ちょっとまた日本国内を南方面にふらふらしておりましたので、間が空いてしまいました・・・
そっちの旅の話をしたくなってきてますが、「はよ、絶品バンショー(Vin chaud)のレシピ書きなさい」などのコメントもいただきましたし、とりあえずパリのお話がまだ全然終わってないので、そちらを続けますです。(汗
Le petit miracle de Paris・・・「パリの小さな奇跡」のなかで、一番心に残るのが一冊の本との出会いです。
図書館、本屋や古本屋をうろうろするのは世界中どこへ行っても同じですが、今回のParisでは、私が生まれる前に出版された日本語の古い本に出会いました。
といってもフランス語はナメクジの速度ぐらいでしか読めませんから(正直に言いなさい、読めませんからと!)、本屋で買うのは、せいぜい文章より絵の方が多い画集とか絵本。
そして古本屋あさりの主なる目的は古地図と古い絵葉書です。
(図書館では本も見るけど(あえて読むといわない)日記をつけたり一休みしたり手紙を書いたりします)
ヨーロッパではこんな感じで、古い絵葉書が古本屋とか蚤の市で売られています。
これを買ってきて額に入れて飾り、裏を読んだり時々替えて楽しんでいます。
ホテルの真向かいにあったサン・ラザールの駅の昔の写真の絵葉書(右上)も見つけました。
昔も今も駅の面影は変わりません。
これらは蚤の市でかったもの。
なぜか絵の方に切手を貼ってるのね。
で、あるパサージュ(古いアーケード街)を歩いていた昼下がり。
男性がやっている古本屋さんに入りました。
店内には歴史のありそうな革表紙の古本や布表紙の古本。
きっと魔法が書いてある本もありそう。
そして古絵葉書に古地図もたくさんあり、大喜びで時間をかけていろいろ見ました。
店主はこちらにかまわず静かにパイプをくゆらせて何かを読んでいます。
その時、店の外に置いてあったかごに入った古本を覗いていた家族Bが
「あ~~日本の古い本があるよ~~」
とつぶやいていましたが、旅人が荷物を軽くするために売った本かな、ぐらいに思って見に行きませんでした。
さて、この絵ハガキを買おう、と決めて店主のところに行くと、店主はしばらく考えた後、お~~う、と人差し指を立てて
「いいこと思いついた」と店の外のかごのところに。
しばらくさがした後、薄い本をかごから抜き取り、その本に絵葉書を挟んで、はい、と渡してくれました。
わたくしに贈呈してくださったのです。(というか、・・・おまけですが)
そのいただいた本(と買った絵葉書)がこれ。
「絵画と文学」という本で、今から50年以上前、昭和31年12月25日に第一刷が発行され、その第二刷、昭和32年2月1日に出た本です。
セロファンに包まれ、古い本なのに汚れもなく、中にはドラクロアやレンブラント、モネやゴヤやマネ、ロイスダールなどの名画と、それに合った文学の一節が集められています。
私の大好きなギュスターブ・モローの「オルフェ」という絵にはアンリ・ド・レニエの「オルフェウス」の詩が添えられていました。
今回の旅はギュスターブ・モロー美術館に通うことも目的の一つでした。
(・・・しかしギュスターブ・モロー美術館は改築中で入れず!! そのためにその近くのホテルを取ったというのに!!)
