なんか、すごく間が開いてしまったような気がしますが。
別にさぼってたわけじゃないんですよ。ちゃんとツジツマは合うんです。
でも、それはまあどうでもいいとして。
そうそう、いろいろ書きたいネタはあるんですけど。
今日はこれ(Tさんのメニエールのめまいと耳の閉塞感は、また今度ね)。
なんにんか来られているなかのダンスの関係者の方の股関節痛。
たとえば、片足立ちでもう一方の足を高くあげると股関節が痛む。
そんなことを想像してください。
で、挙げた足を手で保持する、早く動かす、これはマシだと。
でも手を離したりゆっくり空中で足を動かすのは痛いと。
でね?かいつう館ではどういう「ストーリー」を組み立てるかと言うと。
実際にそれをしてもらって、頭の先から足の先まで「こっちの頭になにか引っかかってくること」を直感で捉えるんです。捉えられなければ、何度も実演してもらって。あとは、前回のブログにも書いたように、お客さんの言うことをちゃんと聞いて、それを自分の体で再現するんです(あ、正確には僕の頭のなかで)。
今回はね。片足立ちのときに、立ってる方の足の甲がぐらぐらしてるなあ・・・てなことから。
股関節が痛くない方の足の筋肉が傷んでいて、片足では支えられない、それを挙げる方の股関節で「表現」しているんじゃないか、と想像したりするんですよ。
つまり「股関節」の悪化ではなくて、そっちじゃないほうの足の問題でそこが「自立」できないから「片足立ちが成立しない」症状なんじゃないか、とか。
あとは、手で支えるときと離したとき、早く動かしたときとゆっくり動かすとき。
「なにが違うか?」を自分で想像してみます。
そしたら、「腹筋」と感じたんですよ。
抜き足差し足忍び足、の時の方がそうじゃないときよりも腹筋に力がいるのが、イメージできたんですね。
さらには、もし片足立ちしたときにバランスを崩さずに立ってようとしたら、きっと腹筋を使うだろうな、と。
こうやって「なにかをすると痛い」というとき。それが股関節痛であろうと膝痛であろうと
「どこが傷むと、その『なにか』ができなくなるか?」と考えてみるんですね。
たぶん、この発想法自体がうちの特徴なんだろうな、と最近は思ったりします。
別にさぼってたわけじゃないんですよ。ちゃんとツジツマは合うんです。
でも、それはまあどうでもいいとして。
そうそう、いろいろ書きたいネタはあるんですけど。
今日はこれ(Tさんのメニエールのめまいと耳の閉塞感は、また今度ね)。
なんにんか来られているなかのダンスの関係者の方の股関節痛。
たとえば、片足立ちでもう一方の足を高くあげると股関節が痛む。
そんなことを想像してください。
で、挙げた足を手で保持する、早く動かす、これはマシだと。
でも手を離したりゆっくり空中で足を動かすのは痛いと。
でね?かいつう館ではどういう「ストーリー」を組み立てるかと言うと。
実際にそれをしてもらって、頭の先から足の先まで「こっちの頭になにか引っかかってくること」を直感で捉えるんです。捉えられなければ、何度も実演してもらって。あとは、前回のブログにも書いたように、お客さんの言うことをちゃんと聞いて、それを自分の体で再現するんです(あ、正確には僕の頭のなかで)。
今回はね。片足立ちのときに、立ってる方の足の甲がぐらぐらしてるなあ・・・てなことから。
股関節が痛くない方の足の筋肉が傷んでいて、片足では支えられない、それを挙げる方の股関節で「表現」しているんじゃないか、と想像したりするんですよ。
つまり「股関節」の悪化ではなくて、そっちじゃないほうの足の問題でそこが「自立」できないから「片足立ちが成立しない」症状なんじゃないか、とか。
あとは、手で支えるときと離したとき、早く動かしたときとゆっくり動かすとき。
「なにが違うか?」を自分で想像してみます。
そしたら、「腹筋」と感じたんですよ。
抜き足差し足忍び足、の時の方がそうじゃないときよりも腹筋に力がいるのが、イメージできたんですね。
さらには、もし片足立ちしたときにバランスを崩さずに立ってようとしたら、きっと腹筋を使うだろうな、と。
こうやって「なにかをすると痛い」というとき。それが股関節痛であろうと膝痛であろうと
「どこが傷むと、その『なにか』ができなくなるか?」と考えてみるんですね。
たぶん、この発想法自体がうちの特徴なんだろうな、と最近は思ったりします。
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