kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

日曜日

2011-11-29 | 陸上競技
前日に免許更新講習がありました。かなりの疲労感が体中にありました。仕方ない部分ですが・・・。この日は中国駅伝が実施されていました。役員申請があった時に私は免許更新講習と重なっていると思い違いをしていたため手伝うことができないと断りを入れていました。意図的に断ったのではなく完全に勘違いです(笑)。そのためこの日は完全フリー。残念ながら子供たちはバスケの試合&1日練習だったので不在。私と一番下の息子が2人で留守番ということになりました。最近、息子と2人で過ごすことが多い気がしますね。

前日に選手が走りがいまいちだったの日曜日に見てもらいたいという申し入れがありました。少しずつ自分で「強くなるために」というのを考えることができ始めたのではないかという感じですね。子供の仮面ライダーが終わってから学校に行って少しだけ練習を見ることに。もちろん、息子も一緒です。先日怪我をしていたのですがここ数日間、かなり元気になってきた感じがあります。もう全快に近いのではないかと感じています。幼稚園ではまだ運動禁止となっているのでひたすら塗り絵をやっているということでした。こういう作業が好きなので問題はないと思うのですが、かなりエネルギーを発散しないといけないような状態だと思いますね。練習を見ながら二人でサッカーをしようということに。転んだら怖いなという気持ちはありましたが、ここまできたらもう同じかなと。かなり元気になっていますから問題なしですね。この子の運動能力はかなり高いのではないかと感じています。親ばかです(笑)。

練習は本当に軽く。動きの確認が中心です。比較的速く動くようになってきたとは思うのですがどうも動きのタイミングと重心の移動が不十分です。この部分は強制的に動かさないとダメかなと思っていたのでトゥトレを2本だけやることにしました。他の者も1人だけ手伝わせました。この子も最近は意識レベルが上がっていますから、来年の春には大きく成長しているのではないかと思います。もちろん、まだまだ波があるので戦えるレベルまでは行っていませんが。無理やり重心を進める感覚を作ってそのあと自分の走りをさせました。1本目はまだまだ動きが緩慢だったので、次は意識するポイントを明確にして行わせました。今やろうとしていることが少しずつ身についてきてはいます。時間がかかるとは思いますが少しずつやっていく以外にはありません。最後の1本はかなり良かったですね。流れができてくると面白いと思います。無理はせずにここで終了。優先事項は期末考査に向けての勉強ですから。

その後、私は冬期練習のために必要になるであろう防寒着をネットで検索。息子と一緒に近くのスポーツ店で2時間近く過ごしました。自分のためではなく選手のためです(笑)。バイオギアのような身体に密着したアンダーウェアである程度は寒さはしのげると思いますが、実際に走ると寒い。そこで今年はウインドブレーカーシャツ(ピステ)を安く購入しようと考えていました。風を通さなければかなり寒さは耐えられるはずです。学校のウインドブレーカーでも対応できるのかもしれませんが走るときに着ておくには重すぎます。以前、うちの選手が着ていたのでどうなのかを確認すると走りやすいということだったので購入することに。負担が大きくならないようにできるだけ安いものを探しました。練習効率を上げていきたいと思います。
ピステ、陸上用は非常に少ない。ネットで探してもほとんど数が見つからない。仕方なくあきらめてサッカー用で検索。これも数が少ない。良いのがあったと思ったら他校の選手が買っていったというので諦める。結局バレーボール用にピステを見つけました。これが値段的に一番手頃で購入しやすいのではないかと。1着を毎日来て週末に洗うくらいでいいのではないかと考えています。どうせジャージも毎日着ているのですから(笑)。

その後は子供とかるた遊びをしたりなんだかんだやって1日が終了。娘はバスケチームを変わったのですが、新しいチームで試合に出してもらうことができて大会で優勝できたとのこと。息子も同じチームでバスケを始めました。これも楽しくやっているようです。小学生はとにかくスポーツに親しんでくれたらいいなと思っています。バスケにはまっていく危険性が高いのが心配(笑)。

なかなか充実した1日でした。
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要精密検査

2011-11-29 | 陸上競技
> ここ最近、ずっと疲れが抜けません。最近といっても今年だけではなくここ数年なのですが。実は以前から肝臓のγ‐GTPの値が高いのです。これは肝臓の状態を示す値です。最初に健康診断で引っかかった時には真面目に治療しようと思って病院に通っていましたが、時間的なことがあっていつの間にか行かなくなっていました。これはこれで問題ありなのかなという気はしていましたが・・・。健康診断の結果が出てからしばらくすると忘年会が実施されるので結局そこで飲んでしまう。危機感が不足していますね。最初は断っていたのですがなかなか断り続けることが出来ません。


> 肝臓の値が高いとかなり身体がしんどい。以前同僚で同じようにγ‐GTPの値が高い人がいましたが、身体がだるく少し動くとぐったりするということでした。点滴を打ったり薬を服用して対処していたみたいですが、休息時間は休養室で休んでいる姿を見かけていました。当時私はそこまでしんどいという感じはなかったのですが、ここ最近はぐったりしていて帰ったらすぐに横になるという感じがありました。休みの日は昼寝をしないと身体が持たないといった感じでした。バタバタしているからこれだけしんどいのだろうと勝手に判断していました。

昨日、11月の頭にあった健康診断の結果が返ってきていました。γーGTPの値が何と386ありました。これだけではどうなのか分からないと思いますが、基準値が55です。7倍近くオーバーしている事が判明。さすがしんどいはずです。この状態で生活をしていく勇気ありません。この数値をみた瞬間からかなり具合が悪くなってきました(笑)。病いは気からという固定という言葉は本当です(笑)。

