ポツダムからベルリンに戻ってきた。
まずは、車窓からベルリンフィルハーモニー。
1963年に建てられた。
カラヤンは、良くも悪くも、カリスマ指揮者だった。
2005年に完成したユダヤ人に捧げる記念碑。
いまだに、こんな事がなされたことは、信じられない。
そして、ベルリンの象徴、ブランデンブルク門。
ベルリンには、かつて18の門があったというが、今残るのは、この一つ。
1791年に作られた。
門上の彫像は、4頭立て馬車クアドリガに乗った勝利の女神ヴィクトリア。
ナポレオン戦争時は、ナポレオンにより、パリに持ち去られたという。
これは、旧東ドイツ側から見た様子。
前から疑問だったのだが、ベルリンは、旧東ドイツにあり、ベルリンでは、西と東の行き来が自由だった。ところが、1960年代になって、東側が急に、ベルリン内の西ドイツ側を、壁で囲んだため、ベルリン内の西ドイツが、孤立した場所になっていたことだということがわかった。
壁は、東ドイツ側に急に作られたため、かなりの混乱を起こした。
であるから、この光景は、西側からは、当時見ることができなかった。
これは、当時の西側から見た門。
もちろん今は、行き来は自由。
国会議事堂。今も現役。
門の脇にある高級ホテル。
ここからマイケルジャクソンが子供をベランダから振り回し、児童虐待騒ぎになった。
たぶん薬の影響だったのだろうが、今となってはわからない。
ベルリンの壁が一部残されており、観光スポットになっている。
危ないので、車掌からと、道の反対側からの見学になったが、なかなかユニークかつ政治的な絵が並んでいて面白い。
日本は、東西ドイツから見て、どういう存在だったのだろうか。
一番有名な絵。
ホーネッカーとブレジネフ。
ベルリンの壁崩壊後しか知らない世代は、当時の東のイメージはわかないだろう。
前には、東ドイツの名?トラバントが。
現役でも走っていた。
本気のアート。
こちらも。
ということで、あっという間だったが、ベルリンの都市部を一通り。
今日は、待ちに待ったQueen+Adam Lambert のコンサート。
埼玉があたらなくて、名古屋まで来た。
ポールで経験済みだが、わざわざ来るか?
しかし、コンサート始まった瞬間に、来て良かったと、確信した。
セットも凄いが、やはりAdamのQueenメンバーとの8年の経験が、大きい。
前回は、どうしても、フレディと比べてしまっていたが、今回は、このメンバーでのAdam Lambertとして、見れて、心底楽しめた。
歌の上手さは今さらだが、やはり凄い。
オペラ歌手になっていたら、どうなっていただろうか。
3人が、しょっちゅう前に出て来てくれる。
そう言えば、ロジャーが、前回より全然元気と思ったのだが、気のせいか。
このUnder Pressureが、一番良かった。
あっという間に後半に入るが、一曲一曲演出が凝っていて、楽しませてくれる。
ディスプレーも次々と変わっていく。
ブライアンが、宙に浮く演出は、前回なかったと思う。
終盤は、光の演出が凄い。
このトリオは、感涙ものだ。
そう言えば、ギターの調子が悪くて、途中、ブライアンがギターを替えたが、アダムのボーカルは、最後まで、完璧だった。
アンコールでも、ますます盛り上げる。
フレディがいきなり出てきたのはびっくりしたが、映画のハイライトシーンを意識した演出だろう。
フレディなのか、アダムなのか。
ありがとう、Queen + Adam Lambert !
