耳鳴りの方、二回目である。
最初に今回までのお話を聞かせていただくと、前の話をそれなりに応用してくださっていて、
けっこう、耳鳴りで「遊んで」いえいえ「研究」してくれていたみたいです。
某先生から、耳鳴り解消のタッピングを教わってそれまでもやっていたらしいのですが
「こんなことを考えながらタッピングすると、すうううう、と耳鳴りが小さくなるのがわかりました」
「あらたに、この場所をタッピングすると自分の耳鳴りには効果があるのがわかりました」
遊びココロをもって、いろいろやってみる。
「さあ、あんたが治しなさいよ」とはまた違いますよね。
そうそう、これなんですよ。自分で耳鳴りと向き合ってみる。
すると、意外な性質がわかったりしてね。
すべては、あなたの体で起こっていることだし、あなたが向き合うのが一番早かったりします。
僕があなたの代わりに向き合うよりも、ね。向き合う方向は誘導してあげられるかもしれませんが。
で、施術に入る。
「ここを押さえたらどう?」
「左の耳鳴りが、右に逃げていくみたいです。左が、小さくなって、、右の耳鳴りがはっきりしてきました」
「じゃあ、ここは?」
「今度は、右の音が小さくなって、、、」
「じゃあ、これ」
「あ、音が頭のてっぺんに移動して、、そこから左右にわかれて落ちてくる感じ、、、」
こんな不思議な会話をしながら、最終的には、かなりのところまで耳鳴りが小さくなったようです。
が!
それが言いたいのではなくて、ここからなんですよ。
そのお客さんは「これは、治るぞ」とはっきりと思えたそうです。
固定された病気かと思っていたら、こんなに変化する。
つまり、「どこか」が「いかれちゃってる」わけじゃないんだ、と。
「いかれちゃってる」なら、変化はしないですよね?
足を骨折してたら、今日は腕が痛い、今日は尻が痛い、なんてないでしょ。足が痛い、それは固定された症状なはず。
耳鳴りも、大きくもなれば小さくもなる。鳴ってる場所もくるくるかわる。
つまり、改善する可能性が、はっきりと示された、ってこと。
いえいえ、本人がそう感じたこと。
これにつきると思います。
「私は、これから、治るんだ」
本人さんにそう言ってもらってお帰りいただけること、が一番のうれしいこと、かもしれません。
最初に今回までのお話を聞かせていただくと、前の話をそれなりに応用してくださっていて、
けっこう、耳鳴りで「遊んで」いえいえ「研究」してくれていたみたいです。
某先生から、耳鳴り解消のタッピングを教わってそれまでもやっていたらしいのですが
「こんなことを考えながらタッピングすると、すうううう、と耳鳴りが小さくなるのがわかりました」
「あらたに、この場所をタッピングすると自分の耳鳴りには効果があるのがわかりました」
遊びココロをもって、いろいろやってみる。
「さあ、あんたが治しなさいよ」とはまた違いますよね。
そうそう、これなんですよ。自分で耳鳴りと向き合ってみる。
すると、意外な性質がわかったりしてね。
すべては、あなたの体で起こっていることだし、あなたが向き合うのが一番早かったりします。
僕があなたの代わりに向き合うよりも、ね。向き合う方向は誘導してあげられるかもしれませんが。
で、施術に入る。
「ここを押さえたらどう?」
「左の耳鳴りが、右に逃げていくみたいです。左が、小さくなって、、右の耳鳴りがはっきりしてきました」
「じゃあ、ここは?」
「今度は、右の音が小さくなって、、、」
「じゃあ、これ」
「あ、音が頭のてっぺんに移動して、、そこから左右にわかれて落ちてくる感じ、、、」
こんな不思議な会話をしながら、最終的には、かなりのところまで耳鳴りが小さくなったようです。
が!
それが言いたいのではなくて、ここからなんですよ。
そのお客さんは「これは、治るぞ」とはっきりと思えたそうです。
固定された病気かと思っていたら、こんなに変化する。
つまり、「どこか」が「いかれちゃってる」わけじゃないんだ、と。
「いかれちゃってる」なら、変化はしないですよね?
足を骨折してたら、今日は腕が痛い、今日は尻が痛い、なんてないでしょ。足が痛い、それは固定された症状なはず。
耳鳴りも、大きくもなれば小さくもなる。鳴ってる場所もくるくるかわる。
つまり、改善する可能性が、はっきりと示された、ってこと。
いえいえ、本人がそう感じたこと。
これにつきると思います。
「私は、これから、治るんだ」
本人さんにそう言ってもらってお帰りいただけること、が一番のうれしいこと、かもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます