今日、また梅雨空。
うっとおしい。
Allan Williamさんのサインをゲット。
Bob Woolerさんのサインもいっしょに。
Bob Woolerさんについては、以前にも紹介したと思うので、Allanさんのことについて、ご紹介。
Allan Williamは、1930年2月、リバプール郊外で生まれ。2016年12月に亡くなられた。
エディコクランや、ジーンビンセントのツアーを成功させたプロモーターだが、ビートルズの最初のマネージャーとして有名。ハンブルグの公演契約を取り付けた。
1958年に開いたジャカランダクラブにビートルズがよく訪れていたことがきっかけという。
ハンブルグでの公演は、環境劣悪だったが、ビートルズの実力を高める結果となった。
しかし、金銭トラブルもあり、結局ビートルズは、アランと袂を分かち、エプスタインとマネージメント契約を結んだ。
このメモは、1984年6月のものだが、サザビーズのオークションで、ビートルズ関連の18点の品物の価格を、Allanは、5,000ポンド、BoBは2,000ポンドと予想している。
ずいぶん開きがあるが、当時まだ、このマーケットは、創世記で、相場が作られていなかったものと思われる。
裏は、グラナダTVのプログラム表。1982年1月7日のものだが、このメモとの関連は不明。
ビートルズ初期の関連人物として著名だが、評判はイマイチの方。
今朝の朝日に、この記事が。
このイベントは、前から知っていたのだが、シンコーさんの、この宣伝は、相当の気合。
最初は、大村さんのトーク。
新聞、TVと来て、今回は、週刊誌。
図書館での調べものだけで、これだけの材料が集まるとは。
2回お聞きしたことがあるが、とにかくやたら深い。
オリジナル法被を着てのご登場。
まずは、チケットや、パンフについてのうんちく。
チケットを当てるための、当時の歯磨き粉まで持っている人は、まずいない。
当時の歯磨き粉は、まさに粉が多かったと思うし、チューブ式のものは、まだ使い勝手が悪かった。
この前ゲットした、ミュージックライフの来日特集号のハウトゥを信じたコスチュームの女性の写真も。
当時は、効かなかったが、最近のポールのコンサートでは、ステージに登れた人もいる。
後は、二部構成のBeat Mastersさんのコンサート。
なんとライブは、5カ月振りだという。
初期の曲中心に、熱のこもった演奏だった。
1,000人が視聴中とのことで、かなりの人気。
トークショーより、こちらの演奏の方が、目当てだったようだ。
生の時は、粗っぽさが目立ったような気がするのだが、こちらの方が、逆に若き日のビートルズの雰囲気が再現されてよかった。
わからないものだ。
今日は、ビートルズの日ということで、54年前にビートルズが来日した。
凄い歴史!
Beat Mastersさんのいいところは、いつも楽しくやってくれること。
ビートルズの初期の盛り上がりを感じさせてくれる。
サザンみたいに、有料でこのようなイベントがふつうにできるようになると、世の中変わってくるだろう。
今回は、LINE LIVEということだったが、LINEは、スマホ、タブレットでしか使っていないので、大画面では見れなかった。
この辺も、既成事実化が進むのか。
家のネット環境のせいで、フリーズもするがさほどでもなく、音もいい。
だんだんウイズコロナの業界スタンダードができてくるのだろう。
ライブが難しくなるのであれば、家のオーディオ環境の改善が必要?
