kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ここ最近の流れ

2015-08-26 | 陸上競技
全く書いていないのでどんな事をしていたのか忘れてしまう危険性があります。忘れないようにやった事だけは書いておきます。

ブログを書くのが滞り始めた時からの流れをざっくりと。国体最終予選の1日目は役員となっていたのですが色々とあったので行けませんでした。その日の夕方から山口へ。あれこれ話をしました。「ダメやね~」っていう話。その時その時の最善のアドバイスをもらいながら生きています。この関係があるから今の私がいる。心から感謝。

翌日は役員と会議。これにより丸一日潰れました。ここで卒業生が自己ベスト更新して走る姿を目の当たりにしました。いや、本当に嬉しい。何故調子が戻ってきたのかという話しを聞くと「自主練などで高校時代にやっていた事をもう一度やり始めた」という事でした。これは自信になります。やっている方向は間違っていないというのを証明してくれているのですから。春先にベストを出した時に話しをしたら「加速段階を徹底的に修正した」と言っていました。スタート局面を過去の日誌を見ながら1からやり直したので上手く言ったと。「高校時代の練習があったからこうやって復活できた」と。リップサービスの部分もあるでしょうが(笑)。

この子が走った事を多くの先生方が喜んでくれました。プライベート合宿などで関わりが深い先生方は特に。こういう部分でも「kanekoの所の選手」という目で見てもらっています。私の手は既に離れていますが(笑)。全日本インカレの標準記録突破と国体選手に選ばれました。山口国体以来の代表です。あの時の苦しさがあったから今があるのだと思っています。本当に嬉しく思っています。

あの時、どん底でした。でも、地元出身の社会人スプリンターと国体準備期間の合宿などで様々なアドバイスをもらっていました。思うように走れない中で何をするのか。時には一緒に練習をしてもらったりと懇意にさせてもらいました。その時の卒業生には「県を代表する成年選手になろう」と話していました。少年選手のお手本になるような成年選手に。その流れがあったので少年選手に話しをしてもらう機会を作ってもらいました。苦しんで苦しんできたからわかるものがある。私が話しをするよりももっともっと素直に聞いてもらえるだろう。育てるっていう感覚を持ち続けたいと思っています。

翌日は学校で練習。さらに翌日から国体合宿が二泊三日で実施されました。この合宿にはコーチとして参加。これまでとは異なるかたちの指導も行いました。楽しく指導ができました。かなり専門的な指導ができました。それぞれの課題を克服するための練習です。今回は成年選手と一緒にハードル指導。この選手との関わりはもう10年以上になります。今シーズンで競技に一区切りをつけるとのこと。感慨深いものがあります。かなり練習ができました。短距離系も少し関わりました。技術指導。細かくは省略。きちんとやっていけば変わるというのを改めて感じました。この合宿期間は学校の練習は休み。

合宿終了後、翌日は学校で動きの確認。更に翌日からはプライベート合宿。一泊二日でしたが色々と感じることがありました。まだまだ足りないことがたくさんある。それを改めて感じました。が、そこをどうやっていくかは考えなければいけない。競技力ではない部分。合宿の感想も書かせましたが感じている選手と感じていない選手の差は大きい。これも仕方ないんだと思います。時間をかけないととてもこの合宿の雰囲気についていける話にはならないのかなと。

長くなってくるのでこれくらいで。8月前半ですかね。これまで考えたことのない部分もひたすら考えるようになりました。それは私にとってプラスなんだと信じます。
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変わる

2015-08-25 | 陸上競技
時間をかける。この中でスプリントに必要な動きが変わっていく。ここに関しては様々な考え方がある。どのような形で変えていくのか?走る中で自然と走れるようになる選手もいる。細かくやる必要性があるのかないのかは比較対象がないので比べられない。が、私は「基礎の徹底」が必要だと考えている。漠然とした練習をするのではなくきちんと目的とする動きを目指して計画的に取り組んでいくことで必ず動きは変わる。それを間違いない。

技術的な細かいことは今は書く気にならない。書いてもなかなか理解してもらえないし。この手の技術論を交わすというのは最高に楽しい。が、なかなかそういう機会は少ない。昨日、県外から「練習を見たい」と指導者が来られた。私を訪ねてくるという無謀な計画。何度も「他の所が良いんじゃないですか?」と言ったのだが「是非」ということで。このblogを以前から見ていたそうで興味を持ってもらったとのこと。恥ずかしい。が、これまで私も県外や師匠に多くの事を教えてもらった。それを還元していくというのは必要不可欠な話だと考えている。頼られたらそこに応えるのが今まで育ててもらった恩返しになるから。

人を突き動かすのは「情熱」と「意欲」だと思う。他者批判をしている暇は本当はない。私自身もあれこれあるのでそういう気持ちになる事があるが、そこに時間を使うくらいならもっと建設的な時間を使う方が良いんだと思っている。自分を磨くための時間。今回、O先生が訪ねてくれたタイミングで私が知っている限り最高の練習をしているであろう二人を訪ねた。私の練習のベースになっている指導を見てもらいたいから。そして私自身も勉強になるから。「自分の殻の中で生きる」ことをやめたい。世界は広い。

午前中は師匠の所の練習を見てもらい、午後からはうちの練習を見てもらった。一番最初の段階からずっと見てもらって最後にどうなるのかを見てもらう。うちはまだまだ力がない。これからのチームだと思っている。だから動きを変えていくこと、動きが変わっていくことは目に見えて分かりやすい。丁寧にやっていったが確実に動きの変化はある。だからといって一気にレベルアップするというものではない。残念だが。これから安定させていき少しでも記録が出せるようにしていくためにやっていく。でも走りのコンセプトを明確にして徹底していくことの意味を見てもらえたことは大きな意味があると思っている。技術的な話をひたすらしながら練習を見る。これはすごく楽しい。この部分に興味関心をもってもらえる人がどれだけいるのかは分からない。

偉そうに思われるのかもしれない。が、別にそんなつもりはない。当たり前にやっていることを当たり前に伝えただけ。技術的な変化は必ずある。時間をかけて丁寧に丁寧に繰り返す。その中で変わる。この手の練習形態は県外でもあまりないということだった。私はこれまで教わってきた事をひたすらやっているだけだから今の指導が「スタンダード」になっている。大学のようにメニューだけ決まっていてそれぞれが工夫しながらやっていくというのはできない。今の価値観の中にその指導は存在しない。

実はスプリントだけではない。物事への取り組みも「技術論」と同じだと考えている。最初は分からない事が多いから注意を受ける。それを否定的にとらえるか、自分の事としてとらえていくかで全く結果は変わってくる。どうでもいい事や本質的ではない部分で細かく指導する気はない。そこの意味が分からない指導をしても何も変わらないから。伝えたい事を持っていてそれを陸上競技を通じて伝えている。一つの事に一生懸命になる事で他の部分が変わってくるから。だから否定的に捉えられても細かい事を言う。こちらは「譲れないもの」を持っているから。風見鶏のように周りの意見に流されて向かう方向が毎回毎回変わるようだったら伝えたいものさえもなくなってしまう。「風」にだけ合わせる事はできない。向い風の時も信じた道を進む事が必要だと思っている。

動きは必ず変わる。こちらも変わるための努力をする。手を替え品を替えて取り組む。選手がどうするかは私から強制はできない。やるのもやらないのも結局は選手次第だから。変えるための引き出しをこちらも多く準備しないといけない。そこに意味がある。私自身も同じところで止まっている気はない。毎日が勉強だと思っている。多くの選手の動きを見る事で練習手段が増えてくる。まだまだ改善の余地がある選手の指導からトップレベルで活躍できる選手の指導をする。強い選手だけを見る気はない。万人に通用する動きではなくなるから。少しでも速くなれる方法を見つけていきたい。それはずっと思っている。だから多くの選手を見る事の大切さを考える。

変わる。これは義務ではない。私自身が望むからだ。変われるチャンスはどこにでもある。それを私も生かしたい。技術も取り組みの姿勢も丁寧に繰り返していく事で必ず変わる。

そう思っている。
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考える

2015-08-25 | 陸上競技
繰り返しになりますが更新が滞っています。それでもかなりの数の方がblogを訪問してくださっているのはありがたいことですね。blogを更新したらFacebookで「通知」できるようにしています。そこから見てくれている方もかなりいるようです。Facebookを除いて更新されているかどうかを確認するために訪問してくださる方が200人弱。更新した時には250人くらいが見てくれています。ありがたいですが怖い部分もあります。

言葉が一人歩きしてしまう。それは避けたい。そして私の行動の一つ一つを取り上げられる可能性がある部分です。それだけでもあれこれ言われる可能性があるのに。多少は慣れてきた部分もある。同じ行動をしても他の人であれば許されるが私だと批判の対象になる。ここも最近の中で一番の疑問だった。目立つ行動をとることになるのでやはり批判を受ける。まーそれがどうなのかという話です。

