かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

三菱が夢見た美術館

2010年10月17日 | Culture・Arts

bye今日は、中央線のオレンジの車両のラストランだったそうだ。昔、中央線沿線に住んでいたのでよく乗った。車両をカラフルにした第一号だったそうで、デビューは、私が生まれる前だ。それから、路線毎に色を変えるようになったという。昔は、途中から、黄色い電車とか、緑の電車が出てきて、子供ながらに、不思議に思ったものだ。長い間、ご苦労様。



今日、新聞を見たら、三菱が夢見た美術館展の紹介記事が載っていた。
てっきり岸田さんに代表される日本の洋画家展と勘違いしていて、行く気はなかったのだが、いろいろありそうなので、ふらっと行ってみた。



この展覧会が開かれているのは、丸の内の三菱一号館美術館。
今日は、秋らしいさわやかな天気で、美術館が取り囲む公園では、散策する人が多く見られた。
A16という西海岸発のイタ飯屋でランチ。実は、ここは何回か来ているが、フュージョン系のイタリアンでおいしい。A16は、西海岸の店に行く時の高速の出口の番号だそうな。



今回の展示は、開館記念展第二弾。第一弾の時に、建物や、都会の真ん中の癒しスペースとしてはよいが、美術館としては、いかがなものかと書いた。
今回の展覧会で、やや見直した。前回は、いきなり洋物で、かつ目玉目当ての客寄せ展覧会のように感じたのだが、今回のは、まさにこの美術館をテーマにした、開館記念にふさわしい内容だった。



展示は、三菱グループが所蔵しているものと、その財団である静嘉堂、東洋文庫所蔵のものが中心。日本画、洋画、陶磁器、ポスター、古典籍、岩崎家の建物を多く設計したコンドルの設計図、古地図などバラエティに富んでいる。どれも、興味深いもので、見る者を飽きさせない。
この建物自体は、昭和40年代まで、存在したものの再建だ。コンドルの設計図がしっかり残っていたから、再建もできたのだろう。
このあたりが、三菱ヶ原と揶揄されたころの絵もある。ほとんど原っぱ。
そんな所を買ってどうするんだと聞かれた岩崎彌之助は、「なに竹を植えて、虎でも飼うさ」と、笑ったという。今、この丸の内地区は、三菱グループの宝になっている。
美術館の方は、構想だけで終わっていたというから、三菱グループは、この美術館を作ることによって、100年越しの夢をかなえたのだ。



龍馬に出て来る岩崎弥太郎が創始者の三菱グループ。小岩井農場の、岩が、岩崎家の岩とは知らなかったというか(たぶん)忘れていた。
これは、1909年の小岩井週報に掲載された100年後の小岩井農場。
夢があふれている。
人間は、なんで、いろいろ回り道しているのだろう。特に日本は。
小岩井農場展の方は無料。


コメント
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