kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

新春合宿~1日目ミーティング~

2024-01-08 | 陸上競技

合宿のことを。

今回の合宿では真面目に食事の後にミーティングを行うことになっていました。kjhr先生の強い要望でした。合宿で宿泊すること自体が大幅に減っている。更に単独ではなく複数の学校で一緒に宿泊するというのはもっとない。集団生活をするということの中でも必要な要素なのかもしれません。

今回のミーティングは3段構成にしていました。私の方から「勝つため」というテーマで話をする。そのあとにnonoさんから「日本一を目指して」というテーマで。最後に「試合のW-up」という実践的な話を。最後の部分はできるだけ話をしたくないなと思う部分がありました。これによって競技結果が大きく変わるからです。まー今の県内の状況であれば話をしてもあまり関係ないかもしれませんが。

ミーティング開始時に数名来ません。あり得ない。本当にギリギリに来ましたが。話を聞くと2度目のお風呂に入っていたとのこと。時間を見てまだお風呂に入っていない選手もいます。ここ最近ずっと言っていますが、「別にやらなくていい」のです。私自身がこの場でミーティングをしたところで何か見返りがあるわけではない。要望があるからやっているだけ。「約束事が守れない」という人に対して何故私が自分自身の時間を消費して対応しなければいけないのか。だからといって激怒することはありません。もうどうでもいいからです。冷たいと思われるでしょうか?無責任だと言われるでしょうか?何ら見返りもなく私だけが疲弊するのはどう考えてもおかしい。「やれ」と求められるのに何も戻ってこない。「金銭的見返り」があるなら我慢してやるのかもしれません。そこに責任が生じるからです。しかし、「善意」で何かをすることを「当然」だと言われるのは間違っている。だからやらない。それだけです。

最初の話は10分程度。「どこで勝つのか」という話。それぞれの競技力に合わせて「勝つ」場面を考える必要があると思います。IHに行くことだけがすべてではない。目標が「支部大会」で勝つというのでも良いと思います。何とか「支部大会」で順位を確保して「県総体」に出場したい。そこに対して本人が最大限の力で進めるのであれば私は応援します。とりあえず「県総体」に出ればいいやという形であれば自分で勝手にやっても行けるでしょうし。「県総体」「中国大会」「IH」という様々な大会がある。「勝つ」という基準が「県総体で優勝」かもしれないし、「県総体で6位以内に入って中国大会へ」という部分かもしれない。自分達が決めた「基準」の中で「勝つ」ことを定義すればいいと思っています。

どちらにしても「優勝」する選手はそれぞれの大会で1人だけです。それ以外の選手は全て「負ける」ことになる。「負ける」選手は競技をやる意味がないのか?それは違うと思います。「負ける」ことから学ぶことは多いと思います。「Good Loser」という考え方。「負ける」ことを恐れずにそこに向けて「やれることは全てやった」と言い切れるだけの努力をすることができるかだと。ここに「価値」があるのかなと思っています。

嫌いな言葉についても話をしました。どうしても使ってしまうのですが私は「頑張る」という言葉が嫌いです。できるだけ使わないようにしています。無意識に使ってしまうのですが。ここも具体例を挙げながら。これまで「2」しか努力してこなかった選手が「4」やるようになる。これにより「自分はこんなに頑張っている」という話になります。これまでの倍やっているのだから。同じく「6」やっていた選手が「8」やるようになる。こういう選手は「まだ足りない」と感じています。もっとやらなければ結果につながらないと考えるから。同じ「2」増えたとしてもその「内面」には大きな差があります。
「頑張る」という言葉は比べる基準が「過去の自分」でしかないのです。本当に必要な「努力」という部分とは異なり、「これまでやってきたこと」を基準に比べることになる。だから勝手に満足してしまうのだと思っています。本当はもっとできる、もっとやらなければいけないのにそこに目が向かずに「やっている」という満足感に目が行く。この状況で本当に「勝つ」ことができるのか。大切なのは「自分にできることを最大限やり続けること」だと思っています。難しい話なのかもしれません。それでも「考え方」自体が変わらないと何をやっても変わりません。

この話をしてからそのままnonoさんの紹介に移りバトンタッチ。そこからnonoさんに「日本一を目指して」というテーマで話をしてもらいました。彼女の努力は半端ないものがありました。自分自身で追い込みすぎてしまうくらいの努力。時々悪い方向に進んでしまう(やりすぎてしまう)ので身体のダメージが大きすぎるのですが。それだけストイックになれる選手はほとんどいません。だからこちらも応援したくなる。

中学校時代に「結果が出せなかった」ということから「自分に何が必要なのか」と考え始めた(この時点ですごい話ですが)。自己分析をして行く中で「自分自身を知る」ことをした。「性格」「得意」「苦手」の3つの要素から自分自身を分析していき、それぞれをどのように競技に生かすかを考える。その結果が様々な場面に結びついていく。「得意」を伸ばすための練習、「苦手」を克服するための取り組み。それができるから強くなっていったのだと思います。誰かから何かを強制されたわけではなく「自分のために」やることができた。ここは大きな部分だと思いますね。

最後に「試合のW-up」についての話。「普段の練習」「調整練習」「試合当日」の違いについて。ここに関してはかなり大事な情報だと思っています。ある程度指示をしていましたが県総体の400mの準決勝で全く走れない。確認をすると「流し1~2本」しかアップをしていないことが判明。衝撃でした。この期に及んでこのレベルだったのかと。さもありなん、でしたが・・・。この反省を生かして中国大会では詳細なアップメニューを作成。ここまでする必要があるのかというくらいの話でしたが。これがなければIHに進むことは絶対に無理だったと思います。それくらいの内容です。

「もう1本走っておきたい」と調整練習や当日練習で言う。これは間違いなく「不安」の現れです。やることによって安心感を得たい。しかし、それは疲労度が増すだけ。メリットはありません。バトン練習でも見ていると「合わない」ので「合う」までやる。計画性がない。まーそんなレベルの話をしているわけではないので絶対にやりません。「合わない」のであればその理由を明確にしていけばいい。日ごろからその部分に対して準備をしておけば関係ないからです。

更には1次アップと本アップ、ラウンド間のアップ。アップ終了後の過ごし方、栄養補給、レース間の過ごし方、レースが始まるまでにどのようにするかなど。更にはアップの時の条件なども踏まえて。長距離の選手も聞いていたのですが実はどの種目でも同じではないかなと思っています。詳しくは割愛しますが。何故アップをするのかを考えたときに必要な要素は見えてくると思います。予選から勝負をしないといけないときにどのように刺激を入れるか。余力が出てきたときに予選をどのように戦うか。

練習で何本も何本も走る必要はないと思っています。理由は明確です。1本走ってから次に走るまで基本的には1時間以上空くからです。10分のレストで5本走るなどはそこまで重要な練習ではないと考えています。「中距離的な練習」にはなりますが、それが実際のレースで生かせるのか。最優先事項は「最大出力」を上げて狙ったレースで「力を出す」ことだと思っています。そのための準備をするのが「普段の練習」であり、試合での力の発揮とは全く違う形でやっても意味はないかなと。

まーどうでもいい話をダラダラ書いてしまいました。興味がある人がいればまた書きたいなとは思います。これを何も見返りなく準備して提供したというのはなかなかのことだと思っています(笑)。かなりの時間をかけましたし。それがどのように選手に立ちに伝わるかですね。

また書きます。たぶん。

コメント
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