かるさんのgooブログ <北国たより>

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高校野球に思うこと

2003-08-24 02:00:00 | インポート
この7日から始まった、夏の全国的なイベント「第85回 全国高校野球大会」も23日、茨城県代表「常総学院」の優勝で幕を閉じました。
優勝旗はなんとか「箱根の坂」を越えたものの、悲願の「白河の関」を通り過ぎることはできませんでした。

”高校野球”
これを観戦するときだけは、限りなく郷土愛を発揮し、ナショナリスト(?)になるのは私だけではないはずです。
勝者の歓喜と敗者の悔し涙が、観るものの心をゆさぶり、思わず自分も涙することがしばしばです。

そんな高校野球もTV放映され始めてのある時期から、どうも変だな? と思われる光景が一つ、二つあります。
素晴らしい決勝戦が行われたその日に、水を差すような話しになりますが、以下のことはあくまでも個人的な感想です。

=選手宣誓のことです=
選手を代表して、力強く決意を表すのは当然としても、その表現に違和感を覚えます。どうしてあんなような「ぶつ切り、ワンパターン」の言い回しになるのでしょう?

【われわれェェ/~・せんしゅゥゥ/~・いちどーわァァ-/^・このォォ/~・あおぞらのォォ/~・したでェェ/~・・・・】

というぐあいです。
文言については、担当チームの選手達が意見を出し合って、大会に臨む自分達の想いを率直に表現しようと心くだいているようです。すばらしい内容には感動を覚えます。
おぼえますが、なんとしてもその表現(発音)方法は、心にしっくりと染み込みません。
同じ時期「インターハイ」が開催されています。他の競技での選手宣誓はいかがなものなのでしょうか?残念ながら聞いたことがないので比較できません。

開会式から二日後の9日、「長崎被爆記念式典」がありました。セレモニーの内容がガラッと違いますが、それにしましても児童お二人が発表する「誓いの言葉」の力強く、穏やかで、心に染み入る表現であることか・・・と感心して聞き入ったものでした。


=入場行進のことです=
団体の力強い行進は、自らの「士気を鼓舞」し観るものにも「勇気を与え」てくれます。連帯と統率の無い行進は感動を呼びません。
しかしそれとて、行き過ぎますと茶番になります。甲子園での選手の入場行進に、不自然さ、わざとらしさを見るのは、ひねくれた見方になりますでしょうか?

だいたい団体行進というのは「普通の歩行姿勢を秩序よく保つ」ことだと思うのです。
力強く手を振り足を上げると言っても、あれほど不自然に上へ上げるのもちょっと珍しいのでは?と観ております。しかも拳を握って手の甲を上向きにします。
あんな姿勢の歩行を高校生の日常生活で、一度だって使うことがあるのでしょうか?
お目にかかれるのは甲子園での「開会式と閉会式」のときだけです。
ひと昔まえに流行った「キヨンシー」や、全世界を恐怖に陥れた(ている)「ヒットラーや○○鮮の閲兵式」を思い起こさずには居れません。
オリンピックや国体での入場式も「高校野球」のようではありません。実にやわらかな雰囲気の中にも、それぞれの決意は充分に伝わってきます。

「高校野球」を仕切っておられる「高野連」のお偉さま方に、その辺のことを一度伺ってみたい・・・などと思ったりするのですが。