"Prisoner of the State (国家の囚人、2009年5月19日発売)"は、中国では発禁だが、全世界的には、かなり売れている本だと思う。
シンガポールや、香港の書店に、平積みで売っているので、読んでみた。
読み応えあり!
毛沢東、周恩来、トウ小平の伝記は読んだが、みな後世の人が、言わば勝手に書いた伝記だ。
本書は、趙紫陽が、軟禁中に隠れて録音したテープを孫のおもちゃに隠しておき、彼の死後そのテープを発見した友人が、命がけで国外に持ち出し、書き下ろしたものだ。本人の言葉だし、当時は政治生命は絶たれていたのだから、嘘を言う必要もないし、彼の真実の言葉と考えていいのだろう。
最初は、軟禁中の生活の話から始まるが、やはり圧巻は、80年代の政治史の内幕だろう。新たな中国がスタートしていたはずだが、その内実は、魑魅魍魎がうごめく、陰謀だらけの魔宮だ。国のトップですら、どこで誰が何を考えているのか、わからないのだから。
ただ、失脚の原因は、巷で言われているのとそう変わらない。急速な経済発展により、インフレが亢進し、社会が不安定になったところに、学生が民主化を求めて運動を起こし、エスカレートしていった。平和的に解決しようとした趙紫陽に対し、保守派がトウ小平を、趙の訪朝中に取り込み、武力鎮圧(天安門事件)し、趙紫陽は、失脚したというものだ。
面白いのは、そこに至るまでの、改革派と保守派の暗闘だ。そして、改革派だったはずの、トウ小平は、政治的には、徹底的な保守派であったという。これは、二度の失脚した経験から来るものだと趙は考える。一方で、トウ小平は、西側の経済運営にも大きな理解を示し、経済特区等の施策により、既に外資導入を始めていたのだ。趙紫陽失脚後の大発展を演出したトウ小平の手腕も見事としかいいようがない。ではなぜ?
趙紫陽は、政治は共産党の一党独裁で、経済のみ資本主義を導入するという手法は長続きしないと本気で見ていた。いずれは、民主的な手法を入れていかざるを得ないと。
一足先に、失脚した胡耀邦は、もっとあっけらかんに資本主義化を考えていたという。だから、一早くトウ小平に切られた。そして、趙紫陽も結局切られた。
やはりトウ小平の怪物度(政治改革と非民主化は併存する!という理論)を本当に理解できていた者は、いなかったように思うのだが、その思想が、20年経った今も続いているという驚異。中国共産党は、絶対で、民主化とか清浄化というのは、あくまでもその中でだけの話。中国共産党という化け物の中で、いまだに様々な力学が蠢いている。
自民党内の暗闘とも似ているかもしれない。自民党はそうしている内に、自壊の時期が近づいているのかも知れないが、中国共産党は、どうか。
英語の本書を読む際、やはり固有名詞がつらい。ということで、主だった人の名前を紹介しておく。これから読まれる方は、参考にしてもらいたい。
Chen Yun 陳雲、Deng Liqun トウカ群、Deng Xiaoping トウ小平(漢字入力すると何故かそのパラグラフ全て文字化けしてしまうので片仮名表記)、Hu Yaobang (胡耀邦)、Hua Guofeng(華国鋒)、Li Peng(李鵬)、Li Xinninan (李先念)、Liu Shaoqi(劉少奇)、Mao Zedong(毛沢東)、Wen Jiabao (温家宝)、Yao Yilin (ヨウ依林)、Yu Qiuli(余秋里)、Zhao Ziyang(趙紫陽)、Zhou Enlai(周恩来)などなど出演者多数。いい者、悪者、入り乱れ、そのどちらが、敵か味方かすら定かではない。
" Buddhist Stupas in Asia "は、私が、シンガポールにいた時に買った写真集だ。2001年ごろだったと思う。
最初は、仏教を解しない西欧人の写真家によるミーハーな写真集というイメージも持ったが、いろいろその後、各地を回るにつけ、そうは言っても、こんなにいろんなところに行って、写真を撮ってきただけでもすごいことだと思うようになってきていた。
