近時の万葉集ブームに乗ってか、万葉集の英訳が出た。
万葉集自体、古い日本語で、素人には難解なところもあるが、それを英語でというから凄い。
ただ、日本語だとなんとなく読み過ごしてしまうところも、英語に訳そうとすると、何を意味するのか、白黒はっきりさせなくてはならないので、より、はっきりと一語一語に向かい合わなければならない。
枕詞の扱いも難しい。
それらの障害をうまくこなしていると感心した。
著者の方は、アイルランド生まれの末ニで、2008年には、百人一首の末烽ウれた。
わずか、4ヶ月で書き上げたというから凄い。
それにしても、その一句一句のレベルの高いこと。
文字がなかった、または使われ始めたばかりの時代に、これだけ高いレベルの歌が多く作られたというのは、中国からの文化の輸入があったにしても、驚嘆に値する。
そしてそれを、中国から輸入した漢字を活用し、今の時代に継いだということは、奇跡と言えるだろう。
そして、それが、芸術的にも(五七五七七も日本独自のスタイルだ)、歴史的にも(天皇の声から庶民の声まで) 貴重なものとなり、英語を通じ、世界に理解されるようになることは、誇らしくもある。
よりによってという感じ。
ご冥福をお祈りする。
本誌は、PEN(月2回発行)の2/1号。
今年は、Let It Be 50 周年で盛り上がっているが、ジョンが暗殺されてから40周年でもある。
本当の40周年は、ちょっと先になるが、先取りして、この企画になったようだ。
最初は、2018年から1年間リバプールで開催されたダブルファンタジー展の話。
日本にもジョンレノンミュージアムがかつてあったが、ビートルズ関連の展示も多かった。
本展は、ジョンとヨーコの活動に絞った展覧会だったようだ。
次に、今から50年前の1970年のトピックに移るが、いかに動きの激しい年であったかがわかる。
Let It Beが公開されたと思ったら、ビートルズが解散して、ソロ活動が始まり、それぞれのアルバムを作成する中、ジョンは、平和活動にものめり込んでいく。
ジョンのアルバム紹介では、ジョンは、解散後、オリジナル作品のアルバムは、6作しか作らなかったことを思い起こさせた。残りは、実験的な作品や、ライブ、ベスト盤、カバーアルバムなどのみ。イマジンなど名曲を残したものの、音楽的な成果は、少なかったかもしれない。75年以降、主夫になり、亡くなる年まで、制作活動は、行わなかった。
その間、制作を続ければ、もっと作品を残せたのだろうか。
40年の生涯を見開き2ページにまとめた表を見て、その濃度の高いジョンの生涯を思う。
リバプールの街の紹介は、ほとんど行ったところばかり。
一部行き逃したところは、次回のチャンスに是非と思っている。
人物相関図、使用楽器紹介、絵画作品、軽井沢の生活、映像作品紹介、語録集、ファッション紹介、著名人のインタビューと、読んで楽しい特集が続く。
知らない写真などもあり、想定外の?充実した1冊だった。
自宅待機の週末2日目。
雪まで降ってきて、踏んだり蹴ったり。
昨日ご紹介した、ビートルズの1964年のニュージーランド、オーストラリア公演の本をゲット。
ビートルズの1964年のオーストラリア・ニュージーランドツアーに焦点を絞った1冊。
古本で買ったが、14.99ポンドのシールが貼ってあった。
1996年発行になっているが、最初に出たのは、ジョンの死の2年前と書いてあるので、1978年頃と思われる。
当初リンゴが風邪で、ジミーニコルが代役だったことでも有名なツア≠セが、本書は、写真も、説明も充実しており、当時の狂騒振りを余すことなく伝えている。
昨日のサインをゲットしたとされる、シェラトンでのプレスの写真も。
ごった返している。
A Hard Day's Night の撮影が終わり、公開される前のタイミングになる。
到着時は、リンゴの代わりにジミーが洗礼を浴びた。天気が悪く、飛行機から降りるとき、4人とも傘をさしていて、ファンへの挨拶どころではなかった。
メルボルンでリンゴが合流し、5ショットの写真も(表紙に使われている)。
シドニーに入って、アデレード、メルボルン、シドニー、ニュージーランド、ブリスベンと回った充実したツアーだった。
メルボルンで、リンゴが帰ってきて、ジミーはお役御免になった。
そして、ニコルがツアーから離れる時、ブライアンが、ぬいぐるみを渡している。
500ポンドと金時計が報酬だったとある。
彼にとっては、黒歴史になっているようだ。
1963年6月のことで、アメリカの本格的ツアーが始まる前。
まだツアーを楽しんでいた時期。
ずいぶん天井の低いホールでの写真もあり、ファンとの距離も近かったろう。
ミミおばさんが、インタビューに応じている写真も載っていた。
当時のビートルズツアーのクレージー振りがよくわかる楽しい1冊。
ただし、字が本当に小さいので、読むのに苦労?
今日は、予報に反し、日中はいい天気。
でも、自粛ど真ん中で、身動きとれず(ジムには行った)、憂鬱な一日。
明日、雪かもと言ってるから、世の中、やっぱりおかしい。
Jimmie Nicolの名前を知っていたら、相当のビートルズ通。
1964年6月の、ビートルズのニュージーランド、オーストラリアツアーの前半、リンゴが風邪をひき、その代役ドラマーになったのが、Jimmie Nicol。
ビートルズの人気が、急上昇し、イギリスのビートルズから、世界のビートルズになった頃のことだ。
Jimmieは、1939年生まれだから、4人よりも、ちょっと上。
リンゴが倒れ、ツアーをキャンセルすることも検討されたが、Jimmieが急遽代役になった。
ジョージマーティンのアイデアだったという。
以前より、面識があり、Peteの交代時に候補になったこともあった。
たった、13日の代役であり、その後も活動はしたが、ぱっとしなかった。
コペンハーゲンで6月4日に最初のコンサートを行い、オランダ、香港、オーストラリアツアーの途中まで同行した。
このサインは、1964年6月11日、シドニーのシェラトンホテルでのプレスコンファレンス時のもの。
6月11日に、香港から、シドニーに着いた。大雨で、ファンに挨拶できず、トラックの荷台で、飛行機から、この会見に向かったという。
その時の記者だった方が、ゲットしたサインだ。
まさに、一度だけ、リンゴ以外のドラマーが参加したツアーのサイン。
レアさは、かなりのもの?
用紙のカットが荒っぽいのがちょっと残念。
4月のコンサートも、どんどんキャンセルが出て、悲しい。
今週末も全てキャンセルになり、自宅待機?
本書は、オリジナルのビートルズクラブの月刊誌の特別号。
一通り持っているが、このような特別号が出ていたとは知らなかった。
1963年8月号から、1964年1月号までの、写真群を特別号として出したらしい。
たぶん、あまりにも急に人気が上昇したため、過去の写真をというリクエストがあり、応えたものではないかと推測する。
アメリカで人気が出る寸前のもので、イギリス在住のファン向けの特集になる。
たぶん、それまでの月刊誌に載った写真のみと思うが、すごい勢い。
まさに怖いもの知らず。
写真群には、簡単なコメントが添えられているが、それが真実とは限らないことが、分かっては来ている。
ポパイの真似した写真とか、タバコを加えた写真とか、かなり素の写真が多いが、これがファンとの距離を縮めたのだろう。
当時としては、珍しい、ジョンのメガネの写真も。
世界のビートルズになる寸前の4人の姿を捕らえた写真集として、貴重。
50数年後の彼らの姿を予想できた人は、絶対いなかった。