これから、宴会
ウインブルドンでは、ナダルとウォズニアッキが、早々に姿を消してしまった。スポーツの世界は、厳しいなあ。
古事記、日本書紀の本をつらつら読んでいたら、頭が混乱してきたので、ノウハウ本を買ってみた。
著者はこの道の専門家ではないようだが、よくできている。
カラー写真もきれいだし、図解、チャートもよくできているし、特に、日本書紀と、古事記の違いのワンポイントレッスンがいい。
出来のよい、参考書に出会った気分だ。
専門家から見ると、いろんな議論があるところも断定的に述べられているので、ちょっとかちんと来るところもあるかもしれないが、アマチュアだと、まず一番有力な説に沿ってあらすじを捉えてから、古事記の迷宮に足を踏み入れた方がいいだろう。
それにしても、日本で一番古い本が、このようなロマンに満ちた、日本全国(流石に東の部分は少ないが)にまたがる壮大なストーリーを描いていることには、驚きを禁じ得ない。
比較的、通ったつもりの奈良近辺でも、まだまだ記紀にちなんだところで、訪れたことがないところが多いのには驚いた。
1300年の間に、全国各地に、記紀にちなんだ神社、陵などが、数多く作られた。
我田引水的なものもあったのだろうが、長い歴史の中で、その真偽は、確かめようもない。
今年は、古事記に凝ってみようか?
訳書を一回読んだら、このような解説本を読むことをお勧めする。
小学館の日本の古典をよむシリーズの古事記の巻を読んでみた。
日本書記同様、なかなか原文を読む気にはなれず、読み下し文に頼ってしまう。
本書は、うまく端折ってくれていて、素人には、ひじょうに読みやすくできている。
日本書紀より、芸術的に優れていることも、浮彫になる。
単に日本最古の書であるだけではなく、歌も沢山載せられている。これらの歌は、日本語であり、その日本語は、中国から漢字が導入される前に確立していて、それが今まで伝えられてきたことがわかる。日本書記は、すべて漢文で書かれているため、以前の日本語がどうであったかの資料にはならない。
これは、かなりすごいことだ。
逆に言えば、文字もない時代の歴史を、数百年もさかのぼれるはずもなく、どこでどうなっているのか、360度の議論が可能な事態を招いている。
どんな立派な哲学者(これはもう哲学の世界だ)が出ても、万人を納得させる説を唱えられる人はいないだろう。
逆にこれだけの歴史を語ってくれる書を、日本人が1300年も前に著せたことを誇りに感じながら、次の100年、1000年を作っていくことが、我々の責務なのだろう。
今晩は、横浜で会食があった。
夜景もいいけど、薄暮もいいよ。
「日本の古典を読む」シリーズの内の1巻。
日本書記の後編と、風土記の抜粋。
日本書記の後編では、やはり壬申の乱の記述が強調されているのが、目立つ。
斉明天皇の無駄な事業への誹謗も、直接的に書かれていて面白い。
日本書記は、誰がどのような目的で書いたのか。客観的なようで、意図的なようで。
高校の時の日本史では、壬申の乱とか覚えさせられたけど、日本史の中の画期かというと、単なる天皇家の跡継ぎ問題のような気もする。
それよりも、天智、天武、持統の時代に、日本の、基礎が作られ始めたことが大事なのだろう。
天武・持統陵は、数少ない間違いない陵だし(皮肉にも盗掘記録により明らかになっている)、持統天皇は、初めて火葬された天皇になる。仏教が浸透してきた影響もあろう。
風土記の方は、もっとバラエティに富んでいて面白い。
まだ登ったことがないが、筑波山は、当時から、富士山と並ぶ、信仰の山だったとか、出雲のリアルな国引きの話や。
浦島太郎の話の原型は、丹後の風土記に出てくる。
我々が、慣れ親しんでいる話は、古事記、日本書紀、風土記にちりばめられていたことがわかる。
全てを振り返って研究する時間はないが、日本の源流を探るには、欠かせない書だ。
日本で、政党政治を定着させる術はあるのか?
小学館の日本の古典を読むシリーズは、結構前に出て、何冊かGETしたが、まだ読んでなかった。
”歴史小説を読むように、古典文学を読む”が、キャッチフレーズになっていたが、日本書紀など、まさにそうだろう。
現代語訳と、読み下し文が、交互に書かれているが、どうしても、現代語訳中心に読むことになってします。読み下し文のところは、興味のある固有名詞が出ているところを読むぐらい。
改めて、古事記と、日本書紀との書きぶりの違いを感じる。
硬い。
神話の部分はもちろん共通する部分が多いのだが、本流中心の記載で、古事記のような人間味あふれる壮大な物語にはなっていない。出雲の話もない。
最初の頃の天皇の、あまりにもさっぱりした記載にも驚く。単なる作り話なのか、血統だけは残っていたが、ほとんど史実は、忘れ去られていたのか。
上巻は、推古天皇までの部分だが、継体天皇の前で天皇家が途絶えかけたことと、聖徳太子の功績が、他の天皇の功績と比較しても、強調されていることが、目につく。
時代が新しくなればなるほど、史実は明らかだが、今に通じる分、都合よく創作されていたのだろうが。
地名が、今につながる部分が、意外と多いのにもびっくり。
”歴史小説を読むように、古典文学を読む”
なかなかいいフレーズだ。