本書は、古代史を、前方後円墳という切り口から、分析、推理した本だ。
最初に驚くのは、東日本にも沢山の前方後円墳がある事実。どうしても、多くの古墳は、関西、九州のイメージがあったからだ。田園調布の多摩川沿いにも、円墳群があるという。東の古墳が、西よりも遅いとも言えないらしい。一方、西の大和政権が、東を治め、国の統一がなったという従来の歴史観も、古墳群を分析する限り、疑わしいという本書はいう。各地の勢力が共存していたと考えざるを得ないという。
著者は、邪馬台国が、大和にあったという説をとるのだが(某書では、徹底的に非難されていたが)、それでも、魏志倭人伝との違いは多いという。どの説をとっても、矛盾は、次から次と出て来る。
由緒ある古墳群を言えば、やはり山の辺の道近辺の古墳群だが(私は、ほとんどここしか行っていない)、この古墳の数は、一人の天皇の時代に、5-6基になるという。
この巨大な古墳。単なるお墓ではなく、何らかの権力を示すためのモニュメントの意義があったとしか考えられない。最大の大山古墳を築くには、800億円の費用が必要だったと見積もられている。
著者は自問する。①経済が政治を規定?②何故出現が同時多発だったのか?③前方後方墳を選んだケースがあるのはなぜか?
まだまだ謎だらけだ。
前方後円墳が作られなくなったのは、突然に、610年ころという。これも謎だ。
古墳を分析する限り、西が東を平らげたというストーリーは見い出せず、日本書紀を基にした歴史観にすぎないのではないかというのが、本書の言いたかったことかもしれない。
古墳は、中国でも韓国でも見られるが、これだけ、ユニークな、巨大な、多くの古墳が見られるのは、日本だけ。副葬された銅鏡の数も、桁違いという。
平城京が作られた時、一部の古墳が破壊されたということを知り、全く我々は、勘違いをしていたのではないのかという気もしてきた。
著者も言うように、いつか、本書を片手に全国の古墳を回ってみたいものだ。
古代史ファンには、誰にでも、お勧めできる本。