かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ある人生 毛沢東

2010年10月08日 | Books

ノーベル平和賞に、中国の民主化運動家の劉氏が選ばれた。今も服役中の、中国では犯罪人だ。天安門事件でも、中心的な役割を果たした。ダライラマさんも、スーチーさんも、ずいぶん前に平和賞を受けている。
いつまで、中国が、この姿勢を続けられるかわからないが、そう長く続くとは思えない。
中国で放送中だった、NHK国際ニュースも、強制放送遮断されたという。天安門事件についての情報も、引き続き遮断されている。これだけ、グローバルな世の中で、この体制を続けるのには、どう考えても無理がある。

この無理な体制を築いたのが、言わずもがなだが、毛沢東だ。



原書は、ずいぶん前に出たが、翻訳本が出たのは、ついこの前。
毛沢東の伝記は、意外に少ない。私も数冊読んだが、どちらかに偏っている。近時出たものは、どちらかというと、ネガティブなものが多かった。特にチアン&ハリディのマオは、強烈だった。
本書は、その中では、事実を丁寧に積み上げることにより、毛沢東の真実の姿に迫ろうと努力している。ただし、毛沢東の真実の姿は、中国共産党によって、封印されてしまっているので、正史的なものとまでは言えない。すごい力作であることには、疑いがない。

それにしても、またまた毛沢東の強烈な個性を浮き彫りにする本だ。

本書を読むと、毛沢東は、元々、共産主義者(そもそも、マルクス・レーニン主義を翻訳した本などまだ存在していなかった)ではなく、反日、反ロシアの、アナーキスト、攘夷論者であったことがわかる。

「戦争なくしては、我々は二十年以内に消滅する。だが、我が同胞たちはいまだに気づかず眠り続け、東方には、ほとんど注意を払っていない。我々は、抗日の決意を研ぎ澄まさなくてはならない」。

「天地には運動しかない。時代を通じて各種の思想の間に闘争があった」。若いころから、革命は繰り返されるのだという考え方を持っていた。

当時の、中国の情勢も背景にあるが(清が欧米各国にやられまくっていた。そして日清戦争の敗戦だ)、毛沢東が、政治活動に深く入るようになったのは、半日、反英の運動であったという。そして、戦闘を繰り返す中で、毛沢東の得意とするゲリラ戦法を身に付けた。

敵進我退 敵が進めばこちらは退き
敵駐我攪 敵が休めばこちらは攪乱
敵疲我打 敵が疲れればこちらは攻撃
敵退我追 敵が退けばこちらは追う

戦いのごく初期にこの戦法を見出し、これが、抗日、対国民党、そして、共産党の内部抗争に、繰り返し使われる戦法になった。もっと言えば、朝鮮戦争、ベトナム戦争も、この戦法だ。

将来の中国共産党内の抗争の萌芽もごく初期のAB団員粛清にあったという。
当初は仲間内の内ゲバで済んでいたが、中国を支配してからは、数千万人の被害者を出す大惨事につながって行った。

中国共産党が、中国を支配するまで、必ずしも毛沢東は、トップであり続けた訳ではなかった。むしろ、日陰の時代も長かった。
毛沢東に権力への道を開いたのは、日本との戦闘だった。この話は、田中角栄との会談で毛沢東本人から出たというから驚く。

でもこれは、歴史が証明している事実。日本という敵がいたから、当時、権力を握っており、圧倒的な力を持っていた国民党と組めたし、その後の内戦で、国民党から権力を奪い取るチャンスを得ることができたのだ。

ここで、もうひとつの悪役は、ソヴィエトだ。同じ、共産主義国家の兄貴分ながら、最初から、最後まで、中国、毛沢東を裏切り続けた。裏切りの連続だ。ソヴィエトは、共産主義を世界に広めるなどという高尚な目標はなく、ソヴィエトの権力を維持するために最適な策を弄し続けたようだ。大国ロシアの延長線上にあったのだ。毛沢東も相当な策士だが、ソヴィエトはその上を行く。今の日本はその二国と隣合わせなのだから、並の外交力では、対抗できる訳がない。

朝鮮戦争は、新たな中国ができ、これから復興という時に起こったので、中国にとっては迷惑な戦争だと思っていたが、中国共産党への求心力を増すには、効果があったという。確かに、中国共産党は、当時、ついこの前まで、非合法な、弱小集団が、内戦をたまたま制したというだけというぐらいという存在だったかもしれない。そして、朝鮮戦争の勝利?により、毛沢東の地位も確固たるものになった。
ただ、ここから、毛沢東の暴走が始まる。本書でも、なぜここから毛沢東らが、非現実的な経済政策を取り始めたかわからないとしている。
ただ、ロシアのスプートニク打ち上げ成功が、きっかけになったのは間違いないという。技術発展が拓く可能性に気づいたのだ。
しかしその経済政策の失敗により、数千万人の餓死者を出した。

そして、共産党内部の権力闘争の繰り返しである。
階級闘争が必要だとして、多くの知識人が迫害され、命を奪われた。毛沢東は、身勝手な、意味不明な行動を繰り返す暴君に変貌し、誰も彼を止められなくなってしまったのだ。これも、一党独裁の恐怖だろう。誰が、味方か、敵かわからない大混乱状態になり、毛沢東の後継者候補は、次々と失脚し、命を落として行った。日本赤軍の内ゲバなど、全く比較にならない大惨事だ。

そして、あの文化大革命だ。この狂気は、毛沢東の死まで続き、死の1ヶ月後の四人組の逮捕でやっと終わった。つい34年前のことだ。

今の中国共産党は、「毛沢東の長所は大きく、誤りは二次的」で、その比率は7対3だとしている。
中国共産党の重要メンバーで、文化大革命も生き延びた陳雲は、「毛が1956年に他界していたら、その業績は永遠にたたえられただろう。1966年に他界していたら、それでも偉人とされただろう。だが実際に他界したのは、1976年だ。何をか言わんや?」と言ったという。
ただ、この「七三」方式が、共産党のニーズにも合っており、それ以上の総括はなされなかった。
それが、今の中国共産党の本質である。

それをまず、日本の政治家に理解してもらいたい。




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