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ゆきてかえりしひび――in the JUNeK-yard――

読書、英語、etc. jesterの気ままなおしゃべりです。(映画は「JUNeK-CINEMA」に引っ越しました。)

今頃の「ローマ字略語」

2008-03-24 | 読書
KY式日本語―ローマ字略語がなぜ流行るのか
KY式日本語―ローマ字略語がなぜ流行るのか なんていう本があるのです。

KY=空気読め(Kuukiyome)の略、というのは知ってましたが、そのほかにもいろいろあるのですね。
携帯でメールを送るのに便利ということで若者に広まったというこの言葉。

本当に使われているのかどうかはわからないけれど、400個ほどが集められています。

日本語が乱れてる~と嘆く方もいるかと思いますが、まあ昔からCDとかTVとかTELとかATMとか英語の略語はありましたよね。
それを日本語をローマ字にして流用っていうのが新しい発想かも。
中には笑えるものが結構あります。


次のはなんだと思いますか?

1、IT
2、KA
3、PSI
4、ND
5、DD

答え~~

1、アイス食べたい
2、ケツあご(割れたあごの事)
3、パンツにシャツイン(ダサい服装のことらしい。ヴィゴ~~
4、人間としてどうよ
5、誰でも大好き(思わず「DDさん!」と叫びました・・・・本来はグループなんかの誰でもすき、という意味。「おっさんで汚れ系ならDD」とかも使うのか?)

ひとつの略語でいろいろ意味のあるものも。

JKは「女子高校生」「冗談は顔だけにして」「自主規制」「常識で考えて」「自分で考えて」


ミーハーのjesterなので調子に乗って
「メールのとき便利じゃない! じゃあさ、早く帰ってきなはHKKか! いまどこ?IDだね~ 何時に帰るの?はNKだし、ゴハン食べるの?はGT!・・・」
といろいろ考えていたら、家族B(大学生)に
「・・・IKS(いい加減にしてよ)・・・・」
とすごく醒めた目つきで言われました・・・・

フェロモン by神田茜

2008-03-12 | 読書
jesterも映画が大好きで、覚え書き程度ですがJUNeK-CINEMAにレビューを書いたりしてます。
映画をみ終わったら、自分の感じたことをまとめてみて、アップして、それから気のあうブログ仲間さんのところへ訪問して、その方の感じたことを読まさせていただくのは、楽しいひと時。
一人で鑑賞しても、このひと時があるから孤独じゃないような気分になれます。

しかしそれで思うのは、映画ひとつにしても、感じ方が人それぞれちがうな~ということ。
当然といえば当然ですが、万人がよいということが自分にとってベストかというと決してそうではないんですよね。

フェロモン

さて、この本の登場人物たちはジュード・ロウという俳優に「フェロモン」を感じる人たちです。

共通項といったらそのぐらいしかない中年に差し掛かった女性たちが生活していく様子を細やかに描いている短編集ですが、一見関連性のないように思われる短編なのに、実は地下通路で綿密につながっていて、全部読み終わったとき長編のようにずっしりと読み応えがあります。

jesterはジュード・ロウには、全くフェロモンを感じないので(殴)
「油っぽい髪」にもフェロモンを感じる、というあたりはぴんと来ませんが、これをヴィゴとかジェラルドとかに置き換えて読んでみると、あああ~~わかるう!と納得。
ジュードの生え際の広さに一喜一憂する『乙女心』が可愛らしい。

登場人物たちは、ハリウッドスターの華やかな生活とは裏腹に、それぞれとても地味な生活を日々送っている。

ブログで『ジュード・ロウ日記』というファンサイトをやっている美佐江は、会社をやめて、社員寮を手荷物だけで飛び出し、3日間ファーストフード店で夜を明かし、やっと見つけた「住み込みまかない募集」に応募して、料理もできないのにまかないの仕事を始めるが、この学生寮が、謎・・・・・

決して入ってはならない「スタッフ・ルーム」。
毎晩夕食後から深夜まで「講師」の講義を聞く学生たち。
そして一番の謎は「奥様」。

謎ながらも働いていると、ある日ヘリコプターが建物の上を飛び・・・・

と、ぐいぐい引きこまれる展開です。

女たちのジハード
小ぶりではありますが、篠田節子さんのかの名作、「女たちのジハード」を思い起こさせるような作品。
普通の女たちが、いろいろあるけどとりあえず自分らしく生きようと模索する姿を、独特の視点から描いていて、飽きることなく一気に読みました。

神田茜さんというと、女流の講談師さんですが、こんな才能もあるなんて・・・
お話を面白おかしく聞かせるコツを心得た講談師さんならではといえばそうなんですが、まさに天は二物を与えたのね~ と次作に期待を寄せてしまうのでした♪

潜水服は蝶の夢を見る

2008-02-19 | 読書
残念なことに、人間が生きていくのに過酷な環境は今も世界中に存在しています。

しかし社会状況ではなく、ごく個人的に、非常に過酷な状況に陥ってしまったら・・・

そんな中で人として生き抜くのにはどうしたらいいのか。

幸運にも平和な社会に生きているわたしたちにもいつでも起こりうる恐ろしい状況を、勇気を持って生き抜こうとしたある魂の戦いの記録です。


潜水服は蝶の夢を見る
『ELLE』の編集長であったジャン=ドミニック・ボービーは1995年12月8日、42歳の時、突然の脳出血発作で体が麻痺し、Locked in syndrome(ロックト・イン・シンドローム「閉じ込め症候群」)におちいります。

体中が麻痺し、動くのは左目だけ。

そんな中でアルファベットを順番に読み上げてもらい、使いたい文字で瞬きするという方法で、20万回の瞬きを繰り返してこの本を書き上げました。

肉体がほとんど死んでしまったような状態でも、心の持ち方で人間の精神は蝶のように羽ばたくことが出来るのです。

この本を読むと、そう確信することが出来る。

ジャン=ドミニック・ボビーの精神力と、それを手伝った人の気が遠くなるような努力に感嘆します。


現状の苦しさを素直に綴ったり、過去の思い出を切なくよみがえらせたり、家族への厚い思いを露吐したり、ジョークを飛ばしたり・・・

散文的に綴られる文章を読んでいると、しみじみ「生きることの奇跡」を感じました。


本が出版されてすぐに彼が肺炎で亡くなったのが残念でなりません。
まだまだ、彼が書いた本を読みたかった。

しかし、安らかに、と祈らずにもおれません。
確かに彼が伝えたかったことは伝わった。
彼は使命を果たした、と思えるから。

e0093293_19195799.jpg去年、フランスでこの本を原作とした映画が撮られ、それをみられた方のブログを読んで、映画も心待ちにしておりました。

日本でも現在公開中で、先日見てまいりましたが(そのレビューはJUNeK-CINEMAこちらの記事にアップしました)とても良いできでした!!

「兄いもうと」 (by鳥越碧) とドラマ「坂の上の雲」

2007-12-04 | 読書
正岡子規というと、肺結核、脊椎カリエスという病魔に犯され、晩年は病床で創作を続け、34歳で亡くなった歌人・俳人・・・、ぐらいの知識しかないjesterでございますが、これはその一生を、妹の律の目から描いた力強い小説。

兄いもうと
拷問のような病気の苦痛にのたうつ兄を看ながら、生きていて欲しい、でも苦しみは止めてあげたいと煩悶し、末には
『これから先もっとつらい状況になろうとも逃げはしない。極限まで耐えてみせると。兄一人には闘わせはしない。自分も共に戦い抜く。』(p291)と青い三日月に誓う律。

女は強いなあ・・・・and ・・・哀れである・・・・


ともすればもっと読みやすい、気軽な本に逃避傾向をもつわたくしですが、秋ともなれば、たまにはこういう「文学の底力」を感じさせてくれる作品を、じっくり読みたくなります。


去年、同著者が出版した「漱石の妻」は妻を描くことによって漱石像を描き出しているのですが、今年出たこの作品では妹の視点から子規を描き、「生きるということ」を真正面から捕らえた、女性の書き手ならではのしっとりした作品になっていると思います。

兄に憧れ、兄を慕って、ひたすら兄のために生きたような律の半生は、現代の女性が読むと疑問に感じる部分もあるかもしれません。
しかし初婚が16歳、そして夫の暴力で離婚、再婚するも再び離婚・・・と、当時の女性としては家の恥といわれるような苦しい状況になっても、自問を繰り返し、決して人のせいにしないひたむきさはあっぱれです。

最初は「この人、兄に依存しすぎでは?」とjesterも思って読んでましたが、後半、子規が起き上がれなくなってからの、二人の壮絶ともいえる闘病では、依存関係はある意味完全に逆転します。
彼女が悩みながらも果敢に子規を看取っていく姿に共感し、彼女がいなかったら「ホトトギス」もなかったかもしれないといえるほどだったことに感動しました。

そしてあふれる野望と才能を持ちながら、病魔に冒される子規の苦悩もつらいほど伝わってきます。
病床にあってもさまざまなことに好奇心を失わず、かなわぬ外出を夢見る子規。
あまりの肉体的・精神的苦痛から、妹にあたってしまい、お互いに苦しむさまも悲しい・・・。

モーツアルトにしろ、子規にしろ、あまりに若い、惜しまれる死でした・・・
(なぜ突然、モーツアルトが??? ←単に34とか5で死んだ、という連想からです

坂の上の雲〈1〉
正岡子規というと、この本でも登場します。
有名で、ファンの方も多いのではないかと思うのですが、「坂の上の雲」は激動の時代の若き青年たちの青春群像という感じでした。
この中で、律さんは高浜虚子が正岡家に行くと玄関に出迎えたり、ちらちらとですが登場してます。

でも「坂の上の雲」では、子規は前半(文庫本の3冊目の最初)で亡くなってしまいますよね。
「兄いもうと」では視点を変えて妹側から、身近で細やかな観察力に満ちた「子規像」が読めるのでとても新鮮です。出だしの、母子家庭に育ち、よりそう幼少の頃の「兄いもうと」二人の姿にも心を打たれます。


ところで余談ですが、この「坂の上の雲」、NHKの特別枠の大河ドラマになる話がありました。
けれども脚本家の死、さらに不祥事やらで「制作費1話4億円なんてとんでもない!」などなどと延び延びになっていたようですが、現在製作されているようですね。

このキャストですが、正岡子規が香川照之、律は菅野美穂 がやるようです。
(他のキャスト 夏目漱石=小澤征悦、秋山真之=本木雅弘 、秋山好古=阿部寛、 などなど)
2009年の秋から放映予定。

うううう~~子規を香川さん・・・・
「すざまじい」子規をやってくれそうだ・・・・・
本の中にあった、あ~~んな雄たけびや、あ~んなシーンを香川さんで脳内変換して、どきどき。

(香川照之さんは、気になる俳優さんです・・・)


赤朽葉家の伝説  by桜庭一樹

2007-11-27 | 読書
今年に入って、桜庭一樹を読んだりしてます。
赤朽葉家の伝説赤朽葉家の伝説
そのなかでも、これは面白かった~
春ごろ読んだのですが、それから何回か繰り返して読み、表紙がまさに今日のような秋なので、今頃ですがレビューアップしてみます。
推理作家協会賞を受賞した作品。

「辺境の人」と呼ばれ、自殺者の死体などをこっそり始末してくれる、山に住む不思議な人たちが村に置きざりにした赤ん坊。
この子が若夫婦に引き取られ育つが、字が読めない。なのに未来が見えることがある。
それが不思議な運命から旧家赤朽葉家に輿入れし、赤朽葉家の「千里眼奥様」と呼ばれることになる。

未来視のできる祖母の万葉、もと暴走族で後に売れっ子漫画家になる母、そして語り手である「わたし」。
鳥取の旧家に生きる3代の女たちを歴史に織り交ぜて書き上げた不思議な歴史絵巻。
 

まるで大河ドラマのようで、すざましい造形です。
まずはいろとりどりの色彩の氾濫に心をうばわれます。
映画「下妻物語」や「アメリ」「エデンの彼方に」などの色彩を思い起こしつつ読みました。

