また関さんの本を買ってしまった。
読む度にもうこれでやめようと思うのだが、本屋に並んでるのを見ると、つい手を出してしまう。
関さんの本の面白いところは、独自の推理(妄想?)が、次々と語られるところ。これは、古代史の醍醐味。
いまいちなところは、前作との重複部分があるとか、あまりにも推理が突飛すぎて、とても学会で受け入れられないだろうと思われる場合があるところか。
いずれにしても、すごい勢いで本を書かれている。
本書で、まずなるほどと思ったのは、諡号というのは、記紀ができた時には、まだなくて、諡号がつけられたのは、奈良時代中期の淡海三船ではないかと考えられていることだ。
そして、その命名時に、記紀で隠された真相のヒントを潜ませたのではないかというお考え。
独自の考えなのかはわからないが、確かにその可能性はある。
記紀については、かなりの事実が改ざんされている可能性が指摘されており、たぶんそれは事実。
そしてそれを探るヒントの一つに諡号があるのではないかというのだ。
確かに、神とか、武とか、トヨとか、タラシとか、よく出てくる名前があるが、その名前を追っていくと、その業績や、性格は、血統図に、共通点が浮かび上がってくる。
それをさらに紐解いていくと、記紀におけるかなりの主要登場人物、重要人物が、実は、同一人物であるを思われてくる。
ありうる?ありえない?
それは自分自身で思索をめぐらすしかない?