今日は、ゴルフの予定だったが、あえなく大雨で中止。
終了後の会食だけ、いただいて、退散。
Everly Brothersは、その名の通り、Isaac Donald Everlyと、Phillip Everly兄弟のデュオ。
Isaacは、ケンタッキー、Phillipは、シカゴ生まれ。
1957年のバイ・バイ・ラブが大ヒット。
私は、S&Gの声で、聞いたが、ビートルズ、S&Gなどに大きな影響を与えた。
起きろよスージー、夢を見るだけなど立て続けにヒット。
山下達郎もカバーしている。
Peter Asherのコンサートに行った時も、Everly brothersのステージをネタにしていた。
コミカルなものでもあったらしい。
Phillipは2014年に亡くなっており、もう二人での歌は聞くことができないが、ポピュラーミュージック創世記のスターだった。
ゲットバックセッションで、ジョンとポールが、一つのマイクに向かってはハモるのは、Everly Brothersを意識してのものだったことが、最近の研究で、わかってきたりもした。
このサインは、Phillipのみのものだが、Donaldの頭の部分にも、サインの痕跡があり、もしかすると、二人のサインなのかもしれない。
1960年代のサイン。
今日は、暑い。
明日にかけて雨が降るらしいけど。
今日は、昨日の話の続き。
今城塚古墳の後は、万博記念公園へ。
まだ、太陽の塔の中には、入れないが、他の施設は、ほぼ平常通り。
ただし、客はまだ少ない。
太陽の塔は、70年8月に行ったのと、たぶん中学3年に、中国展をやっていた時にいった。
当時、中国は、まだまだミステリアスな国だった。
それにしても、とんでもない像だ。
岡本太郎の芸術家としての最大のモニュメントではないか。
万博当時の展示館が公開されている。
かなり忘れているのだが、懐かしい。
大洋の塔内部の展示物(今は、新たに作られたものが、展示されている)。
地球の進化を表した壮大なものだ。
計画が始まったころの模型。
実際は、これより、豪華になったか。
メリーポプキンも来日。
ポスターには、ポールの名前も。
当然、当時は知る由もなく。
現代音楽の鑑賞ホールは、再現展示されている。
かなり先を行っていた。
今でもモダンといえるか?
素晴らしい。
小学生当時は、素晴らしいというより、変なデザインという印象だった。
後ろにも顔。
前から行きたかった民博にも行ってみた。
あまりにも広くて、見るのがたいへんだったが、面白い。
必ずしも骨とう品的価値のあるもののみではなく、テーマ毎に、興味が湧くように展示してある。
例えば、音楽のコーナーでは、私の使っていたギターなども。
現地にいるようなリアルな展示も多数。
地域別と、テーマ別の展示になっている。
もう一度、ゆっくり訪れたい。
こけしの展示も。
こけしが、民藝ではないとされていた時代(玩具とかお土産扱い)もあり、うれしかった。
大阪に来たついでに、行きたいと思っていた今城塚古墳に行った。
宿泊していた新大阪駅からすぐの摂津富田駅から、30分ぐらい。
ちょうどいい運動になる。
女瀬川に沿って北上するのだが、花々がきれい。
そして今城塚古墳に到着。
この古墳は、継体天皇の墓と考えられているのだが、宮内庁は、隣りの太田茶臼山古墳を継体天皇陵に比定しており、こちらには、自由に入れる。
継体天皇は、昨日読了した本でも、新羅系ではないかと書いてあったが、武烈天皇の後、血筋が途絶え、遠い血筋の継体天皇が選ばれたことになっている。
この古墳の場所も絶妙で、奈良、難波、長岡などと繋がってほいるが、適度な距離を保ち、継体天皇の出身とされる、越や、近江とも繋がっている。
その継体天皇だが、磐井の乱を鎮圧するなど、大和朝廷の対策強化に貢献し、今の天皇家の血縁が確認できる、最古の天皇になっている。
この古墳の特徴は、この埴輪群。
発掘の結果、このようなら並んでいたことが、明らかになった。
この内側が、聖域だったと考えられている。
円筒埴輪には、二本マストの船ご描かれており、当時の人々が、船を操れたであろうことが、わかっている。
それも、継体天皇ご渡来人ではないかとの根拠になっている。
もう一つの特徴が、かな埴輪祭祀場。
これも発掘調査の結果明らかになった。
レプリカ埴輪ご並べられ、当時の様子が再現されている。
壮大な葬儀であったことが、わかる。
造り出し部分もきれいに残ってあり、前方部と、後円部のくびれがはっきりしている。
埴輪最新場は、4部からなっており、左から、器台、太刀、水鳥や家や巫女、武人や牛や馬という、当時の王の死後の暮らしを支えるための人、ものが、並んでいる感じだ。
その隣に今城塚古代歴史館があり、これがまた素晴らしい。
今城塚古墳での発掘物以外の、周辺古墳からの発掘物が、時代別に並べられ、3世紀中頃から、6世紀中頃まで、当地に、大きな勢力が、あったことが、明らかにされる。
ユニークなのは、阿武山古墳の発掘記録で、ここからは、骨も見つかっており、その特徴から、中臣鎌足の墓ではないかと考えられている。
古代史のまさに、中心人物。
近くに古墳が散在しており、時間があった時に、再訪したい。
古墳ファンは、マスト。
天皇陵で入れる古墳は、ここだけ?