まるで目の前で画像が展開しているような描写力。

登場人物たちの名前も面白い。万葉、泪、毛毬、孤独、瞳子、百夜・・・・
でもキャラクター自身たちはもっと個性的で面白いです。
出目金のみどりさんなんか、ハチクロのみどりさんといい勝負。(殴

サンカ、ノブセ、サンカイなどと民俗学的に呼ばれてきた「辺境の人」も不思議だし、ぶくぷく茶とかトコネン草とか本当に鳥取にあるのかしら?と思われる小道具も生きてます。

ひらがなで語られる擬音が劇画的だけれど、何気に気持ちいい。
「ぱらりらぱらりら」「かぽぉん」などなど。
何か音楽的なものを感じる乗りで、するすると読んでしまう。

題材は古臭いものなのに、すごく新しい手法で見せられたな~と思います。
今までにない創作で、著者の力を感じる。
最後まで一気に読んでしまいました。

日本の、少し前から現代にかかる話なのに、現実離れした世界で、本を広げるたびに別世界へトリップでき、まさにファンタジー系読書の醍醐味を味わえました。

オリガ・モリソヴナの反語法 by米原万里さん

2007-11-19 | 読書
「ぼっ、ぼくの考えでは・・・・」
「ぼくの考えでは・・・だって。フン。七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。でもね、結局スープの出汁になっちまったんだよ」p12より

ダンス教師、オリガが出来の悪い生徒を怒鳴りつける言葉が楽しくて。
次にはどんな言葉で怒鳴るんだろうとわくわくするほど。


このところ、米原万里さんの本を再読しています。
前にくっちゃ寝さんのところでレビューを読み、読んだかしら?そういえば前に読んだかも?でももうほとんど忘れちゃったなあ~などとなつかしく思い返して、いろいろ引っ張り出して読んでいます。

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)
その中で、著者の唯一の小説仕立てのこの本は、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」に似ていて、自分が子供のころ過ごしたチェコに昔なじみの友達を訪ねるストーリーですが、こちらはオリガ・モリゾヴナというダンス教師の過去を追うことによって、スターリン時代のソビエト連邦の内情を抉り出して行きます。

1937年当時の苛酷なスターリン時代を、伝説の踊子はどう生き抜いたのか。
カザフスタンにあるラーゲリ収容所に悲惨な状況で送られ、そこで生活する「裏切り者の妻たち」。
オリガとエレオノーラ・ミハイロヴナの友情。
それぞれの時代の女たちの生き様。

まず、主人公のオリガ・モリソヴナの、ののしり言葉の多彩さがすごく刺激的で笑ってしまいます。
これぐらい怒鳴り散らせたら、どんなにすっきりするかしら、と思います。

オリガだけでなく、どの主人公も生き生きしています。
志摩が小さい頃を過ごしたチェコのソビエト学校の描写が素晴らしい。
祖国を離れ海外で暮らす子供の気持ちも細かく描かれ、また志摩とカーチャの国籍を超えた友情も素敵です。

もともと著者はエッセイストであり、小説はこの作品で初めて書いたもので、技術的にはまだまだで、盛り込みすぎでもうちょっと削ってもいいかもと思うところもあったけれど、途中だれることもなく、笑って、泣かされて、最後まで楽しめました。


ののしり言葉としての「反語法」は、すごく酷いものを見たとき「まあ素敵!」とかいうことですが、日本人はあまり使いませんよね。

日本語でやるとものすごく皮肉な感じがしてしまいますが、ヨーロッパ言語や英語などではとても多用されて、NiceとかGoodなんて言葉は半分以上が「反語法」で使われているかも、っていう気がするほど。

「How nice~~」なんていわれると、ほめているのか反語法で皮肉っているのか、しゃべり手の顔を密かにじっと見て考えてしまうことが良くあります。

獄中記  佐藤優

2007-11-06 | 読書
佐藤優さんを覚えていらっしゃるでしょうか?

「鈴木宗男雄vs田中真紀子」騒動で、外務省職員ながら鈴木宗男さんの私設秘書化していたといわれ、背任・偽計業務妨害容疑で逮捕され、今裁判中の方です。

獄中記
これは彼が東京拘置所に拘留されていた512日の日記。

B5版62冊のノートからの抜粋と、弁護団に書かれた手紙で構成されています。

外交官としての死を受容し、真摯な思索と学習、神との対話を繰り返した記録。

ニュースなどで伝えられ、映像から感じていた彼の人間像を覆し、あのときの騒ぎ自体を再考させられるものでありました。

なにしろあのときの鈴木宗男バッシングはすごいものがありました。
うちの娘なんか鈴木宗男と田中真紀子の物まねがかなり上達してましたし。(爆)

その中で、佐藤さんの姿もニュースで何度か見かけました。
ギョロッとした目つきと太い首に「外務省のラスプーチン」という渾名がぴったりだなと思った覚えがあります。

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
なので、おととし、彼の書いた「国家の罠」がベストセラーになったときも「単に暴露本だろう」ぐらいの感覚で、手にとることもしませんでした。

今回「獄中記」を手にしたのも、書店でなんとなくだったのですが、最初の何ページかを立ち読みしているうちにぐんぐん引き込まれ、ついに買って、何度も読み返す本の1冊になりました。

それにしても最初は「この人は外交官であり、腹芸だの嘘をつくのだの情報操作はプロなんだからだまされちゃ駄目」と腹をくくって読んでいたのですが、最後のあとがきで「米原万里さんと仲が良かったが、死んでしまって残念だ」ということが書いてあり、びっくり。

実は米原万里さんの本は昔からの愛読書であり、最近、くっちゃねさんのところで『オリガ・モリソヴナの反語法』のレビューを読んで、「あ~~この本読んだっけ?」と思い、読んでみて、それから彼女の作品を全部再読していたところだったのでした。
(これらの本についてはまたいつか書きたいと思っています。)

それで米原万里さんのエッセイ集を読み返してみると、確かに彼だと思われる人物が登場するんですよ!

