かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

信州早周り

2014年08月31日 | Other Eastern Japan
今日は、ドライブデイ。圏央道が東名につながったのは、横浜市民には、画期的で、行きは、海老名から、関越まで、帰りは、中央から、海老名までお世話になったが、すばらしい。
観光にも、ゴルフにも?どんどん使わせていただこう。



朝一で行ったのは、関越経由で行った佐久の、佐久市立近代美術館。
由井一三さんが寄贈した作品を基に作られた美術館というが、なかなか。
由井さんは、画商から、絵画関係の出版社の経営に転じた人のようだが、その関係か、凄い所蔵品がたくさんある。
目玉は、平山さんの、仏教伝来だが、今日は、展示されていなかった。でも、その他にもたくさん名品が展示されている。
由井さんの書籍のための挿し絵の原画よ展示されていて、いろいろな仕事をされていたのだなと、変に感心した次第。



その後南下して行ったのが、野辺山天文台。
30年ぐらい前に見た記憶があって、前回この辺をドライブした時も探したのだが、わからなくて、今回改めてトライ。
事前に調べて行ったらすぐ行けた。
この勇姿を30年以上前に見たのか。



直径45メートル。1983年にできたというから、見たのは、できた直後だったようだ。



山に見える野辺山スキー場にも、開場初年に行った。渋滞が酷くてまいったが、今は、改善されたのだろうか。



直径45m!
今は、南アメリカで、もっと大規模な施設が作られたそうだ。



微細な電波をゲットするアンテナ。100以上並んでいる。



手前が、戦後すぐ、三鷹に作られた電波望遠鏡。
その後ろが、30年ほど前に作られた、電波望遠鏡。
科学の進歩を象徴してる?



遠くから眺めた施設。
未知との遭遇を思い出した。



何やら凄い人気で、中村農場の鶏肉の店に寄ってみた。
すごい人で、びっくり。
鶏肉は、宮崎と思ってたんで。



んで、目に入った蕎麦屋に言ったら、中村農場のシャモを使ったせいろ蕎麦があって、いただいたてみた。
今年の蕎麦という。さばさば感がいい。
具は、中村農場のシャモ。
迎合しない硬派の味でグー。
脂身少なめで、肉は硬め。
人それぞれと思うが、ファンは増えるのでは?



最後は、何回目になるか、平山郁夫シルクロード美術館。
王道のシルクロード中心の展示で、見たこともないスケッチなど多数あり、何度訪れてもいい。
タケカワユキヒデさんのシルクロードをテーマにしたCDをゲットして、聞きながら、帰途につくことにした。

名残惜しいのだが、早々に出発したのだが、中央道の渋滞は、以前と変わらないようだった。圏央道は、がらがらで、東名の渋滞も想定内で、期待通り早く帰宅できた。

神奈川から、埼玉、群馬、長野へのアクセスは、すばらしく改善。
この便利さを知って、交通量が増えるのが心配。
これで、走行距離、500km弱。
Not So Bad!

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神社が語る古代12氏族の正体

2014年08月30日 | Books
今日は、天気が心配だったんだけど、ゴルフ。
行ってみたら、1滴も降らず。かえって暑いぐらい。
スコアは、いまいちだったけど。



関裕二さんの新著が出た。
それにしても、次から次へとよくお書きになる。

今回は、かつての豪族達と、彼らを祭る神社を対応させながら、古代を読み解く本。
神社という切り口と豪族という切り口を、古代史という縦糸で、紡いだ感じの本。
ということは、背骨にあたる部分は、何度か出てきた関さんの、独特の持論で、占められている。

一方、切り口を変えたことにより、意外と有名豪族の神社がマイナーだったりして。
全然知らない神社も取り上げられている。
ネームはビッグだけど、意外と知られていない神社もあったりして。

関氏の著作は、藤原氏の手による日本書紀により、それまでの歴史がすべて書き換えられていることを基本線にしているので、そこで、抹殺された豪族や、神社が、ぞろぞろ出る。本書では、それを丹念に掘り起こしてくれている。