先日、頼まれて指導をすることがあった。そのタイミングで他の選手の指導をした。大学生が技術指導を受けたいと言ってくれたから。メインは一番最初に頼まれた選手の指導だったが、どうせなら一緒にということで。卒業生も同時に指導することにした。あえてこれまでは書かなかった。一応、全ての関係者に了承を取ってやっている。大学生だって細かい動きを修正したいという気持ちはある。でもどうしたら良いのか分からなくてもがいている。それに手助けをすることは「悪」だろうか。本人はすごく喜んでくれた。一応指導者の了承を得ているのだけは書いておく。「勝手にやっている」わけではない。

この手の話を親しい人に何度かしてみた。明らかに私の行動が常軌を逸しているのであれば考え直さなければいけないからだ。でも比較的「どこでもやっていること」であった。異なるカテゴリーの選手の指導を関係者の承諾を受けて行う。これは頻度の問題になるのかもしれないが「少しでも改善したい」と望んでもらえたことに対して批判されることは本当に「正義」なのか。私の考え方が完全な「悪」であれば仕方ないと思う。が、他の人が同じことをしても許されるのに私がやった時だけ批判をするというのは受け入れがたい。まー人の感情とういうのはそんなものなんだろうなと思う。

走って走って強くなる道もある。それならそれでも良いじゃないか。誰からも否定される話ではない。しかし、私には私の指導スタイルがある。少しずつ積み重ねていく。大切なのは「形」ではないと思っている。が、人によっては大切なものは「形」なのだ。それをここ数ヶ月で痛感した。だからこちらもそういう部分での「形」にはこだわろうと思う。少しずつ心が狭くなるので他の人から技術的な話を聞かれても答えなくなるかもしれない。だって教える必要はないのだから。

とはいえ、結局聞かれたら答えるんだろうなって思う。1か0かだけで物事は考えられないだろうから。ここは自分の中での葛藤。もっとドライになっても良いのかなって考えている。

言葉を選びながら書いた。この程度の考え方を示すのにどれだけ気を使えば良いのか分からない。一人の人間として主義主張を持つことは当然。それを公表するかどうかは別として。あまりにもあれこれ言われるのであれば本当にblogは閉鎖する。メンバー限定にして理解してもらえる人にだけ細かいことを記す方が楽だから。
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テンション下がる

2015-08-22 | 陸上競技
先日からテンションが下がっていました。さらに下がることが。国体合宿の時に指摘されて気づいたこと。ふくらはぎに「静脈瘤」ができていた。これまで全く気づかなかった。病院に行った方が良いと勧められたので同僚に相談。信頼できる病院だった。

一目で患部を指摘された。ふくらはぎに問題かあるのではなく大腿部にある大きな静脈に原因がある。逆流を防止するためにある弁が機能していなくて時々逆流をしているとのこと。そのためふくらはぎに影響が出でいる。早くに手術をした方が良いと勧められる。

言われるまで全く気にならなかったのにこの1週間は随分気になっていた。痛みは無いがすでに痛い気になってきた。単純。そして不安になったので早めの手術を受けることにした。日帰りでできるらしい。が、2回に分けての手術をする方が良いだろうと言われたのでそれに従うことに。

自分のプライベート時間を削って生きてきた。それでも良いと思っていたけど気がついたら身体にダメージが残っていた。ずっと元気なんだろうなって思っていたのに。自分の時間をどう使って生きるのかって考えさせられた。本当はもっと自分のやりたい事をやって生きた方がいいんじゃないかって。これまでそこまで考えた事はなかった。自分の身体に何かしらの兆候があって初めて考えた。

いつまでも陸上競技と関われるわけではない。それだけは確か。今回の手術はきっと無事に終わるだろう。ドクターを信頼するしかないから。そんなに大きな病気ではないのだろう。でも考えさせられる要因の一つではある。自分の人生をもう少し考えてみても良いのかなって気になる。だっていつまでも身体が動いて指導ができるわけではないのだから。

少し不安はある。でも早めに手術を受ける事で問題は小さくなるだろう。

ひとまず記録しておく。
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色々と考える

2015-08-20 | 陸上競技
まーとにかくblog更新が滞っています。そこに気持ちが向かない。私もあれこれと考える事があるのです。

その中でやはり「価値観を変えていく事の必要性」を感じました。これまで当たり前だと思っていた事がなかなか通用しない事がある。競技としてという部分ではない事を考えないといけないんだって事が分かった。「強くなりたい」という言葉、ここには「大きな格差」が存在している。日本一になりたいと思う選手が考える「強くなりたい」もあれば普通に生活してる者が「強くなりたい」というのではやはり中身が変わってくる。ここを一律に考えたらダメなんだと思う。