同じロシアを飯の種にしていること、無類の猫好き、という共通点があるとしても、米原さんが友人として佐藤優さんをかっていたというので、かなり彼の信頼度が増しました。

まあ、それ以前に「獄中記」自体にすごく惹かれるものがあって読んでいたのですが、これでダメ押しされた感じ。


同志社大学大学院神学研究科卒業で、外務省入省はノンキャリアとしてですが、とても賢い人で、その深い教養と人格の高さ、まさに彼が外務省の職を辞したことは「国家の損失」であると感じました。

記録文学としても、東京拘置所の詳細な描写がたまらなく楽しい。
生活、食事、取調べの様子などが客観的に書いてあって、興味をそそります。

4000冊という蔵書を持つ「読書家」の彼が、独房内に私本3冊、その他7冊しか本を置けないという状況で、どういう本を読むか。
「現代独和辞典」の通読、なんてことをしてるんですよね。

jesterの友人で、熱帯雨林の研究中、フィリピンの山の中で共産ゲリラにつかまって、軟禁状態になったヤツがいるのですが、彼女はゲリラが来たときとっさにペンと小さなフィールドノートを洋服の中に隠し、これがあったから軟禁状態を耐えることができた、と言ってました。
「読み書きお絵かきオタク族」にとって、筆記用具を取り上げられることほどつらいことはないですよね。

佐藤さんも入所当初は夜間、筆記用具を部屋に置くことを禁じられ、『書ける生活』の贅沢さをしみじみ感じたそうです。
現代ではまれな経験じゃないでしょうか。


しかし、最後にはこういう生活が気に入って、出所したあとも仕事場に同じような狭い部屋に小机を置く環境をつくった、というエピソードが彼らしくておかしかった。
結局シャバではうまく作用しなかったようですが・・・・。


接見禁止(弁護士以外の人と会えない)で4畳半の独房の中で、日中は横になることも許されず、取り調べ以外の時間をどうつぶし、どう自分らしく楽しみ、どう生き抜くか、という点では鄭念さんの記録文学の真骨頂、「上海の長い夜―文革の嵐を耐え抜いた女性の物語〈上〉」にも勝るとも劣らない、類まれなものとなっていると思いました。

それから彼の作品をつぎつぎと読みました。
どれも面白い。(そのうちレビューを書くかもしれません・・・)

しかし・・・・
最近でた、この本だけは表紙がいただけませんねえ・・・・

なんかダイエット、失敗してます、佐藤さん。(爆)


鈴木宗男さんも、彼が書くところを読むと、マスコミが造ろうとしていた鈴木宗男像と全く違う人物に思えます。

視点の転換を経験出来るのが心地よい。

しかしマスコミによって作られる虚像は恐ろしいですね。
政治には関心がない(ということ自体、大声で言えない、大人としては大変にみっともないことですが)jesterでも、もっと賢くならなくては、と思わされる1冊。


ところで、この本にはまっていろいろ関連本を読みふけってましたら、いつのまにか池袋のジュンク堂の7階に「佐藤優書店」が出来ていました。

以前お知らせした「萩尾望都書店」のようなイベント書店なんですが、この本に出てくる数々の書籍もここで手に入ります。

この本を読んでから訪ねると、さらに楽しい。
人の本棚を見るのが好きなjesterですが、そういう感覚で、「ふ~ん、こんな本がある!」と興味津々。

もちろん米原万里さんの本もあります。
京都やその他全国のジュンク堂書店で開催されているということなので、ご興味のある方はぜひ覗いてみたらいかがでしょう?



海の島 ステフィとネッリの物語 byアニカ・トール

2007-06-29 | 読書
jesterは幸か不幸か、幼稚園から大学まで途中転校の経験がありません。
(普通に卒業し受験して入学、というのはその都度していますが)

小学校の頃は、いつも同じメンバーのクラスメートとの遊びにも飽きがきて、新学期にはどきどきして転入生を待ち、晴れて転入生がきた折には、せっせと世話をしたものです。
(その頃からおせっかいだった・・・・)

しかし家族Bには、小学校から転々とさせてしまいました。
しかも国から国へと、友人も知り合いも一人もいない、環境も使う言葉も全く違う世界に、根こそぎ引き抜いては連れて行きました。

親である自分もつらいこともあったけれど、幼い彼女はどれほどつらかったでしょう。

けれど、子どもの順応性はすごいです。

どこの国の学校に行っても、彼女はなんとか溶け込みました。
文化も違い、言葉が全く通じず、手振り身振りしか意思を伝える手段がないところでも、いつの間にか馴染んでいました。

けっして活発なほうではなく、どちらかというと引っ込み思案で、声も小さく、おとなしい子どもだったのに、少しずつ少しずつ変化し、上手に場の雰囲気を読むようになり、自分から心を開ける人間になったようです。
今では、時には親に理を諭すほど生意気に育ちやがりました。

その姿を見ていると、こどもの持つ力ってすごいな~と思います。

取り巻く友人がとても心優しく優秀だったり、行く先々で素晴らしい先生に恵まれていた、というラッキーさもあったのかもしれませんね。
(感謝です



海の島―ステフィとネッリの物語海の島―ステフィとネッリの物語
さて、最近スウェーデンの児童文学を読み漁っておりますが、この物語は、第2次大戦の頃が舞台です。

その頃オーストラリアのウィーンに住む幼いユダヤ人の子どもたちが500人、弾圧をのがれてスウェーデンに『疎開』しました。
そのなかにいたステフィとネッリという姉と妹が主人公です。

ウィーンでは親と共に豊かに暮らしていた二人でしたが、スウェーデンの小さな島に住む漁師家族に別々に引き取られます。

7歳の妹のネッリは言葉を覚え、受け入れ家庭やスウェーデンにすぐ溶け込むけれど、12歳のステフィは受け入れ先の厳しい主婦メルタに、なかなか心を開けません。
ユダヤ人であるのに、キリスト教を強制されますし、学校でも友だちができません。
その上、意地悪なボスキャラ(?)のターゲットになってしまいます。

ステフィはどうなるのか、先が気になって、ページが止まりません。

戦局はどんどんオーストラリアとユダヤ人に厳しくなっていき、いつかは娘を引き取ってアメリカにのがれようとしていた親たちもゲットーにいれられ、次第に連絡も取れなくなります。

