一つは、ウルトラマンシリーズなどの特撮物を監督した、実相寺昭雄さんが、亡くなられた。たまたま、ちくま文庫の「ウルトラマン誕生」という本を読んていたところで、大ショック。ウルトラマン誕生時の試行錯誤が、余すところなく語られている。我々当時の少年達は、その成果を、週に一回30分、満喫させてもらっていたわけだ。合掌。
もう一つは、キャピタル東急の営業終了。6月に見納めしてきたが、いよいよその時が来た。ビートルズ4人が、唯一そろって来日した時に泊まったホテル。新聞によると、小泉さんのライオンヘアーも、このホテルの床屋で生まれたという。ジャイアント馬場、ショーンコネリーも常連だったとのこと。この床屋は、新宿の「ヒルトン東京」へ、引っ越すとのこと。43年の歴史とは、ちょっと短い気がする。
手嶋隆一さんの、「外交敗戦」とういう本を読んだ。かなり前の本だが、文庫で、再刊された。1990年の湾岸戦争の時のドキュメンタリー。かなり突っ込んだ内容で、あっという間に読んでしまった。
当時、私は、シカゴにいて、予備役だった同僚のアメリカ人が、戦場に駆り出されていくのを間近に見ていた。街の人々は、庭の木々に、黄色いリボンを飾って、兵士達の無事の帰還を願っていた。それに引き換え、日本は、戦争に直接参加することはもちろん、後方支援も、当時はできなかった。でも、増税の上、1兆円以上の戦費を拠出した。
しかし、全く世界からは、評価されなかった。
この本によれば、日本の外務省、大蔵省、運輸省が、それぞれの思惑で、ばらばらに動いたことによるものだという。悲しすぎる。
戦争が始まったまさにその日、私は、バハマ行きの飛行機に乗っていた。どうやら無事だった。ただ、その時の、搭乗時のチェックの厳しさは、並大抵ではなかった。あの厳しいチェックを、10年続けていれば、9/11は、起こらなかっただろう。
1991年のシカゴの総領事主催の新年会で、総領事が、日本は90億ドルも拠出しているのだから、何も、恥じることはなく、堂々としてくださいと参加者に言っていたのを思い出す。
後の祭りだっということか。