0.01秒速くなる。これを目指す。1秒速くしてからの0.01秒なのか現時点からの0.01秒なのか。そこによって求める事、求められる事は全く違ってくる。私が考える「強くなる」というのは価値観として全員に共有するのは難しいことなのだと思う。世の中にはその価値観を理解してくれる人もいる。が、全く理解できない人もいる。万人に理解してもらえていると勘違いしたらダメなんだと思う。それが分かってきた。

「陸上部」でやる。「陸上競技部」でやる。同じですかね?私は違うと思っています。たかが高校の部活動。されどここにおいて人は大きく成長をする。が、そこに価値を見出すかどうかは人によって異なる。感受性が違うと全てのモノの見方が変わってくる。万人に受け入れられる指導は私にはできない。そこを考えると発言さえできなくなる。指導できなくなる。それで本当に良いのか?私には判断ができない。周りの目を気にしながら指導するくらいなら「勤務時間だけ義務的に指導する」ことも法律的には問題ないと思っている。真剣に。これを否定する権利は誰にもない。

一方的に意見の主張をするつもりはありません。が、考えを示すことは否定される事ではない。誰かを否定しているわけでもなんでもないから。私の価値観や考え方が全て正しいとは思わないし、私はそれほど完璧に生きていく事はできない。だから今思う事を書く。

短いですが。少しだけ書いておきます。
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本気

2015-08-18 | 陸上競技
打ちのめされる。これは大切な要素だと思う。表面的にだけではなく本当の意味で。その中で初めて感じることがある。それを避けていたら何も生み出さない。「物事を性急に変えることの危険性」について諭される事がある。確かに言われる通り。反省すべき点もたくさんある。ここはきちんと受け止めないといけない。

が、ぬるま湯の中で何かをしていたら「打ちのめされる」経験は絶対にない。それはそれで良いのかもしれない。そこまでする必要はないと感じる者もたくさんいるだろうから。ここは難しい。「本気でやる」という感覚。それは「本気でやった者にしかわからない」と思う。その感覚がなければ共通の話はなかなかできない。極端な事を言えば「言語が異なるのに同じ話をしようとする」のだから。

合宿に参加させてもらった。この事に対してどう感じるかは分からない。「行きたくないのに」「キツイことをやらされた」と感じるかもしれない。でも、本気でやらないと見えないモノがある。あれこれ言っても実際に経験しないと分からない部分。これを経験させるのが私の役割だとずっと考えていた。それは正しいかどうかは分からない。

綺麗事ではない。言葉で伝えても実際にやらないと分からないことがある。同じことをやっても「イヤだ」と思ってやれば効果は出ない。もちろん、キツイ練習が好きな選手はいない。でも「強くなるためには避けられない」と思ってやれるかどうかなんだと思う。それを全員に求めるのは無理だと思う。分かってる。あえて求めない方法もあるんじゃないかと思っている。

考えることはある。言葉を選びながら記しておく。
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基本に帰る

2015-08-17 | 陸上競技
走りを考える。これは楽しい。が、これだけをやるつもりはない。国体合宿なとでは「技術指導」に特化するのが当然だと考えている。そのための時間だから。

プライベート合宿などはまた別の意味がある。これはまたいつか書く。blog書くことが楽しくなくなってきているのでいつの日にか書くかもしれない。書かないかもしれない。

基本的なこと。やはり原点に帰るって大切なんだと思う。その中で何をしていくか。特別な技術指導はない。それぞれのカテゴリーに合った指導がある。「強くなることを楽しみにしている」と言ってもらえる。それで十分なのではないかと。全員がそれを求めているかはわからない。それでも今はある程度指導に関しても自信が持てるようになっている。どこに基準を置いて指導をするかだと。

先日大幅自己ベストを更新した選手と話をした。何故復調したのか。「高校時代にやっていたことをもう一度きちんとやるようにした」とのこと。良い仲間に支えられながら原点に帰ったのだと。足運びを徹底したので様々な部分が改善された。純粋に楽しく走れているようだった。すごく良い表情をしている。こちらが嬉しくなる。

こういう部分に関わりたい。そう願う事が悪だと言われるなら指導をする事の価値を見出す事は出来ない。やはり自分自身の中でも原点に帰りたい。「強くなりたいと願う選手に指導をしたい」という部分。「強い選手に指導をしたい」というのとは言葉は似ているが価値観が全く違う。これまできちんと関わって来た人には分かってもらえると思う。分かってもらえない人には分かってもらえないと思う。