八方ふさがりの状態をステフィはどうやって切り抜けていくのか。
そして彼女を取り巻く人間は、彼女を受け入れることによってどう変わるのか。


著者のアニカ・トールさんは湿っぽさのないドライなタッチと深い人間観察で、少女たちの悩みと不安を抱えた生活を生き生きと描き出してくれています。

暗い時代の、悲惨な環境に置かれた子どもたちの話でありながら、読後感がすがすがしいのは著者の力量によると思われます。


スウェーデンでは数々の賞を受け、ステフィの物語は4作目まで出ているようです。
早く続きの本が読みたいな♪ 
翻訳がでないかしら~とおもっています。


『「愛」という言葉を口に出来なかった二人のために』 沢木耕太郎

2007-06-21 | 読書
前書いた記事で妹尾河童さんを「私の旅のおっしょはんの一人」と書きましたが、沢木耕太郎さんは、「旅の大師匠」なんです・・・

「愛」という言葉を口にできなかった二人のためにもちろん、あの不朽の名作「深夜特急」のシリーズを青春のひと時に読んでのことなんですが、そのことはまたいつか語るとして、最近出た沢木耕太郎さんの映画レビューの本、「「愛」という言葉を口にできなかった二人のために」について書こうと思います。

この本の中で、映画評論家の淀川長治さんが、沢木耕太郎さんとの対談のなかで

「大概ならペダンチックに書いたり、オレは知ってるぞというように書くのに、あなたは非常に清潔にお書きになる。」P284
   (jester註;「ペダンチック」=学者ぶるさま。衒学的。)
 
と沢木さんの映画のレビューについていわれた、と書いてありましたが、本当にこの一言に尽きます。

映画のレビューだけでなく、彼の書くものはすべて「清潔」だと私も感じます。
物事を見る目に曇りがない、というか・・・ 

「しかし、旅は人を賢くさせるのだろうか。
もし、その人が旅において何も見ようとせず、だから何も学ぼうとしないのなら、旅はただ無用な知識を与えるだけかも知れないのだ。
無用な知識、それはただ知っているということを誇るだけのために存在するような知識のことだ」
p228

と、彼は『モーターサイクル・ダイアリーズ』のレビューで書いています。
長く旅を続けた彼が書くと、さらに重みが増す一文です。
しかし、彼の書くものに『無用な知識、ただ知っているということを誇るだけのために存在するような知識』はありません。


自分の方向性をきっちりと持った上で、
「私はこう思ったけれど、どうだろうか」
というように静かに語り掛けてきてくれて、たとえそれが自分とは違う感受性であったとしても、豊かな語りの時間を持つことができる気がします。


『硫黄島からの手紙』 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 『ブロークバック・マウンテン』といった比較的最近の映画から、 『シャイン』 『モーターサイクル・ダイアリーズ』 『フィールド・オブ・ドリームズ』 といった過去の傑作、またあまり知られていない 『旅する女』 『エマ(デンマーク映画のほう』などの佳作についてのレビューもあります。

もう見てしまった映画は心を新たに、まだ見たことのない作品は、傍らにこの本を置いて鑑賞し、終わった後、自分の感想と比べながら一つ一つ読んでみると、映画と彼の文章がゆっくりと胸にしみてきます。

映画のレビューって、単に映画の感想をだけを書いていても、結局その人の感性や生活の様子が透けて見えるな、と思うことがあるのですが、この本を読んでいると、文章を通して読み取れる彼自身の生き方にもうたれます。

梅雨で降り込められた休日の午後、暖かい紅茶を片手に、何枚かのDVDとこの本と共に過ごすのも、豊かな気分になれそうです。


これは長く『暮らしの手帳』に連載されていたものをまとめた本の2冊目です。

何号か前の『暮らしの手帳』にこの連載の最終回が載っていて、「このままずっと続けると思っていたのに、これが最後というのは非常に残念だ」と沢木さんは書かれていました。
それは、毎回楽しみにしていた読者としても同じ気持ちでした。

『暮らしの手帳』のような、企業の思惑などにはばりなく発言出来る場で、沢木さんのような自由な心を持つ人が、私の大好きな映画について書いてくださるのをとても楽しみにしていました。

また、どこかで、彼の映画レビューが再開されることを祈っています。


世界は「使われなかった人生」であふれてる
彼が「暮らしの手帳」に書いた映画レビューをまとめた本の1冊目はこれ。

自分の「使われなかった人生」ってなんだろう、って考えてしまいました。

まだ使えるのかな、その人生は。




引き続き、妹尾河童さんの本にはまる・・・

2007-06-16 | 読書
というわけで、一昨日、偶然jesterの部屋の白亜紀層から発掘された河童のスケッチブックを楽しんでおります。

この本、昨日あげた「河童が覗いたインド」とか「河童が覗いたヨーロッパ」と違って、他の妹尾さんのいろいろな本の寄せ集め、という感じが強かったので、入手直後にさっと読んだ後は、あまり繰り返しては読んでいませんでした。

旅行本のほうは、インドやヨーロッパに旅に行く前にモチベーションを高めるためにとか、暇なときに時々眺めていたのですが・・・。


でも今読み返してみると、彼が集めたマゾム(不用品)コレクションの数々に関する薀蓄、そしてそれをどんどん集めることに対する家族との軋轢なんかが書かれてる部分があって、身につまされたりして、とっても面白いです。

上の画像は、267ページのあとがきなんですが、編集の人に
「河童さんはヘンなことに凝るから時間がかかるんですよ。スケッチブックの枠を毎回新たに書くだけじゃなく、千切れた部分を一個ずつずらしていくなんて、どうでもいいことだと思ったんですけどね」 といわれた、と書いてあります。

確かに、ページをパラパラしてみると、スケッチブックの破れたところがだんだん下にずれてくんですよね~~

こんなの、誰が気がつくんだろう? と思いつつ、こういうマニアックなこだわりが好きです♪
作る方も楽しんでるのが読み手に伝わってきます。
いつまでも少年のような人だなあ~



この本、リビングに置いといたら家族も面白がって、みんな読んでるんですよ。


家族A「ねえ、この『ピェンロー』っていう料理、うちで良く作る「白菜なべ」にそっくりだね~」

(それは、元から河童さんのレシピだったの。貴方が知らなかっただけよ~)
 

