今日は(私にとっての)とある記念日で、花が届いたので、とりあえず、載せておこう。
昨日、白州正子さんのことを、女傑と呼んでしまったが、今活動を続けられている人では、塩野七生さんも女傑と呼べるのではないか。その制作意欲は、とどまるところを知らない。ローマ時の物語完結後の大作がこのローマ亡き後の地中海世界だ。
緻密な調査と、わかりやすく迫力のある筆致で、読者は、その時代に引きずり込まれる仕組みだ。
ローマ亡き後、地中海に台頭したのは、イスラムだが、その教祖のモハメッドが生まれたのは、6世紀のこと。当時、イタリア半島は、四海洋都市国家(ジェヴァ、ピサ、アマルフィ、ヴェネツィア)と、ビザンチンと、ゲルマン系民族が、曼荼羅模様に支配している状況で、その間隙をついて、イスラムは、どんどん北に勢力を伸ばすことができた。イスラム教は、当時から、イスラム教を広めるために、戦争を行うことをいとわなかったという。
そして、この4海洋都市国家とぶつかることになった。しかし、一方で、通商交易は、続き、アラブ語から、多くの言葉が、西欧に入ってきたという。lemon、orange、sugar などの言葉だ。この辺、今の日中関係に当てはめると面白い。
海賊の存在も、この4海洋都市国家にとっては、やっかいな問題だった。海賊は、フランスが、アルジェリアを植民地にした19世紀まで続いていたのだそうだ。
イスラム教徒による、キリスト教徒の誘拐も日常茶飯事。大混乱の時代といってもいいだろう。人質を救うため、救出騎士団が何度も組成されたという。この流れが、十字軍につながっていった。この辺は、北朝鮮の拉致被害者を思い起こさせる。この世の中で、救出団を組んで乗り込んだら、戦争になってしまうが。
15世紀になると、トルコが力をつけ、地中海の情勢は、変化していく。トルコは、海賊を奨励し、自国の拡大に利用したという。当時のヨーロッパは、スペインとフランスが大国だったが、トルコと対峙することになった。ローマ法王が拉致されそうになったほどの緊迫した状況であったそうだ。
切りがないのでこの辺でやめるが、動きの激しい、この時期の地中海情勢だから、塩野さんの書きぶりが生える。西洋の歴史好き、及び、イスラム教とキリスト教の歴史に興味のある人に、お勧め。
日本もこの時期に、このような厳しい外交経験を積んでいれば、一方的に負け続け(に見える)の外交にはならなかったかもしれない。
写真も奇麗。塩野さんの本は、文庫本でも出始めているが、装丁も、中の写真も奇麗だし、是非単行本で読みたいところだ。