お片付けは、今年も『New year Resolutions』(新年の決意、とでも言いましょうか・・・・)にトップランキングで入るテーマでございます。
世に言う『片づけ本』(お片づけのやり方をいろいろ書いてある本)も何冊も読んでいる私。
とか・・・・
とか・・・・
でも・・・なんかぴんと来ないんですよね。
読んでいると
「こんなに捨てろ捨てろっていって、なくて困ったら買えばいい、みたいな、刹那的な感じ」
なんて思ってしまって、読んだあと、片づけのモチベーションが下がって、不貞腐れてしまう・・・・
(素直ぢゃないからねえ〜〜)
そんな私にも、しみじみと「身の回りを片付ける」ということを考えさせてくれた本をこの間見つけました。
あなたの人生、片づけます (双葉文庫)
片付け屋、大庭十萬里はGパンとダウンを着た丸顔の普通のおばさん。彼女と「片付け」について話して、捨てていくうちに、片付けられないのはなぜか、その裏にある理由に、相談者は気づいていく。
片付けを単に物理的な問題であると考えず、その後ろにある心の問題まで解決していく話。
読みやすい文章で、でも心にグサグサ刺さる人間観察力。
特に3話目の「豪商の館」という話が考えさせられました。
78歳の三枝泳子は、夫に先立たれ、田舎の広い家に一人暮らし。娘と息子は離れてそれぞれ家族を持っている。
千坪の敷地に三百坪の豪邸。
収納はたくさんあり、物は多いが、きちんと片付けて暮らしている。
だが、本当は近所の家族に囲まれて暮らしている友達が羨ましい。
孤独死した老人や、施設に入った隣人の話を聞いても、寂しさと不安が募る。
離れて暮らしている娘の睦美は電話してきて
「お母さんが死んだあと、整理が大変なんだからね。要らないものは元気なうちにさっさと捨てておいてくれなきゃ困るわよ」ときつい口調で言う。
そして、『片付け屋の大庭十萬里を予約したから』と言われた。
大庭十萬里は訪ねてきて、片付いた部屋の収納の中を見ていく。
炊飯器が全部で三つある。新しく出たものを買ったけれど、以前のものも捨てられない。
本家だから人が集まる行事があったとき、たくさんご飯を炊くこともあるかもしれないし、壊れた時に貧乏になっていた場合買い替えられないとか、大災害が起きた時のために、まだ使える炊飯器をとってある。
電子レンジも同じ理由で3つある。
デパートで買ったお節のプラスティックの重箱やら子供が小さい時に使っていた水筒やら弁当箱、コンビニの弁当の容器・・・
食料庫の中には買い置きの食品やお茶、ラップなどがたくさんある。
食品の中には賞味期限が切れているものもたくさんある。
夫が亡くなりそうになった時、呉服屋に注文して作った座布団が50枚、結局使わないまま新品でとってある。
布団は急に孫が来た時のために8組とってあって、時々陽に干したりしている。
大庭十萬里に
「これは本当に必要ですか? これから使いますか? こんなに蓄える必要がありますか?」
と質問され、泳子が一生懸命言い訳する様子が、痛々しい。
それは、所々自分に当てはまるから・・・。
自分にとっては、本当に理由があってとってあるのだけれど、使う日はきっと来ないことも薄々わかっている。
大地震も、津波ももう来ないかもしれない。
使う日が来ない方がいいけど、でもやっぱり備えでとってある。
似合わなかったりもう着ないと思える洋服も、まだどこも傷んでいなくて、元は高いものだったりするからとってあるのだ。
でも、もう着ない洋服をとっておいても、誰も着てはくれないし、取っておいて良かったと思える日がくることはほとんどないだろう。
それより、それらをすっきりと手放して、今生きやすく、そしてあとを濁さないようにするのが大切と言う事もわかっている。
豊かでない時代を生き抜くための知恵は今では時代遅れ。
予備は1つでいい。
あとはスーパーで買えばいい。
なんなら予備はいらない。
それに気がついていく泳子。
泳子にすごく感情移入して読みました。
そして自分が大庭十萬里になったつもりで家の中を見てみる。
自分がこれからの人生をどう生きたいのかを考えてみる。
(答えは本当は自分が一番よくわかっているはずだ)
New year Resolution の一つを叶えられそうな予感に、ちょっと寂しさと不安を抱えて・・・
今年もよろしくお願いします!