今日は、本当は、オリンピックの、テニス観戦のはずだった。
無観客で、キャンセルになり(日本人選手は、残らなかったけど)、結局、今日も、ゴルフ。
暑さを覚悟していたが、高原ゴルフで、意外と普通。
スコアも普通?
松山選手頑張っている。
明日、忠魂のプレイを期待したい。
昨夜は、ジュンク堂池袋でのUDO展に行った。
前に、盛大な展示があったので、今回は、洋楽ロック史を彩るライブ伝説発売と連携しての企画。
規模は写真展示のみで小規模。
その最盛期は、1970年代と思うが、残念ながら仙台在住だった私には縁のない世界。
最初の印象深い講演は、ボブディランの初来日公演かもしれない。
もう外タレは、UDOというブランドができていたころかもしれない。
外タレの走りは、やはり、ビートルズを招聘した協同かと思うが。
KISSは、2回目の来日の時に見た。
ほとんど、ステージ裏だったけど、度肝を抜かれた。
THE WHOは、単独では、最初で最後の来日公演に行けた。
埼玉で遠かったが、充実のステージだった。
ジョン・メイヤーは、2回行ったが、すばらしかった。
お祭というより、本当の聞かせるコンサートというイメージだった。
所蔵するお宝は、写真展示。
前回の企画では、現物が展示されていたが。
ジュンク堂で、本をゲットするといただけるミニポスター。
どうやってこのチケット群が選ばれたかわからないが、壮観だ。
1970年以降の、外タレ招聘の歴史と言っても過言ではない。
当時、日本で公演したい外タレがいたら、まずは、UDOに相談というパターンが確立していたと思うし、今もそれは続いている。
エリック・クラプトンなどは、人生の恩人と思っていると思う。
シェリル・クロウのコンサートの時は、UDOさんの名前を挙げて、謝辞を述べていた。
日本での洋楽人気へ、多大な貢献したUDOさん。
我々世代の洋楽ファンは、みなそう思っているのではないか。
本の方は、まだ読んでいないので、読んだらまたご報告予定。
PINK FLOYD のサインをゲット。
久しぶりの大物。
1970年代の初頭に、Liverpool Empireで、されたものという。
ネットで調べたところ、1970年2月15日と、1972年2月13日と、1974年11月28日~30日の5日間コンサートを開催している。
Nick のサインの裏には、Amazing Blondellというグループのサインがあり、その時のメンバーは、Eddie Baird、John Gladwin、Terry Wincottの3人であることから、1970年から1972年のものであることがわかった。
さらに、Daveのサインの裏には、UFOというバンドのサインがあって、その時のメンバーは、Phill Mogg、Andy Parker、Pete Way、Mick Bolton。
そのMick Boltonは、1972年1月に脱退したということで、やはり、1970年2月15日か、1972年2月15日のサインである可能性が高い。
もし1970年のサインだとすると、その時のセットリストは、
Embryo
Careful With That Axe Eugene
Main Theme
Atom Heart Mother
Astronomy Domine
Interstellar Overdrive
Set The Controls for the Heart of the Sun
A Saucerful of Secrets
ということで、かなり初期のイメージとなる。
もし、1972年のものとすると、狂気からの曲が中心となる。
さてどうか。
サインは、4枚の紙に別々になされていて、雑誌の切り抜きとおぼしき紙と共に、1枚づつ別の紙に貼られている。
これは、キーボードのRick Wright。
これは、ベースのRoger Waters。
これは、ギターのDavid Gilmour。
ドラムのNick Mason。
すぐに脱退してしまったSyd Barrettのサインは、ないが、全盛期の素晴らしいサインだと思う。
今日は、座学講習2日目(一部実習あり)。
修了テストも無事合格し、ITセキュリティマネジメント試験以来の、国家試験合格。
この歳になって、資格を取らざるえないハメになるとは思わなかったが、これが、人生最後の資格取得?