ポツダムの見所その2は、サンスーシ公園。
とにかく広い。
ユネスコ世界遺産にも登録されている。
憂いなしという意味だそうだ。
これは、絵画館だが、中には入らなかった。
全体が公園のようになっている。
これは、風車。
大公が撤去を命じたが、抵抗され、そのまま今も残っている。
サンスーシ宮殿。
サンスーシは、心配事がないという意味。1747年に作られたロココ式宮殿。
建てたのは、フリードニヒ二世。
規模は大きくないが、中は、豪勢。
中央の大広間を中心に、両側に5室並ぶ。
各部屋は、こんな感じで飾り立てられている。
大公は、別荘で作ったはずが、人生のほとんどをここで過ごしたという。
中央の大広間。
豪華すぎる。
ヴォルテールの部屋。
大公のお墓。
じゃがいもが供えられているのは、フリードリヒ2世が、当時嫌われていたじゃがいも栽培を奨励し、定着させたことへの感謝の気持ち。
宮殿の前には、植物園が広がっている。
ブドウ園、イチジク園が広がる。
昼に、ピンクのビールをいただいたが、甘すぎて、いまいち。
この橋は、東西ドイツの国境にあり、捕虜の交換などに使われたという。
銃撃戦などもあり、映画の題材にもなった。
雪にならなくて良かったが、冬晴れが少ない今年。
本書は、前に紹介した同名新書の続編。
本書が出て、まとめてゲット。
撮影日時等かぶる写真もあるが、写真そのものは、初出のみ。
前書と同等以上の驚きがある1冊。
それにしても、この時期にこれだけの行動ができるバイタリティ。
脱帽。
私が生まれた年の前後5年の写真が集中的に掲載されている。
大船観音とか、井之頭公園などは、記憶と一致するが、ほとんどは、ぎりぎり記憶の前。
今との違いは、想像を絶する。
今から60年前、やっと戦後の復興が本格的になったタイミング。
そのタイミングでのオリンピックの誘致は、画期的だったろう。
しかし、ヒギンズ氏は、ひたすら列車を追い続けた。
表紙の写真は、鴨宮での新幹線の車両のお披露目の写真だそうだ。
まだ、蒸気機関車も走る中、宇宙船が目の前に現れた気分だろう。
宮城県の写真も衝撃だが、いつも通勤で使っていた関内駅の写真も衝撃。
最初は、水の上に作られていた!
その後10年もしない内に、周りは埋め立てられ、関内駅は、陸続きになった。
その姿しか私は、知らない。
3年間、毎日使っていたのに。
そう言えば、昔、ブラタモで、この話してたかな?
全県の写真を掲載しようとしたが、佐賀県のみ見つからなかったという。。
興味のある路線はあったのだが、ついに行けなかったらしい。
逆に言えば、その他の県の写真は全てあるので、誰が読んでも、懐かしいと思える写真があるに違いない。
日本の戦後復興に興味のある方は是非。
乗り鉄、撮り鉄はもちろん。
信じられない思い。
マイケルジョーダンの次世代のスーパースターだった。
墜落の原因は、分からないが、本当に残念。
先日、西丸さんのサイン付き写真をゲットした話はした。
それで、昔見た日本語の写真集を探したのだが、見つからなくて、同じ本を買うのも癪なので、英語版の古本をゲット。
見ると、1990年に出たアメリカでの初版本とある。
日本では、1982年に角川から、1990年に小学館から出たらしい。
序文が、1979年5月の、ジョンとヨーコのメッセージになっているが、これは、本書のためのものではない。
あとがきは、西丸さん本人によるもので、この写真群を撮ることになった経緯が書かれている。
ドライバーもやっていて、道を間違えて苦労もされたようだ。
1977年春から、1979年夏までの、プライベート写真が、綺麗に収められている。
本当に、(ちょっと裕福な)普通の家族。
軽井沢、東京、香港、馴染みの深いところに訪れていたことがわかる。
特に、軽井沢は、当時、テニスの夏合宿でそこにいただけに、一度会いたかった!
あとは、当然、住んでいたNYの写真も。
西丸氏は、自分の写真家としての仕事のために、帰国することを決意。
そして、翌年、ジョンは帰らぬ人となった。
ショーンだけではなく、ジュリアンの写真も多い。
当時、本当に幸せな生活を送っていたジョンの姿が浮かび上がる。
ヨーコさんの家族も登場。
もう40年以上前のことだが、ジョン・ファミリーの貴重な写真が日本人写真家の手に残ったことは、ラッキーだった。
西丸さんは、亡くなられたとのこと。
ご冥福をお祈りする。