家族B「ねえ! お母さんが、私の部屋のドアに、ロッタのヒゲの抜けたやつ、セロテープで貼り付けてるのって、評論家の立花隆の真似だね?! あの河童の本に書いてあった! いい加減にやめてよ!!」


(「ロッタの抜けひげコレクション」はロッタの成長を祝うため、jester独自に行っているもので、立花隆のまねではありません・・・・) 


などと、今朝も立て続けに言われました。

コミュニケーションツールとしても立派に役に立っております。


『中国魅録 「鬼が来た!」撮影日誌』  by香川照之

2007-05-31 | 読書
カンヌで2000年にグランプリ(パルムドールの下の賞。今年、日本の河瀬直美監督の「モガリの森」(漢字が出ない!)がとられたのと同じ賞です)を取った中国映画、「鬼が来た!」(「鬼子来了」)に出演した香川照之さんが、撮影当時、無印良品のノートに書いていた日記を中心に、映画が撮られた日々を書き綴ったもの。

jesterがこれを読んだのは、まず、日本映画について彼が書いた本、「日本魅録」を読んで、面白かったのでDVDで映画「鬼が来た!」を見て、そのあと、この「中国魅録―「鬼が来た!」撮影日記」、という順番でした。

ど、どうですこの表紙・・・・
思わず大きい画像を貼り付けちゃいました。


香川照之さん、日本の俳優さんの中ではjesterは好きなんですけど、この顔、怒りをこめて雄たけんでますよね~
その上なんなんでしょう、このベルトを引き絞るアクション・・・
「もうここでズボン脱ぐぞ!!わりゃ~」とフキダシをつけたくなっちゃいます。

まあ、読めば彼の気持ちも分かるのです。
何回彼はこういう顔で怒鳴りたかったか、怒鳴ったか・・・・

とにかく抱腹絶倒の世界です!


中国にいき、しかも都市ではなく僻地で、地元の人たちと映画を撮る、とんでもない苦労が伝わってきます。


タレントとかがアフリカとかアジアの国々で生活を体験する、という番組がありますが、あれはせいぜい1~2週間。
生活といっても観光旅行みたいな物で、どんなに苦しくても先が見えてますから、我慢が出来るでしょう。

でも香川さんは4ヶ月の間、お仕事として出かけられたのですから、さぞかし大変でしたでしょう。
その上撮っているのが、「戦時中の日本軍が中国でしたこと」で、彼は鬼子(日本)の兵士ですからね~
(鬼というのは日本だけを表している言葉ではないのですが)


ま、それにしても何ヶ月か後には仕事を終えて日本に帰れる、というのがあったのだから、駐在員よりはましですけれど。

jesterも開発途上国といわれる国々で暮らしたことがあり、こういう国で何年か暮らすというのは、ものすごい体験でございました。

今までの自分の常識をほとんど否定されるような・・・・

正直言って、その国を出てヨーロッパとかオーストラリアとかへ休日を過ごしに行くと
「あれは悪夢だったのかな・・・」
と思ったこともありました。はい。
で、その国にある自分の家に帰って
「あ~~やっぱり現実だったのね~~」
とまじにショックを受けました。

しかしその場所で暮らすうちに、何ヶ月かすると、だんだんそこにも慣れてきて(あきらめてきてともいう)その国の良い部分にも目が行くようになります。(ま、そうしないと生きていけない・・・・)

ま、驚愕→怒り→絶望→あきらめ→視点の変化→受容
というような過程を経るわけです。(爆)

(しかし、適応性のない人は あきらめ→逃避 となることもあります。
いや本当に、息抜きに別の国に行ったはいいけど、帰りの飛行機にどうしても乗れず、そこで辞表を書いて会社に送り、日本に帰国した人がおります)

香川さんの場合は、受容まで行きつく前に帰ってこなくてはいけなかったので、つらい想いばかり残ったらしい。

彼は、両親が離婚したとはいえ、父は歌舞伎俳優の三代目市川猿之助、母は元宝塚歌劇団トップ娘役で女優の浜木綿子という、芸能界の超サラブレッドで、しかも東大卒という大切に育てられたエリートでもありますから、そんな肩書きが一つも通用せず、その上日本では当然の『常識』さえ通用しない、という世界に放り込まれて、そりゃあ苦しんだことでしょう。

「鬼子来了」という長編中国映画で私が直面した、よい意味にせよ悪い意味にせよ「夢のような」体験は、私の理解を超えた実に過酷なものだった。肯定しがたいことも多々あった。夜中見てうなされた本当の「夢」よりも、その日起きてから降りかかってくる現実のほうが「夢」にしか思えなかったことも何度もあった。 (「中国魅録」 P7より引用) 

と彼は書いていますが、

だが、この日々やって来る固くて厄介な異物をあれこれ考えずにガンガン飲み込み続けていたら、後日その異物から漉し出された芯のようなものが、今日の私を突き動かしていることにやがて私は気がついたのだった。 (同上)

と続けています。この映画に出た体験が彼の俳優人生を変えた、とも後述しています。

彼は文学部卒ですし、若い頃は三島由紀夫に陶酔しきっていたという文学青年でもありますから、文章もそれなりにうまい。
カッコをつけず、正直に書いているところも好感が持てます。

ゴーストライターが書いたような、いわゆるタレント本ではありません。
異文化体験としても、とても面白いです。
同じような体験を持つものとしても、共感を持って大爆笑いたしました。

・・・といっても中国や『発展途上国』を笑っているわけではないのです。
日本だって、また別の国々から見ればまだまだいろいろな面で遅れていて、その国から日本に来た人たちに言わせれば、同じこと。

とあるお茶会に出たら、jester以外全部海外から来た人たちで、「後進国・日本に暮らすストレスの愚痴大会」になっちゃって、肩身が狭い思いをしたこともあります。

この本の中でおかしいのは、異文化のカルチャーショックの中でじたばたする人間模様。
当事者は大変だけれど、第三者からみると、かなり滑稽なんですよね。



この本だけでも充分面白いのですが、もし出来たら映画、「鬼が来た!」(「鬼子来了」)をご覧になってから読まれたら、面白さが倍増します。とてもいい映画です。
(映画のネタばれがあるので、映画が先のほうがお勧めです)