リタイア後に、資格マニアになる人もいるが、もっと楽しいことがあると思う。
その後、サントリーホールでの、めざましクラシックス。
夏は、毎年、サントリーホールでやっていたそうだが、昨年は、中止。
今年は、2年振りになる。
私は、銀座でのしかいったことがなかったので、サントリーホールは、初めて。
4,000人近く入る会場だが、1/3ぐらいしか入れていなかった。
高嶋さんのお父さんと、お姉さんも客席にいらしたが、お父さんは、高嶋さんのコンサートで、よく見かける。
軽部さんも定年が近いと思うが、どうなるのだろう。
花もいつもの面子?
もちろんブルボンさんからも。
いつもながら楽しいゲスト。
普通のコンサートではないから、ゲストもこの1日のために練習しなければならなくてたいへんだと思うが、毎回楽しいゲストを迎えてくれる。
プログラムは、こんな感じで2部構成。
休憩も入れて、2時間半ぐらい。
一部は、軽部さんのマッチのモノマネ?以外は、お馴染みメンバーの国家メドレーと、石田組の石田さんをゲストち迎えての、4曲の演奏。
国歌は、改めて聞くと、各国の特徴が出ていて面白い。
海外のミュージシャンが、君が代を演奏した時、曲の収まりが悪く、譜面ミスと思って、最後にドの音を勝手につけてしまったことがあったという。
正直、国家として、暗い感じがするが、日本らしい、独特のオリエンタル感を持っている曲ということなのだろう。
戦前から、定着しているが、天皇制の維持とセットという意味もあったのか。
石田組の石田泰尚さんは、奇抜な出立ちで、度肝を抜いたが、バイオリンの演奏は、超絶。
パワフルかつ繊細と言おうか。
高嶋さんと、音楽監督の、今野さんとの3人の競演は圧巻だったが、当事者同士、誰が一番上手いと思っているのだろうか。
クラシック、タンゴ、ロック、ジャズなど分野もバラエティに富んでいたが、I was born to love youは、石田さんの持ち曲もいうから、普段から、クラシックに限らず演奏されているのだろう。
石田さんが再登場したアンコールでは、再びタンゴが、演奏された。
ピアソラさん生誕100年に因んでとのこと。
第二部は、筒美京平メドレーから、始まった。
サザエさんが、筒美京平さん作とは、知らなかった。
高嶋さんも知らなかったとのこと。
最後の、ギンギラギンで、軽部さんが、モノマネ生歌を披露。
形も似せたと言う。
確かに、鉢巻を巻いていた記憶はあるが、蝶ネクタイは、していたか?
最初の歌手ゲストは、早見優さん。
高嶋さんの茶飲み友達で、めざましは、初登場という、
夏色のナンシーは、ちょっと覚えてる程度、緑色のラグーンは、たぶん初めて。
筒美さんに、曲をたくさん作ってもらっているが、会ったことは、ないという。
あれだけ多くの曲を作った方。
制作までは、深く関わっていなかったようだ。
1982年デビューだそうだが、その年は当たり年で、今も活躍されている方が、多い。
2人目は、岩崎宏美さん。
1975年デビューで、今年、デビュー46周年。
結構聞いていて、アルバムも、持っていると思う。
岩崎さんは、筒美さんに、デビュー曲こら、70曲以上作ってもらっており、お会いになったこともあるという。
穏やかな紳士だっだが、マスコミには、あまり登場しなかったので、一般には、その姿はあまり知られていない。
高音が魅力と思っているかもしれないが、中低音が、君の魅力だと言われたことと、リズム感を大切にと言われたことが、今も記憶を残っているという。
岩崎さんの話の上手さにもびっくり。
めざましクラシックスは、秋田以来10年振りというから、歴史を感じさせる。
筒美さんの作曲数、その内、ナンバー1ヒット曲数は、圧倒的なダントツだ。
曲の分野もバラエティに富んでいる。
一部、曲想が似てると感じたこともあったような気もするが、あれだけ作れば、そういうこともあるだろう。
岩崎さんは、デビューから、ヒットを、連発したが、全て、筒美さん作。
軽部さんも、岩崎さんのファンだったそうで、シングル曲のタイトルを誦じていた。
ラストのニュー・シネマ・パラダイスは、昨年亡くなられたモリコーネさんの曲。
昔の映画音楽らしい、ノスタルジーを感じさせる名曲だった。
ということで、構成も、出演者も、選曲も、しゃべりも、完璧に楽しめるコンサートだった。
新型コロナ感染拡大が続いているが、明日も、出演者を変えて開催される。
感染拡大の火元が絞れないのが、もどかしい。
今日と明日は、故あって座学講習。
このパターンは、やはりつらい。
本書は、本屋で見つけた。
結構分厚い。
シンコーさんの気合の入った1冊だ。
シンコーさんは、ミュージックライフはなくなってしまったが、このような、昔の題材を生かした豪華本を最近よく出している。
写真は、1971年の箱根アフロディーテ(音源も出るらしいので、楽しみにしている)から、1972年の東京都体育館、1988年の武道館まで。
途中の、欧米ツアーでの写真も掲載されている。
当時のミュージックライフには、載っていたのかもしれないが、私は見たことない写真ばかりで、当時の雄姿を目いっぱい拝むことができる。
写真にコメントが載っており、写真が撮影された状況が推測できる。
インタビューでは、わざと、不機嫌そうにしていたようだ。
アフロディーテの写真が興味深い。
日本の野外フェスの走りで、手造り感満載。
日本側の出演は、かぐや姫や、ダークダックスというから......
日本製のカメラや、8mmカメラを使用している写真も多い。
日本製のカメラは、当時から人気だった。
チューニングが長くかかったのは、有名だが、ワン・ツーとマイクテストを繰り返したため、ワンツー親父と呼ばれたのは知らなかった。
当時の機材の写真も、今となっては貴重だ。
発売前のエコーズが演奏された。伝説だ。
客が静かに聞いている姿勢も印象的で、駐留アメリカ軍の人も多かったようだ。
アフロディーテのコンサートレポートも、臨場感あり。
2回目の来日は、1972年だが、全員パートナー同行。
羽田に、ノースウエスト航空のリムジンバス。
2回目ということで、会見もなごやかな雰囲気。
インタビューは、ニューオータニで行われたとのこと。
庭園での写真撮影の後、東京都体育館に向かい、その夜コンサートを行った。
PAも大きく改善し、完璧なショーだったと語り継がれている。
欧米ツアーのグループ、ソロの写真が続き、最後は、1988年の日本ツアー。
新生ピンクフロイドの初来日だが、圧巻のステージだったようだ。
コンサートレポート群といい、写真群といい、充実の1冊。
暑い日ぎ続いていると思ったら、今度は、台風。
とほほ。
オリンピックで、日本選手が活躍しているのは、うれしい。
大坂選手は、残念。
最初から、調子が悪かったが、疲れが出たか。
Bill Haley and Commets の、Rock Around The Clock のタイトル曲で、有名な、暴力教室を、初めて見た。
現代は、黒板のジャングル。
まだ、戦争の傷跡が残る高校での暴力と、それに立ち向かう熱血教師の映画とまとめられる?
一時期流行った学園ドラマの走りというところか。
もちろん、丁寧に作り込まれているから、今でも見られている。
シドニー・ポアチエの若い頃の名演も見れる。
タイトル曲が、オープニングと、エンディングで流れるが、どうも、これが、ロックンロールほ、低俗な、不良の音楽とイメージづけられてしまった不幸の、原因かとも感じられる。
映画の中で、ジャズのレコードが、次々割られる場面があるが、このシーンも象徴的だ。
私が、生まれる4年前の映画。
タイトル曲が、作られた翌年。
まさに、ロックが、産声を上げた。
ロックの歴史に興味のある方は、一度ご覧になることを、お勧めする。
この後、ロックは、大きな発展を遂げる。