多武峯の「談山神社」を下って、バスは「国定飛鳥歴史公園・石舞台地域」へ向かいます。
明日香の里はそれほど広くはありませんから、道路渋滞がない限り史跡巡回の移動時間はあまりかかりません。
《特別史跡・石舞台古墳》
この石舞台のようすは、教科書やその他でほとんどの方がご存知のことでしょう。
photo by karusan from OCNフォトフレンド
「石舞台」と言いますから、その昔この巨石の上で「呪術の巫女」などが神の御宣託を聞き、言霊を披露する場所かと、なんとなく思っていました(浅はか・・・)
なんとこれが「墳墓」だったんですね
名前の由来は、石の形状からとされているようですが、昔キツネが女性に化けて石の上で舞を見せた話や、この地に来た旅芸人が舞台が無かったので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話しもあるようです。
かなり昔から、巨石が地表にむき出していたようです。
昭和8年と10年に発掘調査され、巨石の総重量約2300㌧という大規模な古墳であると判ったそうです。
築造は7世紀の初め頃と推定され、被葬者不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた「蘇我馬子(入鹿の祖父)」の墓では?といわれています。
「石舞台」の近辺にある「石棺」は、古墳玄室から見つかった岩の破片や、飛鳥時代のほかの古墳に残された「石棺」の資料を基にして復元されたものです。
現代のように機械の無い古代、こんな巨石をどうやって運び組み立てたのか、ただ驚くばかりです。
当時の「権力の巨大さと使役された庶民のはかり知れない労苦」を思ったりするのです。(つづく)
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<もみじの中の石舞台古墳>
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<石舞台公園、部分>
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<石舞台の内部(玄室)、高さ4.8m」
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<復元された「石棺」>
明日香の里はそれほど広くはありませんから、道路渋滞がない限り史跡巡回の移動時間はあまりかかりません。
《特別史跡・石舞台古墳》
この石舞台のようすは、教科書やその他でほとんどの方がご存知のことでしょう。
photo by karusan from OCNフォトフレンド
「石舞台」と言いますから、その昔この巨石の上で「呪術の巫女」などが神の御宣託を聞き、言霊を披露する場所かと、なんとなく思っていました(浅はか・・・)
なんとこれが「墳墓」だったんですね
名前の由来は、石の形状からとされているようですが、昔キツネが女性に化けて石の上で舞を見せた話や、この地に来た旅芸人が舞台が無かったので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話しもあるようです。
かなり昔から、巨石が地表にむき出していたようです。
昭和8年と10年に発掘調査され、巨石の総重量約2300㌧という大規模な古墳であると判ったそうです。
築造は7世紀の初め頃と推定され、被葬者不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた「蘇我馬子(入鹿の祖父)」の墓では?といわれています。
「石舞台」の近辺にある「石棺」は、古墳玄室から見つかった岩の破片や、飛鳥時代のほかの古墳に残された「石棺」の資料を基にして復元されたものです。
現代のように機械の無い古代、こんな巨石をどうやって運び組み立てたのか、ただ驚くばかりです。
当時の「権力の巨大さと使役された庶民のはかり知れない労苦」を思ったりするのです。(つづく)
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<もみじの中の石舞台古墳>
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<石舞台公園、部分>
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<石舞台の内部(玄室)、高さ4.8m」
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<復元された「石棺」>