基本に帰る。本気でそう思う。そしてその必要性を感じる。楽しくやりたい。それだけ。楽しくない事をやらされるのは人格の否定につながるのでやりたくない。

それだけだと思う。
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基礎の大切さ

2015-08-16 | 陸上競技
書きたい事があるのですが、言葉を選びながら書くのは疲れる&時間がかかるのです。

基礎の重要性。これを改めて感じました。本当に。嫌だなって思う事もたくさんありますが、「本当に良かった」と思う事もある。嫌だと思う事を大きく上回るレベルで。どちらが大きいか。分かりません。何度も書いていますが、強制されるならやらなくても良いと思っています。私自身が楽しくできないと。

基本は大切。そう思います。知らない人が多くいるのですが。走ってたら速くなる。まーそれはそれで真だと思います。

まーなんとなく書いておきます。
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生きる権利の主張

2015-08-14 | 陸上競技
ちょっとバタバタしすぎている。blogの更新は滞る。まーこれに関しては私の自由だと思うので。書く気にならないなっていうのもあったから。そこまでの時間を確保するのも難しかったし。書いた内容であれこれ言われるのも面倒だなって最近はずっと感じているから。あまりにも面倒になったら本当にに辞めます。まー勝手に始めたんだから辞めるのも誰かの許可を得る必要はないし。

様々なカテゴリーの選手を指導する。楽しいなって思う時もあればそうでもない時もある。なんか本当に今後の指導について考える事がある。いや、楽しくなければ指導する義務はない。誰かから命じられて指導をするわけではないから。部活だろうがクラブチームだろうが私が「楽しい」と思わなければやる必要はないと考えている。こんな話しをすると嫌らしいと思われるかもしれないが「職務」ではないから。これが私の主たる業務であり、ここで給与を受けているなら「嫌でもやる」というのは対価を得るための必要な労働となる。が、別にここで生活をしているわけではない。自分が「やりたい」と思えばやるし、「やりたくない」とおもえばやらなくて良い。命じられてやる職務ではないから。法的に考えたらこんな話はありえない。

なんか自分で勝手にクラブチーム作っても良いのかなっていう気分になる。これに関しては様々な批判を受けるだろうが、結局何をやっても批判は受ける。だったらそこは気にしても仕方ないんじゃないかって。ある大学生を指導した。その中で「陸上教室、定期的にやってもらえないですか?」と言われた。今の日程ではなかなか難しい。が、数年分の指導を1日でしてもらった気がするって言われたらこちらとしても「嬉しいな」って思う。そこが指導をする一番の原点なんじゃないかって感じた。私自身が「楽しい」って思わなければそこに価値はない。

私も1人の人間。意思も感情もある。やりたい事をやるって部分を大切にしたい。大学生の指導をしてすごく楽しかった。私が大切にしている選手を一番近くでずっと支えてくれていたらしい。陸上が好きで好きでたまらないらしい。そんな選手から「陸上教室やって欲しい」って言われたらこちらとしても応えないわけにはいかない。毎日できるわけではないけど。実際は出来ないのは分かっている。あれこれ言われるから。でも、そこって私の意志でなんとでもなるんじゃないかなって。

勤務時間が終われば本来であれば何も強制されるわけではない。土日は休みだ。朝も夕方も私の「好きなように使える時間」だ。これまでとは違う生き方も本当はあるんじゃないかって思う。実際に難しいのは分かっている。でも人によっては無給の残業をする必要はないと感じる人もいる。当然の話しだ。誰かに私の生きる権利を奪う事が出来ますかって。

こんな書き方をしたら批判を受けますか?自分のために生きたらそれは「悪」だと批判されますか?!私は自分がやりたいと思う事をやりたい。別に特別何かがあったとは思っていません。でも自分自身の生き方について考えることはある。私には「権利」は存在しない?誰かのために自分自身の人生の時間を浪費しくはない。本気でそう考えるようになりました。

色々と考える事があります。考える権利を誰からも侵害されないと思います。価値観。これは誰からも侵害されるものではない。生きる権利を主張して批判されるなら私も私で考えます。

大学生と関わって本当に楽しかった。あれこれ感覚を確認しながら進めていけたので。この感覚を忘れたくない。本気で。

自分自身の価値観についてちょっと考えます。不適切な記事だと言われますか?でも削除する気はありません。権利の主張を批判される事はないから。労働者としてきちんと働いています。職務はきちんと果たしています。

雑文ですかね。考えさせられます。
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少し

2015-08-12 | 陸上競技
卒業生と会って久々に雑談をしました。

楽しいなって感じることがたくさんある。こういう価値観の共有ができるって本当に幸せだなって感じる。

また書きます。多分。
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