外に出た時にはそれなりに飲みますが、日常生活では缶チューハイを1本飲む程度です。飲み過ぎという事はないと思っています。もともと肝臓が弱いのかな~と勝手に思っていますが、さすがにこのままではまずいだろうと思い、一応検査を受けに行こうと判断しました。職専免で病院に来ました。これで今の身体のだるさが治まると全然違うと思います。。想像している以上にダルさが続いていましたから。

注射されるのかな(-_-;)。待ちます。
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スイミーについて考える

2011-11-29 | 陸上競技
先日の講習の中で「スイミー」について話がありました。国語教育におけるスイミーの話です。これは小学校2年生の国語の教科書に掲載されているものです。ほとんどの人が見たことがあるのではないかと思います。うちの子どもの教科書には掲載されていなかったのでWikipediaからあらすじを紹介します。

あらすじ

スイミーは小さな魚。

ただ、兄弟がみんな赤い魚だったのにスイミーだけは真っ黒な小魚だった。

泳ぎも得意であり速かった。

大きな海で暮らしていたスイミーと兄弟たちだったが大きなマグロに兄弟を食べられてしまい、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。

兄弟を失ったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす兄弟そっくりの赤い魚たちを見つける。

スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。

そこでスイミーはマグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。

かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。

Wikipediaより

スイミーと聞いたら何となく思い出します。弱いモノが力を合わせて大きな魚に立ち向かう。協力の大切さなどがイメージしますね。今の私は簡単な物語を読みながら作者の意図するモノを読みとろうとします。本を読むというのはそういう事だと思っています。先日の講習ではこの部分に問題があるのではないかという話がありました。内容を読みとろうとするのは大切な事です。それが悪いというのではありません。これを小学2年生が読み取る事が出来るか?教える側が一方的な価値観を与えるのは間違っているのではという話でした。「読み解く」のではなく「教え込む」ことの問題点を指摘されていました。最初は何の事か分からなかったのですが、スイミーを子供たちが読むのは国語の読み物のなかです。道徳の授業ではない。この作品を小学2年生が学ぶのは倒置法が使ってあることや韻を踏む文章そのものなのだと。教える側が一方的な価値観を与えるのは考える能力、感じ取る力を育てる機会を失ってしまうというのがあります。成る程、納得する部分がありました。道徳的な内容を教える場ではない。そこから感じ取るのは各自の感性でいい。不要な説明は要らない。当たり前ですが見失いがちなことですが。国語の授業を使って道徳の授業をするのは違うのではないかというところです。

気になったので色々と調べてみました。その中で興味あったものを紹介。

作者が込めた真のメッセージとは? 名作絵本『スイミー』の真相
http://allabout.co.jp/gm/gc/198262/

作者レオ・レオニ。アメリカで作家として絶頂期にあったにも関わらず、その立場を捨ててイタリアに渡ったそうです。ここにスイミーと重なる部分があるのではないか。スイミーの自己発見と自己実現という裏テーマが自分自身と重ねてあるのではないかと。「レオニは、人にはそれぞれの個性と役割があるということ、そして、芸術家として他の者が見えないものを見ることのできる人間がいるということを伝えたかったのです。」と書かれていました。その作者のいた時代背景を知ることで作品の秘められたメッセージ知ることができる、うーん、奥が深すぎる。

また、ネットでみていると、一人だけ生き延びてしまった苦悩を表しているのではないかという話がありました。レオ・レオニは故郷であるオランダを出てアメリカに帰化、その後イタリアに渡り作家としての道を歩み始めた。オランダ亡命後、同胞が戦争で命を落とし、そのことを同じヨーロッパに戻った時に「喪失感」を感じたのではないか。スイミーは自分の兄弟を大きなマグロに食べられてしまいます。自分だけが生き延びる。喪失感の中で生きながらえ、同じ様な魚を見つけて自分の力で今度こそ助けるんだという想いからの行動だったのではないかと。人は生きる場所を失っても他の場所でやり直せるんだ、というメッセージを発信しているのではないかと書いていました。さらに深すぎる。こんな話しは小学2年生には読み取れないですよね。その必要もないでしょうし。

背景を知っていると誰かに話したくなる。間違いない事実です。背景を知ることでその作品の裏にあるものを読み取ろうとする。しかし、実際作者がそこまでの内容を考えて、メッセージを送ろうとしてその作品を作っているのか?国語の教員と話をしましたが、大学入試などに出てくる作品などで作者の意図するモノとは違う解釈をされてしまうというのがよくあるとのことでした。人は勝手に意味づけをしたがる。自分の都合のいいように解釈をしてそれがあたかも「事実」であると強調する。背景を知れば知るほどその部分が大きくなる。「知っていて教えない」というのができる人間がどれだけ多いのでしょうか?知っていたらすぐに教えたがる。これは陸上競技の技術にも言えることだと思います。新しいものを教えたがる、選手のレベルにあったものではないことを教えるというのはありがちなことです。それで自分は優れた指導者だと勘違いするのです。

知っているからすべてを伝えればいいわけではない。考える力を奪うことになる。これを教育現場で行うと物事を見る目が養えない。価値観の押し付けになるのは良くない。指導はどうなんだろう。少し考えさせられました。上手く表現出来ませんが、私のやっている指導は、価値観の押し付けとは違うのか。難しい話です。先を見据えた指導だと思っていますが、本当にそれで良いのか。スイミーを使って道徳教育をするのと同じなのかなと考えさせられました。哲学的な話になる気もしますが。

色々と考えます。まとまりのない文章となりました。すみません。
コメント (3)
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