かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Media Contents Exhibition 2008

2008年02月29日 | Yokohama ( Japan )



ちょっと鎌倉散策を一休み。
今日は、東京工科大学の学生の皆さんの卒業展示会をやっているBankART 1929 に行ってみた。今や、日本を代表する産業になりつつあるMEDIA CONTENTS業界の将来を担う若者達の卒業展示で、皆、目が輝いている。昔、卒論を、コタツの中で、うんうんうなって?書いていたのとは大違い。
ユーミンの苗場のコンサートのWEB版生中継したのも、ここの学生らしい。もうセミプロだ。こらからの日本の文化を引っ張っていって欲しい。



この展示をやっている会場は、元第一銀行の横浜支店(前にも紹介したような気がするが)。それから横浜銀行の本店になり、今は、若干移動され、芸術活動の拠点 BankART 1929 になっている。



中に入ったのは、初めてだが、すばらしい造りだ。



随分お化粧はされているのだろうが、昔は、こういった吹き抜けのロビーで、ゆったりそろばん勘定をしていたのだろうか。ただ、表玄関の上にある装飾は意味不明だ。
表玄関の外側にあるバルコニーも何のためにあったのか。
謎の多い建物でもある。

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鎌倉如月 その9 報国寺

2008年02月28日 | Kamakura ( Japan )



杉本寺から、さらにちょっと進むと報国寺がある。天眼慧広(てんがんえこう)を開山、足利家時(足利尊氏の祖父)を開基として開かれた。



古くから、竹の寺として有名で、竹林や、庭園、茶屋など、見事な風情である。



庭の奥には、お墓が並んでいたが、果たして誰のものか。



報国寺をさらに奥に行ったところに、旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)がある。旧皇族の邸宅で、昭和4年に建てられた見事な洋風建築である。木造三階建てで、家の前に広がる芝生の庭園も、もっともらしい。ベルサイユ宮殿並みといっては嘘になるが、そういうイメージだ。



家の前には、バルコニーや、噴水池があり、洋館全体のイメージを盛り上げている。鎌倉を歩いていると、意外なところに、このような古い洋館が残されている。

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鎌倉如月 その8 杉本寺

2008年02月27日 | Kamakura ( Japan )


1週間後の2/17に再び鎌倉巡り。まずは、八幡宮に向かって右に滑川沿いにまっすぐ行って、右に曲がり山道を分け入った。



そこにあったのは、釈迦堂口切通し。巨大な素掘りの巨大なトンネルだ。何故これだけ大きな(高い)穴を掘る必要があったのかはわからないが、なかなかの迫力だ。
通行禁止だが、自由に通り抜けられる。通り抜けている時に崩れて生き埋めになったらバカと言われそうなので、やめたが。



そこから10分ぐらいメイン通りに戻ったところに、杉本寺がある。鎌倉で一番古いお寺で、天平時代に、行基が観音様を刻みを安置したという。その後9世紀になって、慈覚大師が十一面観音を刻み安置し、10世紀に恵心が十一面観音を刻み安置したという。その時から、坂東三十三所観音霊場の第一番の札所となった。火事の際、この三尊が杉の根本に避難したおかげで残ったので、杉本寺と呼ばれるようになった。
ということで、十一面観音様のお寺として有名なのである。



階段も苔に覆われ風情がある(使用禁止で、脇の石段から上る)。



本堂にも入ることができる。運慶作のお前立ちの観音様は拝めるが、元々の十一面観音様の方は、格子越で、暗い奥の方にあり、よく見えなかった。

立ち並ぶ白旗が風情をそいでいるように思ったのだが、これが杉本寺の昔からのトレードマークらしい。
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鎌倉如月 その7 佐助稲荷神社

2008年02月26日 | Kamakura ( Japan )







2月10日の最後にお邪魔したのが、佐助稲荷。ここも昔からある(当たり前!)。あんまり変わってない。
ご覧のように、いかにもお稲荷さん。赤い鳥居が延々と続く。

途中に、狐が狛犬のように並んでいる。誰かが奉納したものだろうが、歴史を刻んで、風格が出ている。
ここの神様が、伊豆にいた頼朝の夢枕に立ち、平家追悼の挙兵を勧めたという由緒あるお稲荷さんなのだ。その言い伝えから(佐殿(すけどの=頼朝)を助けた)、佐助稲荷神社と呼ばれるようになった。

レッドツェペリンの再結成コンサートのDVDをまた見た。ジミーペイジが、派手にステップを踏みながらレスポールを演奏するということはなくなったが、一曲一曲渾身の力での演奏だ。迫力、演出とも満点で、ERIKAが大興奮していたのもわかる? カメラが常時3台回っていたので、間違いなくDVD化されるのではないか。ややハウリングが多いのが気になったが、たぶんその辺りも編集されるだろう。狂熱のライブ並みの感動のDVDが発売されるのを期待したい。

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鎌倉如月 その6 銭洗弁天

2008年02月25日 | Kamakura ( Japan )


ひょんなことで、去年の12月のレッドツェペリンの再結成コンサートのDVDを見た。オーディエンスショットだが、音はまとも。映像は、かなり奥の席からのようだ。演奏が、良かったことはよくわかる。流石に、躍動感あふれるという感じではなくなっていたが、カッコイイのは、昔と同じ。今年後半には、ワールドツアーという噂もあり、是非見たいと思うのだが。日本には、70年代前半にしか来てないはずなので、実現すれば、35年振りぐらいということになる。アンビリーバブル。



海蔵寺から、ちょっと戻って山に入った。化粧坂を上ると源氏山公園がある。この辺は、幼少時代よく来た場所。化粧坂は、昔と全然変わっていない。道というよりは、とりあえず人が通れるというだけの坂で、当時の切通しは、こんなもんであっただろうということが実感できる。当時、多くの人が、この坂を逆方向に下りていき、鎌倉入りしたのであろう。



その先に葛原ヶ岡公園がある。ここも何にも無かったところだが、この鳥居は、昔からあったような気がする。その先に小さな社があったが、これは、新しく作られたものだろう。ここは、昔の処刑場のあった場所。当汲フ首謀者だった日野俊基もここで処刑された。葛原岡神社の祭神は、その日野俊基だ。鎮魂のための社か。



そこから反対側にちょっと下りたところに、銭洗弁天がある。ここの人気は、昔も今も変わらない。次から次へと、参拝者が訪れ、お金を一生懸命洗っている。子供ながらに、お札を洗って大丈夫かと思ったものだが、大きなお金の方が、増えた時効果大ということなのだろう。今回は、小銭を洗って、鼈甲でできた亀の姿をしたお守りと一緒に、我が家に祀っておくことにした。今回こそ効果があるか。
でも、その効能がないことは、他でもない私が、永年の経験で実証している。それでもまた行ってしまうのが、銭洗弁天だ。人間の性(さが)なのだろうか。
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