かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

熊野古道の旅その3 熊野速玉大社

2015年07月31日 | Other Western Japan


いよいよ、今回の、メインの熊野三山へ。
神倉神社から、権現山に沿って東に向かうと、熊野速玉神社がある。
神倉神社は、今は、速玉神社の末社になっている。



流石、堂々としている。



こちらは、横にある八咫烏神社。
熊野は、八咫烏だらけ?



拝殿が見えてきたかな?



拝殿。
堂々とした、風格のある拝殿。



古代、歴代天皇が、繰り返し、繰り返し、参拝した。



梛のご神木。
寸前に、梛の名を要するお店で会があり、偶然に驚いた。
樹齢、千年と言われる。



宝物館。
上野で見た神像は、展示されていなかったが、当社にまつわるお宝が、しっかり展示されている。



神社を出たら、詩人の佐藤春夫さんの邸宅が公開されていた。
中には入らなかったが、普通の家?



その先に、川原家が4軒。
洪水が多いこの地において、やなそうだったら、すぐ逃げられるお店ということで、かつては、相当数並んでいたという。
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熊野古道の旅その2 神倉神社

2015年07月30日 | Other Western Japan



さて、神社巡りの最初は、神倉神社。たぶん、この辺では一番古い神社。
山全体が、世界遺産になっている権現山の中腹にある。
この川を渡ると、神聖な地に入る。



最初に現れたのが、小さな、滝。
でも台風の後で、水量も多く、涼風が、吹き付けて、最高だ。
マイナスイオンも、いっぱい。



そして、その奥に、石段が現れる。
石段は、ご覧の通り、不揃いで、歩きにくい。
御燈祭りの時は、松明を抱えた人々が、この石段を駆け下りるという。



すべりやすいので、乾いた石段を探しながら、歩かないと危ない。
急なので、かなりたいへん。
583段あるという。



やっと、神社の入口が見えてきた。



この上が、熊野に神々が最初に降り立ったと言われるゴトビキ岩。



ゴトビキは、当地では、ヒキガエルのことをいう。
この巨岩は、かつて磐座だったと言われており、神社が出来る前は、この岩を信仰していたと思われる。
なかなか立派な岩である。



ここからは、新宮市が見下ろせる。
正面が熊野灘で、左が、熊野川。熊野川下流の海の色が、茶色になっているのもわかる。
なかなか印象深い、神社だった。



これは、駅前にあった御燈(おとう)祭りの像。
新宮では、一番有名なお祭りらしく、ポスターに使われている。

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熊野古道の旅その1 新宮

2015年07月29日 | Other Western Japan


そろそろ、熊野古道の旅の報告も。
今回拠点にしたのは、新宮。
熊野三山巡りをバスでという場合は、新宮か、紀伊勝浦がいいが、ホテルは、紀伊勝浦の方がいいことは、行ってから知った。
日本書紀にも記録が、残る、古い街だ。
古い神倉神社から、新しい速玉大社が、できたことにより、新宮になったという。

名古屋で、紀勢線に乗り換え。
単線、ディーゼルとは気付かなかった。
山あり、谷あり、海あり、川ありで、なかなか楽しい列車の旅。
3時間半が、あっという間に過ぎた。
一日ずれていたら、台風で、普通で、昨年秋に続き、 2回連続キャンセルになるところだった。
とにかく、日本一、降水量の多いところを走っている。
ちなみに、大阪からの列車は、台風の影響で、ずっと、不通だった。



着いた日は、まだ梅雨明け発表になっていなかったが、すっかり夏空。
南国らしい駅だ。



泊まったのは、駅前のビジネスホテル。
必要最低限のものはそろっているし、まず、値段が、リーズナブル。
バス停に近いのも、ありがたかった。



駅近くにある徐福公園。徐福は、始皇帝の時代に、不老不死の薬を探しに、熊野に漂着し、ここが気に入り、永住したという。中国の当時の最先端技術を、当地に広めたと伝えられる。
江戸時代に造られたお墓があり、そのお墓を中心に、公園にしたようだ。
中国人の観光客が遊んでいた。



これは、駅前にあった鳩ぽっぽの石碑。
作詞をしたくめさんが、当地の出身という。



これは、大逆事件で、処刑された人々を顕彰する石碑。
当地の出身者が、大逆事件で、処刑されたそうだ。
このころから、日本はおかしくなり、日露戦争を経て、第二次世界大戦に突入していった。



浮島の森。
住宅地の真ん中のジャングルという感じ。
この森は、水に浮いていて、水かさが増すと、位置を変えるという。



ジャングルの中は、散策路が、設けられ、探検できる。
当地の多彩な気候を反映し、温帯から、熱帯の木が生い茂る。
道は、ふわふわし、心もとないが、水に浮いている訳ではない。



この穴に、少女が飲み込まれたという。
底なし沼は、ウルトラQの世界だ。



これは、実は、最終日の写真。
昼を食べようとしたが、地元感のある店が少ない。
うどん中心の店だが、そばを頼んでしまった。
黒っぽくて、すべりが悪い。
関西は、やっぱり、うどんだった。



目当ては、このめはりずし。目を見張るほと大きいから、この名になったという。
確かに、寿司というよりは、おにぎり。
海苔の代わりに、高菜を使っているが、防腐のためか、わさびが効いていて、結構、インパクトのある味だった。
ということで、これから、ぱらぱらと熊野古道の旅を綴りたい。
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聖徳太子は誰に殺された

2015年07月28日 | Books


本書は、関さんの、異端の古代史シリーズ第三巻。

既読感があるが、他の本でも紹介されている説もあるか、他の本の、リバイズ版かもしれない。

卑弥呼の時代と違って、聖徳太子の時代は、記紀に、著されている時代で、そう議論の余地もないように思うが、とんでもない。関さんによれば、ずたずたに、切られ、組み合わされる。
その結果は、凡人には、思いもよらないところとなる。

では、とんでのないかというと、そうでもなく、うなずかされるところも多い。
一番重要なのは、当時の、改革派と、旧守派は、誰だったのかという観点だ。
そうすると、蘇我氏と、聖徳太子は、ダブってきて、そこに物部氏が重なってくる。
それに対抗するのが、後に、権力を握ることとなる藤原氏である。

原書を直接読んでいる訳ではないので、何とも言えないが、記紀以外の周辺の本にその秘密が散りばめられているという。
ストーリーとしては、完結しているので、本書を片手に、聖徳太子の時代に、思いを馳せるのもいいだろう。
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卑弥呼 封印された女王の鏡

2015年07月27日 | Books


関さんの、異端の古代史シリーズ第二弾。
と言っても、前作同様、元の本は、7年前に出てて、それの焼き直し版。
元の本を読んでないので、私にとっては、新鮮味があったけど。

本書は、日本の古代史の一番古い、かつ一番謎の卑弥呼の話。
いつもながら、大胆な説を繰り広げる。

そのきっかけは、日田市の佐々木さんからの鉄鏡に関する情報だった。
今は、東京国立博物館に納められている鉄鏡は、実は、卑弥呼の鏡?
卑弥呼とトヨの関係は?
最後にカゴメ歌まで出てくる。
みな、九州北部のちょっと内陸にある日田近辺に絡んでくる?
偶然かどうかしれないが、松本清張説にも合致する。
記紀に繰り返し出てくる似た登場人物は、実は、同一では?

いろんなことを、深く、考えて行くと、真実に近づくことができたか?

また、九州に行きたくなった。
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