なお、映画、「鬼が来た!」(「鬼子来了」)については、JUNeK-CINEMAのほうでレビューを書く予定です♪

後記;やっとこさ、レビュー、アップできました。
こちらです。




逢わばや 見ばや 完結編  出久根達郎

2007-05-01 | 読書
古本、下町、ときたら、出久根達郎さん。
jesterも古本やら東京の下町やら大好きなので、ファンであります。


逢わばや見ばや 完結編
逢わばや見ばやは、少年だった出久根さんが、茨木から東京は月島の古本屋さんに就職し、いろんな人に出会うほのぼのとしたお話を集めた本で、その誠実な語り口が大好きでした。
だもんで、 逢わばや見ばや 完結編 が出たと聞いて、読んでみました。

月島の古本屋さんから独立して、高円寺に「芳雅書店」をつくり、それを軌道に乗せ、出久根さん自身、作家として本をお書きになるまでが語られています。

どんな職業もそうなんでしょうが、古本屋さんって深いんですよね。
「何が高値で売れるか」を見抜くには、豊富な知識と確かな眼が必要。

古本をおろしに来る廃品回収業者の人との交流とか、お客さんとのやり取り、彼が手書きで発行していた「書宴」という古本のカタログが段々に成長していく様などなど、心温まるエピソードがいっぱい。

福島の農村にある小学校に、「子どもと先生がイナゴ(お米につくバッタのような害虫)を捕って作った資金で買った本」の「いなご文庫」があった、なんていうエピソードも、なんともいえず時代を感じます。

ちなみにjesterは幼少のみぎり、いなごの佃煮をたべたことがあるのだ!!
(そんなことで胸を張ってどうする)

そう、いなごって、虫の姿のまま佃煮にして食べるんですよね。
(「いなご文庫」で子どもたちが捕ったいなごも佃煮用です)

姉は「きゃあああ~~いやあああ」といって絶対食べなかったけれど、純真(当時)だったjesterは、親に「栄養があるのよ」といわれ、素直に食べてました。
しかし(目をつぶってたべれば)、桜海老の佃煮と変わらなかったおぼえがあります。

今も食べられるかはちと自信がありませんが・・・・・
来るべき食糧危機の折には、いなごをたべられるものが生き残るかもしれません。


(以前、シーラという子を書いたトリイ・L・ヘイデンさん(大ファンです)とネット上でお話していたときに、
「日本人は虫を食べるというが本当か」と聞かれ、
「もちろん。私も食べて育った。」
「しゃりしゃりという歯ごたえがたまらないのだ。」などと答えて、OMGの連発を喰らったことがあります←だから胸を張るなっていうの)

そういえば、うちにいなごの佃煮を売りに来ていたおばさんは、茨木からかごを背負って東京まで野菜を売りに来ていたひとだったな~

と、いなご話になってしまいました・・・(殴


新刊本の本屋さんの匂いも好きですが、古本屋さんの一種独特のにおいが好きです。
といってもいわゆるコレクターではないので、買いそびれていていつの間にか本屋から消えていた本とか、図書館や友だちに借りて「これは買いでしょう」と思った本などを探して歩く程度でありますが。
神保町とか歩くの、とっても楽しいです。(帰りは芋やでてんぷら定食!)

そんな、古本屋さんの匂いがしてくるような、本好きにはたまらない、楽しい本でした。


アニメ 精霊の守り人

2007-03-27 | 読書
精霊の守り人の大ファンで、おととしも「精霊の守り人祭り」 なんかを一人で(涙)していたわたくしです。
友人にも貸しまくって、せいぜい布教に努めておりますです。

といっても70万部うれた児童書としては異例のベストセラーですからお読みになってる方も多いですよね。

アニメ化の話はこちらの記事なんかでもご紹介してきましたが、昨日BSでその先行放送を見ました~~!


アニメの前に「製作秘話」みたいなのをやってました。まえに地上波でも少しやってましたが、今回は3時間番組ですからね~
NHKさん、力はいってます。
アニメ製作の神山健治と上橋菜穂子さんのトークなんかもありました。


大人数で脚本を練り上げ、下調べもしっかりやっているようで、その努力に感心しました。
でも、バルサのキャラ作りなんかはどちらかというと苦々しい思いでみました。
アニメオタクさんの若い男がよってたかって「年増の用心棒バルサ」をいじくってるみたいでねえ・・・(爆)


本編は、まず凝りに凝った絵柄に結構感激。
CGも使われているんでしょうが、風景とか綺麗ですごく手が込んでます。
なんとなくチベットとか中国僻地を思わせるような建物なども素敵。

バルサは・・・
う~~ん、jesterのイメージではもっとたくましい感じなんですが、ピンクのリップグロスなんてつけてて(爆)アニメのヒロイン、って感じです。
あ、まさにアニメのヒロインなんだから仕方ないか。

あと、タンダは、しょっぱなから出てくるんですが、やけに色男で。
原作の挿絵のイメージを持っていたので、ジャガイモみたいな感じかなと思っていたのでした。

チャグムは少年というよりも女の子みたい。
でもこの子が段々に成長するのは楽しみです。

テーマ曲は最初も最後もJ-popsで、「SHINE」 L'Arc~en~Cielなど。
人気のバンドなんでしょうけれど、jesterはもっとアジアっぽい不思議な感じのインストゥルメンタルなのにして欲しかったな~


なんて思ってたら、あっさりと終わってしまった。
30分なんてあっという間でございます。
話はそれほど進まなくて、バルサがチャグムと宮殿をにげだす前に終わりました。
ま、丁寧に作ってるからなんでしょうね。


本放送は4月7日午前8時6分(半端な時間やな)BS2で放送であります。
全26話。
最近のアニメがちょっと苦手なjesterにとっては楽しみ半分不安半分でありました。

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道  「硫黄島からの手紙」

2006-12-12 | 読書
「硫黄島からの手紙」、はじまりましたね~

アメリカでは賞も取って、アカデミーも有力といわれているそうです。
「父親たちの星条旗」で号泣してしまったjester、「『硫黄島からの手紙』を見る勇気がない・・・さらに号泣しそう」と弱音を吐き、お友達に「頑張って見なさいや!」とカツを入れられておりますが、周囲の方に迷惑をおかけしないように、少し映画館が空いてから行こうかな・・・・と思っています。

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道
「父親たちの星条旗」を見たあと、この本を読みました。
普通なら映画の公開が近かったら、ネタばれしそうな本は読まないのですが、これは歴史の史実なので、予習、のようなつもりで・・・

栗林忠道中将のイメージががらりと変わりました。
こんなに柔軟で、物事にとらわれず、愛情深く、家庭的なひとだったとは!


