
ハワイに到着して、ココナツ・ツリーの梢から降り注ぐ光にキラキラ輝く街を歩いて、どこまでも青い空と海を見て・・・
いつもならどっと解放感があふれてくるはずなのに・・・
ふと感じる違和感。
・・・・(今までハワイで感じたことのない、不思議な気分・・・?)
ここはなんて平和で明るくて不安がなくて、歩く人たちの表情が幸せに満ち足りているように見えるのだろう。
それに痛みを感じる自分・・・?
なんだか・・・泣けてくる・・・・?
そっか。311の時、ここはな~~んにもなかったのだな。
いまだって、避難とか放射能とか余震とか、ないのだな。
日本の暮らしはだいぶ普段の生活が戻ってきたけれど、それでも引き続き日本人が対処を迫られている、
「止められない放射能汚染」
「核に頼らないことを求められるエネルギー問題」
そして・・・「これから来る大地震」
被災地から離れた東京にいるわたしだけれども。
それでも地下鉄に乗っていても、「今地震が来たらどうしよう」
家族と離れていても「今地震が来たらどうしよう」
ニュースを聞いては「あの汚染水はどうしたらいいのだろう」
「さらなる賠償金を東電が払うって、結局電力料金に乗せるのかな」
いつも頭の片隅にそんなポップアップが絶えることなく出ている。
そんな心配のかけらもないところにきて、ポップアップが消えて、初めてどれだけそれらのことが毎日自分に重くのしかかってきていたかに気づく。
311の後、海外には何回か出たのに、こんな違和感を感じたのは初めてだった。
それだけハワイが絶対的な平和な気に満ちていたということ。
そして、311の後、私の中でもそれなりに時が流れ、少しは自分を客観視できたということだろうか。



さて、空港で衝動買いした本シリーズ第二弾はこちら。
自分を愛する力 (講談社現代新書)

乙武さんの題名をつけるセンスは「五体不満足」からわかっておりますが、「自分を愛する力」というのもすごいなと思いました。
タイトル買いしてしまいました。
何があっても自分を信じ、自分を愛し続ける力。
自分を否定したり自己嫌悪にならず、ふてず、淡々と生きていく力。
手足がないという障害を生まれたときから背負っているのに、乙武さんの変わらぬあの明るさ、あの自己肯定力はどこから来るのだろう?
『自分に自信を持ち、自分の頭で考え、自分の判断にもとづいて行動する――― そういうことができる人になるには、やはり他者から認められ、受け止められることが必要なのだ。』p105
ではどうして彼は自己肯定力を身に着けたのか。
悩み苦しむ青春時代だってきっとあっただろうに。
その辺に興味を持って買ったのですが。
詰まるところが
『振り返ってみれば父は「愛を伝える」ことに長け、母は「ありのままの僕を受け入れる」ことに長けていた。そのふたりのスペシャリストによって、僕はちょっとやそっとのことではびくともしない、頑強な自己肯定感をはぐくんでもらうことができた。だからこそ、いまこうして幸せな人生を送ることができているのだろう。』p203
ということで、親の育て方になってしまうのですね。
つまりこの本は、自分を肯定できない大人が、どうしようと悩んで読んで答えを得られる本ではない。
けれども、これから子供を育てようという親にはヒントになることがたくさん書いてあるのかも。
ま、ちょっと私の期待していたテーマとは外れておりました。
一番面白かったのは、巻末にある精神科医の泉谷閑示との対談だった、なんていうと怒られるかもしれないですが、
『日本には古くからある「ムラ社会」というか「ムラ的な共同体」意識が残っている。これが問題のベースにある。自己肯定感が持てないのもそこと関係がある。経済大国になってもメンタリティは「ムラ社会」のままで、「ムラ」のなかに「個人」がない。いるのは「個人」ではあく「構成員」であって取り替え可能な存在。だから個性が突出していたり、新しいことを試したりする人は好まれない。日本はもはや「ムラ社会」ではいられない時代になってきている。多種多様な価値観が海外からも入ってくる中で、いまだ日本の学校では『協調性のある子に育てる」という大義名分を掲げて個性を抑える教育をしている。』P218(途中略あり)
うむうむ、よく聞く話ではありますが、かなりうなずけてしまいます。
田植えのために一斉に働けるよう「協調性のある子に育てる」
このこと自体はある意味日本社会のいい側面でもあると思うし、要はバランスということなんでしょうけれど、鎖国を解いて国際社会の一員としてやっていく現代では、まず自分のアイデンティティを持たないと、いっくら協調性があっても生き残れないと思います。
それにしても乙武さんの御両親が、「五体満足な子供」のみが幸せであるというパラダイムに縛られていなくて、ほんとに幸いでした、洋匡君。