時間をかける。この中でスプリントに必要な動きが変わっていく。ここに関しては様々な考え方がある。どのような形で変えていくのか?走る中で自然と走れるようになる選手もいる。細かくやる必要性があるのかないのかは比較対象がないので比べられない。が、私は「基礎の徹底」が必要だと考えている。漠然とした練習をするのではなくきちんと目的とする動きを目指して計画的に取り組んでいくことで必ず動きは変わる。それを間違いない。
技術的な細かいことは今は書く気にならない。書いてもなかなか理解してもらえないし。この手の技術論を交わすというのは最高に楽しい。が、なかなかそういう機会は少ない。昨日、県外から「練習を見たい」と指導者が来られた。私を訪ねてくるという無謀な計画。何度も「他の所が良いんじゃないですか?」と言ったのだが「是非」ということで。このblogを以前から見ていたそうで興味を持ってもらったとのこと。恥ずかしい。が、これまで私も県外や師匠に多くの事を教えてもらった。それを還元していくというのは必要不可欠な話だと考えている。頼られたらそこに応えるのが今まで育ててもらった恩返しになるから。
人を突き動かすのは「情熱」と「意欲」だと思う。他者批判をしている暇は本当はない。私自身もあれこれあるのでそういう気持ちになる事があるが、そこに時間を使うくらいならもっと建設的な時間を使う方が良いんだと思っている。自分を磨くための時間。今回、O先生が訪ねてくれたタイミングで私が知っている限り最高の練習をしているであろう二人を訪ねた。私の練習のベースになっている指導を見てもらいたいから。そして私自身も勉強になるから。「自分の殻の中で生きる」ことをやめたい。世界は広い。
午前中は師匠の所の練習を見てもらい、午後からはうちの練習を見てもらった。一番最初の段階からずっと見てもらって最後にどうなるのかを見てもらう。うちはまだまだ力がない。これからのチームだと思っている。だから動きを変えていくこと、動きが変わっていくことは目に見えて分かりやすい。丁寧にやっていったが確実に動きの変化はある。だからといって一気にレベルアップするというものではない。残念だが。これから安定させていき少しでも記録が出せるようにしていくためにやっていく。でも走りのコンセプトを明確にして徹底していくことの意味を見てもらえたことは大きな意味があると思っている。技術的な話をひたすらしながら練習を見る。これはすごく楽しい。この部分に興味関心をもってもらえる人がどれだけいるのかは分からない。
偉そうに思われるのかもしれない。が、別にそんなつもりはない。当たり前にやっていることを当たり前に伝えただけ。技術的な変化は必ずある。時間をかけて丁寧に丁寧に繰り返す。その中で変わる。この手の練習形態は県外でもあまりないということだった。私はこれまで教わってきた事をひたすらやっているだけだから今の指導が「スタンダード」になっている。大学のようにメニューだけ決まっていてそれぞれが工夫しながらやっていくというのはできない。今の価値観の中にその指導は存在しない。
実はスプリントだけではない。物事への取り組みも「技術論」と同じだと考えている。最初は分からない事が多いから注意を受ける。それを否定的にとらえるか、自分の事としてとらえていくかで全く結果は変わってくる。どうでもいい事や本質的ではない部分で細かく指導する気はない。そこの意味が分からない指導をしても何も変わらないから。伝えたい事を持っていてそれを陸上競技を通じて伝えている。一つの事に一生懸命になる事で他の部分が変わってくるから。だから否定的に捉えられても細かい事を言う。こちらは「譲れないもの」を持っているから。風見鶏のように周りの意見に流されて向かう方向が毎回毎回変わるようだったら伝えたいものさえもなくなってしまう。「風」にだけ合わせる事はできない。向い風の時も信じた道を進む事が必要だと思っている。
動きは必ず変わる。こちらも変わるための努力をする。手を替え品を替えて取り組む。選手がどうするかは私から強制はできない。やるのもやらないのも結局は選手次第だから。変えるための引き出しをこちらも多く準備しないといけない。そこに意味がある。私自身も同じところで止まっている気はない。毎日が勉強だと思っている。多くの選手の動きを見る事で練習手段が増えてくる。まだまだ改善の余地がある選手の指導からトップレベルで活躍できる選手の指導をする。強い選手だけを見る気はない。万人に通用する動きではなくなるから。少しでも速くなれる方法を見つけていきたい。それはずっと思っている。だから多くの選手を見る事の大切さを考える。
