を落とした人間の責任は大きい。どんな償いもできないくらいです。
下に下りて、昼食後、平和公園の木陰で、被爆のお話や紙芝居を見ました。日差しはとても強いが木陰に入れば、涼しい風も吹いてきて、碑めぐりに参加した何百人の人たちが耳を傾けていました。
碑めぐり終了後、みなと医療生協の組合員や患者から寄せられた2万羽の折り鶴を平和の像の前と爆心地と原爆資料館の3箇所に分けて献納しました。
2度目の長崎での世界大会でしたが、碑めぐりは初めてでした。碑が年数がたてばたつほど、増えているようです。原爆が落ちて、今年で68年になりますが、毎年放射能による被害で亡くなる方が増えています。今年も3000人以上の方が亡くなっています。もうこんなにも大きな犠牲を払う核兵器は、絶対に使ってほしくない。世界から一刻も早く核兵器をなくさなければならないことを強く感じた碑めぐりでした。
今日の万歩計は、18,405歩でした。よく歩きました。