そして、最近武澤さんの本を読むにつけ、またこの写真集のことが思い出されてくるのである。
たぶん、Stupa≒卒塔婆≒塔の姿を追うことは、仏伝の流れを追うことと表裏になっていることから来る、単なる観光写真集とは異なる、独特の感慨を読者に与えるのではなかろうか。
写真集はもちろんインドから始まる。有名な仏塔には、平面図の透かしページがあるのがうれしい。
そして、スリランカ→インドネシア(この辺は順不同)→ミャンマー→タイ→ラオス(この辺は南伝ルートだ)。
そして、北伝。ネパール→チベット。特に真冬のチベットの写真は迫力がある。
もちろん最後は、中国→韓国→日本だ。
ただ、武澤さんの本を読んだ後では、日本の多宝塔の写真を載せなかったのは、画竜点点晴(目編)を欠いた感も。
クラシックジャンボジェットが、明日最後のフライトだそうだ。
就航後40年も経っているのだという。私が最初に飛行機に乗ったのも、このクラシックジャンボだった。28年半前のことである。
大きく姿を変えてはいないジャンボジェットは、新幹線にも匹敵する現代の大発明と言えるのではないか。
この3月に、マーライオンを訪れた時は、雷に打たれた後で、リハビリ中だった。
先週訪れたら、見事に、復活。夕暮れ時にもかかわらず、多くの観光客の人気を博していた。
この単純極まるコンクリート製の像に、世界三大がっかりを言われながら、40年近くも人を呼び続けられたというのは、驚異とも言える。マーライオンパークの奥に見えるのは、世界最大の観覧車だ。
その一つの要因に、周りの整備があるだろう。マーライオンのバックにあるのが、現在のフィナンシャルセンター。この写真は、やはり、マーライオンから見えるのだが、現在建設中の、新フィナンシャルセンターである。
後ろを振り向かないのも、この国のすごいところだ。
シンガポールでは、現在2つのカジノの建設が進んでいる。
これは、今年3月のマリナベイの方のカジノの建設の様子。
先週は、ここまでできていた。この三本のビルの屋上をつなぐ空中庭園を作って、外観はほぼ完成。来年初旬には、オープン予定だ。こちらは、ベガスのサンズの経営。マカオのカジノでも有名だ。
もう一方の建設中のカジノは、セントーサ島のものだ。こちらは、マレーシアのゲンティングの経営。もともと、シンガポールでカジノが検討されたのは、カジノのあるマレーシアに観光客を奪われたことが背景にある。シンガポール人も、マレーシアのカジノに通っていた。
セントーサ島には、最近は、ゴルフでしか行かないが、ユニバーサルスタジオなど、新アトラクションが、狭い島内に次々と建設されている。
そんなに集客力があるのか心配するのはヤボということか。
シンガポールのフラートンホテルのことは、前にも話したかもしれない。重厚な造りからして、相当古いホテルと思われがちだが、できたのは、私がシンガポール駐在時代。まだ十年経っていない。
その前までは、中央郵便局だった。
東京駅前のと同じ中央郵便局と言ったって、その歴史や、建物の素晴らしさは比較にならない。東京の方の建物の歴史的価値は理解するにしても、その建築の規模や、美しさは、比較にならないのだ(鳩山さんご免)。
ということで、シンガポールの中央郵便局の方は、外観をそのまますっぽり残し、中をホテルに造り変えたのだ。
中はすっぽり吹き抜けになっているが、そのため、客室数が少なく、経営はたいへんと聞いた。その後、どんな感じになっているのだろうか。いずれにしても、シンガポール有数の高級ホテルであることには違いない。
今は、埋め立てが進み、内陸になってしまったが、できた当時は、シンガポール川の河口のマーライオンの脇にあり、まさにシンガポールを象徴する建物だった。
今も、ライトアップが美しく、シンガポール川沿いのレストランで、食事をとる人々は幸せいっぱいだ。
このシンガポール川の浄化も大きなプロジェクトで、昔は、臭くて、食事どころではなかったらしい。
こういった点からも、シンガポールが完全に先進国中の先進国になっていることがわかる。