変わる。これは義務ではない。私自身が望むからだ。変われるチャンスはどこにでもある。それを私も生かしたい。技術も取り組みの姿勢も丁寧に繰り返していく事で必ず変わる。
そう思っている。
技術的な細かいことは今は書く気にならない。書いてもなかなか理解してもらえないし。この手の技術論を交わすというのは最高に楽しい。が、なかなかそういう機会は少ない。昨日、県外から「練習を見たい」と指導者が来られた。私を訪ねてくるという無謀な計画。何度も「他の所が良いんじゃないですか?」と言ったのだが「是非」ということで。このblogを以前から見ていたそうで興味を持ってもらったとのこと。恥ずかしい。が、これまで私も県外や師匠に多くの事を教えてもらった。それを還元していくというのは必要不可欠な話だと考えている。頼られたらそこに応えるのが今まで育ててもらった恩返しになるから。
人を突き動かすのは「情熱」と「意欲」だと思う。他者批判をしている暇は本当はない。私自身もあれこれあるのでそういう気持ちになる事があるが、そこに時間を使うくらいならもっと建設的な時間を使う方が良いんだと思っている。自分を磨くための時間。今回、O先生が訪ねてくれたタイミングで私が知っている限り最高の練習をしているであろう二人を訪ねた。私の練習のベースになっている指導を見てもらいたいから。そして私自身も勉強になるから。「自分の殻の中で生きる」ことをやめたい。世界は広い。
午前中は師匠の所の練習を見てもらい、午後からはうちの練習を見てもらった。一番最初の段階からずっと見てもらって最後にどうなるのかを見てもらう。うちはまだまだ力がない。これからのチームだと思っている。だから動きを変えていくこと、動きが変わっていくことは目に見えて分かりやすい。丁寧にやっていったが確実に動きの変化はある。だからといって一気にレベルアップするというものではない。残念だが。これから安定させていき少しでも記録が出せるようにしていくためにやっていく。でも走りのコンセプトを明確にして徹底していくことの意味を見てもらえたことは大きな意味があると思っている。技術的な話をひたすらしながら練習を見る。これはすごく楽しい。この部分に興味関心をもってもらえる人がどれだけいるのかは分からない。
偉そうに思われるのかもしれない。が、別にそんなつもりはない。当たり前にやっていることを当たり前に伝えただけ。技術的な変化は必ずある。時間をかけて丁寧に丁寧に繰り返す。その中で変わる。この手の練習形態は県外でもあまりないということだった。私はこれまで教わってきた事をひたすらやっているだけだから今の指導が「スタンダード」になっている。大学のようにメニューだけ決まっていてそれぞれが工夫しながらやっていくというのはできない。今の価値観の中にその指導は存在しない。
実はスプリントだけではない。物事への取り組みも「技術論」と同じだと考えている。最初は分からない事が多いから注意を受ける。それを否定的にとらえるか、自分の事としてとらえていくかで全く結果は変わってくる。どうでもいい事や本質的ではない部分で細かく指導する気はない。そこの意味が分からない指導をしても何も変わらないから。伝えたい事を持っていてそれを陸上競技を通じて伝えている。一つの事に一生懸命になる事で他の部分が変わってくるから。だから否定的に捉えられても細かい事を言う。こちらは「譲れないもの」を持っているから。風見鶏のように周りの意見に流されて向かう方向が毎回毎回変わるようだったら伝えたいものさえもなくなってしまう。「風」にだけ合わせる事はできない。向い風の時も信じた道を進む事が必要だと思っている。
動きは必ず変わる。こちらも変わるための努力をする。手を替え品を替えて取り組む。選手がどうするかは私から強制はできない。やるのもやらないのも結局は選手次第だから。変えるための引き出しをこちらも多く準備しないといけない。そこに意味がある。私自身も同じところで止まっている気はない。毎日が勉強だと思っている。多くの選手の動きを見る事で練習手段が増えてくる。まだまだ改善の余地がある選手の指導からトップレベルで活躍できる選手の指導をする。強い選手だけを見る気はない。万人に通用する動きではなくなるから。少しでも速くなれる方法を見つけていきたい。それはずっと思っている。だから多くの選手を見る事の大切さを考える。
変わる。これは義務ではない。私自身が望むからだ。変われるチャンスはどこにでもある。それを私も生かしたい。技術も取り組みの姿勢も丁寧に繰り返していく事で必ず変わる。
そう思っている。