戦地からも、「お勝手の床板の隙間風の防ぎ方」について、こまごまと説明し、図入りで何回も手紙を書いたり、「お風呂を沸かしなおすときの、湯垢のとり方」について、長々と説明したり・・・・
これがやってみようかな、と思うほどユニークな方法で、しかもとても丁寧に説明してあります。(簡単に言うと、お湯をぐるぐる回して渦を作り、そこに洗面器を浮かべて沈むようにすると、そこに湯垢が集まる・・・というもの)

子供にあてて書いた手紙にも深い愛情が満ち溢れています。

男性としてはかなり細かいことに気がつく方だったようです。

そして、総指揮官であるのに、特別待遇を断り、普通の兵隊と同じものを食べ、水も使わず節水するなど、上下の差を自ら撤廃しようとした自由人でもありました。

しかも軍人としては先を見通して、物量ではかなわないと予想し、ゲリラ戦に備えて地下壕をつくり、兵隊には日本軍が最終局面でよくやっていたバンザイ攻撃(死を覚悟して無謀に敵陣に突っ込む)を「無駄死に」として禁止するなど、先見の明もあったんですね。


栗林忠道は戦争の前にアメリカに留学していたという、当時稀有な経験を持つ人ですが、滞在していたときの手紙を読むと、アメリカでもすっかり現地に馴染み、自分と同じ恵まれた境遇の人たちだけでなく、貧しい人々、移民の子供など、いろいろな人と交流していたことがうかがえます。

メキシコ人の新聞配達の少年との親との生活についての会話、自分の身の回りの世話をしてくれているオバサンとの、車についてや夫についての会話、どれも生き生きとその場にいるような気持ちになれるような描写がされています。

またこの頃の手紙は、上手な絵をたくさん入れて、子供たちが喜ぶような楽しい、しかも海外について(その豊かさについて)読むものが正しい認識を持てるような手紙になっています。

また、当時最新だったシボレーK型を購入して、カンザス州からワシントンまで1300マイルを一人で走破するという冒険もやっているんですね。

こんな生き生きとした生活をアメリカで送り、アメリカを愛していた人が・・・
そしてアメリカの国力について、多分日本の軍人の誰よりも熟知していた人が・・・
それゆえ、戦争の行方も冷静に予測し、硫黄島の戦いのむなしさを誰よりも知っていた人が・・・
硫黄島で戦うことになるとは・・・。

運命の皮肉を感じます。
もし生きながらえていらしたら、あふれ出るアイディアで戦後の日本の復旧に力を尽くされたに違いありません。 残念です。


題になった「散るぞ悲しき」ですが、栗林忠道の辞世の歌のうち

国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

の最後の言葉が、国民に発表されたときは

散るぞ口惜しに改変されていたことによります。

栗林が死に行く部下たちに万感の思いをこめて歌った「悲しき」という言葉が、「めめしく響き、いたずらに兵隊たちを死に追いやった軍中枢部への抗議に感じられる」ということから、変えられてしまったのです。
彼が命をかけて守った愛する家族、そして日本国民への、最後の言葉なのに・・・・

このように情報を曲げるだけでなく、そもそも冷静に戦局を見つめることなく、無謀な計画を立てて僻地に兵を送り、そのあとの補給はせずに、見捨てるようなことを繰り返していた当時の軍中枢部には、強い怒りを感じます。


また、本の後半では、他の遺族の方々に取材し、他にもたくさん残されている「硫黄島からの手紙」について書かれています。

その中の一人、銀行員であった江川正治さんもまた若い頃に8年もアメリカの支店で働かれ、冷静に戦況を判断していた一人でした。

よき家庭人でありながら、44歳で招集。
彼の子供宛の手紙には涙があふれました。
小鳥の「めじろ」のことや、美しい海、青い空、その下で歌う歌が野戦病院に響く光景・・・。

硫黄島の暮らしの中で、ほんのわずかな楽しみを彼は見つけ、それを家族に優しく語って聞かせています。
本当は爆撃が続き、水もなく、苦しい状況であろうに・・・・


本書は大宅壮一ノンフィクション賞も受けており、冷静で平易な文章の中に、厳しく歴史を見つめて、そこから何かを学ぼう、それを伝えようという気概にあふれているのを感じます。

映画を見る人も、見た人も、見ない人も、読んでみたらいいのではないかしらと思うお勧めの1冊です。


ところで、珍しくテンプレートを変えてみました。
文字が小さくて読みにくいでしょうか?

それと最近、何故か急にとても不快なトラックバックが増えました。

いちいち削除していましたが、それも大変なので、トラックバックを承認制に変えました。よろしくお願いいたします。

真昼の夢

2006-12-04 | 読書
前にカナダの画家、ロブ・ゴンザルヴェスさんの「終わらない夜」をご紹介しましたけど、これは彼の次に出された絵本。
「終わらない夜」の不思議な夜の空間がとても心地よかったので手にとって見ました。

真昼の夢
「終わらない夜」が夜の暗闇から来るイマージュだとすると、こちらは真昼にとろんと居眠りして垣間見た不条理の世界とでもいえるでしょうか。

あ、これ、小さい頃体験したことがある!と、デジャブのような思いでページをめくりました。


明るくて人の姿もたくさん見えるのに、何故か妙に不安になるような、ねじれた世界。

怖くて、目を覚ましたいのに、いつまでもとどまってしまう甘美なラビリンスの夢。


思わず引き込まれ、時間がたつのを忘れてしまうjesterの大好きな1冊です。