カラーの絵ページは別紙に刷られ、ノリで張り付けてあります。
昔はカラーページを別に印刷して、白黒で印刷した本体に貼り付けたのでしょうか。
さきほど家族Bが「日本の本がある」とつぶやいていたのはこの本らしい。
しかし昨今、東洋系の旅行者はパリにあふれ、そのほとんどが中国人。韓国からの旅人も多く、フランス人からはどの国の人間か多分見分けがつかないでしょう。
そのたくさんの東洋人の中で、日本人の私に渡ったのは奇跡だとおもいます。
(まあ、本屋や古本屋では東洋人はほとんど見かけないのですが)
その夜、ホテルに戻り、この本を読んでいると、表紙の裏に万年筆で書き込みを見つけました。
謹呈
オーシュコルヌ先生
田村 俶
大槻 鉄男
津山 昌
歳月に少し薄くなってはいますが、はっきり読めます。
この三人の方はこの本の著者でした。
著者の方たちが『オーシュコルヌ先生』にこの本を贈られた時に書かれたものだと思われました。
そのあとのパリの街歩きにはバックにこの本を携えて、カフェや公園でこの本のページを捲りました。
ある日は夕暮れの空の下、教会の鐘を聞きながら
「この謹呈の言葉を書いた人は今頃どうなさっているのかな。昭和31年に出された本の著者だから御幾つだろう・・・・」と思いを巡らせました。
そしてこの思いは忘れがたく、帰国してから早速この御三方について調べてみました。
大槻鉄男さんは京都大学の仏文科をでられてクラウン仏和辞典の編纂もなさった方で、京都女子大でフランス語を教えていた方。
「樹木幻想」という本を出している、詩人でもいらっしゃいます。
1979年にお亡くなりになったようでした。
津山昌さんは美術評論家でらして、「津山昌を偲んで」という展覧会が地方の美術館で催されたことがあるようで、やはりもう鬼籍に入ってらっしゃるらしい。
そして、田村俶さんは、同じく京大の仏文科をでられ、ミッシェル・フーコーの著作の翻訳でも有名で、奈良女子大で教鞭をとられ、奈良女子大の学長にもなり、今は名誉教授でもいらっしゃるのでした。
その後、奈良女子大を通じて、田村さんの連絡先を伺うことができ、おそるおそる手紙をだすと、お返事をいただきました。
『・・・なんという僥倖でしょうか、パリの古本屋で出会われた由、不思議な縁(えにし)を感じでいます』と書いてくださいました。
本当に、私も不思議な縁を感じます。
なお『オーシュコルヌ先生』は50年前に関西日仏会館の教授で、京大でもフランス語会話を教えていた方だそうです。
またこの本を出版した時にお世話になった方なのだそうです。
日本でこの本を贈られたオーシュコルヌ教授が、パリにこの本を持って帰られ、それが何人かの人の手を渡り、どういう道筋を通ってか、あのパサージュの古本屋の本棚で何年か過ごし、そしてかごに入れられ・・・
それが2013年の10月のある日、パリを野良猫のように足の向くままふらふら歩きまわっていた旅人の私に贈られ、旅の荷物に交じって日本に帰りついたのです。
自分を読める人の手に渡りたい・・・
そしていつか日本に帰りたい・・・
という本の意思があったのかな・・・
わたしを待っていたのかな・・・
帰りの成田からは天候の関係で電車が止まっていて、バスで東京に戻ることになりました。
バスの車窓から東京が見えてきたとき、またこの本を読んでいました。
旅の疲れで重くなった体をガラス窓にもたれさせて、本に
「ほら、日本に帰ってきたよ。数十年ぶりの東京かな」
と小声で話しかけました。
この本が与えてくれた縁(えにし)を大切に育てたいな、と思っています。
そっちの旅の話をしたくなってきてますが、「はよ、絶品バンショー(Vin chaud)のレシピ書きなさい」などのコメントもいただきましたし、とりあえずパリのお話がまだ全然終わってないので、そちらを続けますです。(汗
Le petit miracle de Paris・・・「パリの小さな奇跡」のなかで、一番心に残るのが一冊の本との出会いです。
図書館、本屋や古本屋をうろうろするのは世界中どこへ行っても同じですが、今回のParisでは、私が生まれる前に出版された日本語の古い本に出会いました。
といってもフランス語はナメクジの速度ぐらいでしか読めませんから(正直に言いなさい、読めませんからと!)、本屋で買うのは、せいぜい文章より絵の方が多い画集とか絵本。
そして古本屋あさりの主なる目的は古地図と古い絵葉書です。
(図書館では本も見るけど(あえて読むといわない)日記をつけたり一休みしたり手紙を書いたりします)
ヨーロッパではこんな感じで、古い絵葉書が古本屋とか蚤の市で売られています。
これを買ってきて額に入れて飾り、裏を読んだり時々替えて楽しんでいます。
ホテルの真向かいにあったサン・ラザールの駅の昔の写真の絵葉書(右上)も見つけました。
昔も今も駅の面影は変わりません。
これらは蚤の市でかったもの。
なぜか絵の方に切手を貼ってるのね。
で、あるパサージュ(古いアーケード街)を歩いていた昼下がり。
男性がやっている古本屋さんに入りました。
店内には歴史のありそうな革表紙の古本や布表紙の古本。
きっと魔法が書いてある本もありそう。
そして古絵葉書に古地図もたくさんあり、大喜びで時間をかけていろいろ見ました。
店主はこちらにかまわず静かにパイプをくゆらせて何かを読んでいます。
その時、店の外に置いてあったかごに入った古本を覗いていた家族Bが
「あ~~日本の古い本があるよ~~」
とつぶやいていましたが、旅人が荷物を軽くするために売った本かな、ぐらいに思って見に行きませんでした。
さて、この絵ハガキを買おう、と決めて店主のところに行くと、店主はしばらく考えた後、お~~う、と人差し指を立てて
「いいこと思いついた」と店の外のかごのところに。
しばらくさがした後、薄い本をかごから抜き取り、その本に絵葉書を挟んで、はい、と渡してくれました。
わたくしに贈呈してくださったのです。(というか、・・・おまけですが)
そのいただいた本(と買った絵葉書)がこれ。
「絵画と文学」という本で、今から50年以上前、昭和31年12月25日に第一刷が発行され、その第二刷、昭和32年2月1日に出た本です。
セロファンに包まれ、古い本なのに汚れもなく、中にはドラクロアやレンブラント、モネやゴヤやマネ、ロイスダールなどの名画と、それに合った文学の一節が集められています。
私の大好きなギュスターブ・モローの「オルフェ」という絵にはアンリ・ド・レニエの「オルフェウス」の詩が添えられていました。
今回の旅はギュスターブ・モロー美術館に通うことも目的の一つでした。
(・・・しかしギュスターブ・モロー美術館は改築中で入れず!! そのためにその近くのホテルを取ったというのに!!)