日本古代史、神社に興味のある人は、どうぞ。
ちょっと、他の関氏の著作とダブリ感もあるが。
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吉備路その13 まほろば珈琲店

2014年08月29日 | Other Western Japan


備中国分寺近くの駐車場に戻ってから、ランチをいただくために、まほろば珈琲店へ。
一見普通のドライブインだが、こだわりの珈琲をいれてくれる。



このオムカレーは、絶品。



ここからも、ひまわり畑越しに、備中国分寺が臨める。
もう、流石に、ひまわりの季節は終わったかな?
この辺で、ランチタイムだったら、絶対お勧め。
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吉備路その12 備中国分尼寺

2014年08月28日 | Other Western Japan


さらに先に行くと、備中国分尼寺がある。
その途中にも、いろいろ見所が。
この溜池らしき池の脇にある井戸は、由緒あるものらしい。
説明板には、以下の説明がある。

『むすびあぐる 松井の水は そこ清み
うつるは君が 千代のかげかも
        藤原茂明

常磐なる 松井の水を むすぶ手の
雫ごとにぞ 千代は見えける
        藤原資実

この二首の和歌は久寿2年(1155)の後白河天皇及び建久9年(1198)の土御門天皇の即位に当って行われた大嘗会(だいじょうえ)のときに詠まれたものです。
これらの和歌に詠まれた松井の井戸であると伝えられており、長良の”菊の下水(したみず)”と”上林(かんばやし)の臼井(うすい)”とともに、総社市の三名水といわれています。』

平安時代、後期の歌である。



その先に、吉備路郷土館があり、その前に、古民家が再生された公園がある。



これは、山手村役場。幕末から、明治初期の建物という。



こちらは、民家。



しっかりと整備されている。



そして、その先に、備中国分尼寺跡がある。
ここは、築地土塀跡。



階段の先に、中門跡がある。



その先の金堂跡には、礎石がしっかり残っていて、立派な建物があったことがわかる。
大和朝廷にとって、8世紀になっても、この地域が重要であったことがうかがわれる。
説明板には以下のようにある。

『奈良時代に聖武天皇の発願により造営された備中国の尼寺跡です。
寺域は、東西108メートル、西北216メートルを計り、築地土塀で囲まれた境内には、南から北へ、南門、中門、金堂、講堂などの建物が一直線上におかれた伽藍配置をもっていました。それらの建物は南北朝時代の戦火で焼失したと伝えられていますがこの尼寺跡に創建時の金堂の礎石をはじめ、南門、中門、講堂、築地土塀などの遺構が現在も比較的良好な状態で保存されています。』

国分寺と、国分尼寺のほどよい距離感がいい。



飛鳥を思わせるのどかな風景だ。
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吉備路その11 こうもり塚古墳

2014年08月27日 | Other Western Japan
寄り道が多くて、申し訳ない。



備中国分寺から、こうもり塚古墳へは、歩いて行ける。
一本道の先に、古墳が見える。



石室入口が見えてきた。



入口には、やはり柵があるが、石室内を見ることができる。



石室は、大きな石で作られており、家形石館が残されている。
この辺の古墳は、みな同系統の古墳であることがわかる。



石室の上を見ると、雨漏りを防ぐためか、ビニールシートで覆われていた。

ここにも、りっぱな説明板があったので、内容を載せておく。

『この古墳は6世紀後半に自然の丘陵を利用しつくられた全長約100メートルの前方後
円墳です。内部の石室は巨石を用いた横穴式石室で長い羨道とその奥の玄室とからなっています。玄室には、家形の大きな石館棺がおさめられています。この石棺は井原市野上町町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料としたくり抜き式の石棺です。ほかにも陶棺や木棺がおさめられており、後期古墳に一般的な複数ま家王があったことがうかがわれます。
この古墳は大きな墳丘や内部の石室、石棺などにみられるように多くの労働力を集めることができた支配者層の墳墓であることを示しています。』
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