カラーの絵ページは別紙に刷られ、ノリで張り付けてあります。
昔はカラーページを別に印刷して、白黒で印刷した本体に貼り付けたのでしょうか。
さきほど家族Bが「日本の本がある」とつぶやいていたのはこの本らしい。
しかし昨今、東洋系の旅行者はパリにあふれ、そのほとんどが中国人。韓国からの旅人も多く、フランス人からはどの国の人間か多分見分けがつかないでしょう。
そのたくさんの東洋人の中で、日本人の私に渡ったのは奇跡だとおもいます。
(まあ、本屋や古本屋では東洋人はほとんど見かけないのですが)
その夜、ホテルに戻り、この本を読んでいると、表紙の裏に万年筆で書き込みを見つけました。
謹呈
オーシュコルヌ先生
田村 俶
大槻 鉄男
津山 昌
歳月に少し薄くなってはいますが、はっきり読めます。
この三人の方はこの本の著者でした。
著者の方たちが『オーシュコルヌ先生』にこの本を贈られた時に書かれたものだと思われました。
そのあとのパリの街歩きにはバックにこの本を携えて、カフェや公園でこの本のページを捲りました。
ある日は夕暮れの空の下、教会の鐘を聞きながら
「この謹呈の言葉を書いた人は今頃どうなさっているのかな。昭和31年に出された本の著者だから御幾つだろう・・・・」と思いを巡らせました。
そしてこの思いは忘れがたく、帰国してから早速この御三方について調べてみました。
大槻鉄男さんは京都大学の仏文科をでられてクラウン仏和辞典の編纂もなさった方で、京都女子大でフランス語を教えていた方。
「樹木幻想」という本を出している、詩人でもいらっしゃいます。
1979年にお亡くなりになったようでした。
津山昌さんは美術評論家でらして、「津山昌を偲んで」という展覧会が地方の美術館で催されたことがあるようで、やはりもう鬼籍に入ってらっしゃるらしい。
そして、田村俶さんは、同じく京大の仏文科をでられ、ミッシェル・フーコーの著作の翻訳でも有名で、奈良女子大で教鞭をとられ、奈良女子大の学長にもなり、今は名誉教授でもいらっしゃるのでした。
その後、奈良女子大を通じて、田村さんの連絡先を伺うことができ、おそるおそる手紙をだすと、お返事をいただきました。
『・・・なんという僥倖でしょうか、パリの古本屋で出会われた由、不思議な縁(えにし)を感じでいます』と書いてくださいました。
本当に、私も不思議な縁を感じます。
なお『オーシュコルヌ先生』は50年前に関西日仏会館の教授で、京大でもフランス語会話を教えていた方だそうです。
またこの本を出版した時にお世話になった方なのだそうです。
日本でこの本を贈られたオーシュコルヌ教授が、パリにこの本を持って帰られ、それが何人かの人の手を渡り、どういう道筋を通ってか、あのパサージュの古本屋の本棚で何年か過ごし、そしてかごに入れられ・・・
それが2013年の10月のある日、パリを野良猫のように足の向くままふらふら歩きまわっていた旅人の私に贈られ、旅の荷物に交じって日本に帰りついたのです。
自分を読める人の手に渡りたい・・・
そしていつか日本に帰りたい・・・
という本の意思があったのかな・・・
わたしを待っていたのかな・・・
帰りの成田からは天候の関係で電車が止まっていて、バスで東京に戻ることになりました。
バスの車窓から東京が見えてきたとき、またこの本を読んでいました。
旅の疲れで重くなった体をガラス窓にもたれさせて、本に
「ほら、日本に帰ってきたよ。数十年ぶりの東京かな」
と小声で話しかけました。
この本が与えてくれた縁(えにし)を大切に育てたいな、と思っています。