毎日新聞 2024/7/14 11:00(最終更新 7/14 11:00) 有料記事 2344文字
第二次世界大戦中の米国で、原爆開発に従事する人々のために作られた都市があった。この町の現状と過去、人々の交錯する思いを追ったドキュメンタリー映画「リッチランド」の日本上映が始まった。来日して広島を訪れたアイリーン・ルスティック監督が毎日新聞のインタビューに応じ、歴史に向き合う意味や課題、広島訪問の意義などを語った。
きのこ雲が堂々と
――リッチランドを映画の題材にしたきっかけは。
◆リッチランドに1日だけ立ち寄った際、(映画に出演している)反核活動家のトリシャさんに出会ったのがきっかけ。私はハンフォード・サイトもリッチランドも全く知らなかった。町に入ると、原爆のシンボル(きのこ雲)が学校やレストランの壁などいろいろな場所に堂々と掲げられているのが目に飛び込んできた。
映画「リッチランド」の一場面。広島出身で被爆3世のアーティスト、川野ゆきよさんが祖母の着物と自らの髪の毛で縫い合わせた作品「(折りたたむ)ファットマン」=© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC
とてもショックだったが同時に「この町は一体何なんだ」「原爆を誇りに思うこの地域は何なんだ」という好奇心と疑問を持った。この町の人々が、どのようにして暴力の歴史を抱え込みながら暮らしているのか。映画を作ることで、観客が(自分の地域に当てはまる)暴力の歴史と自分の関係について考えることができるのでは、と思った。
――米国で支配的とされる「原爆投下正当化論」をどう考えていたのか。
◆歴史家の間でも原爆投下の正当性に関する論議がある。落とさなくても日本は降参したのではないか。長崎にも原爆を落とす必要があったのか。私自身は平和主義者で原爆には反対だ。ただ、2024年のいま、当時の切迫した状況や心持ちを果たして簡単に理解できるのか。「あれはやはりひどかった」と言うことは簡単だが、当時の意思決定が完全に理解できるとは思っていない。
日本では原爆が落とされた後が反すうする時間だったと思うが、米国ではその後の冷戦期の40年間、ハンフォード・サイトでプルトニウムを作り続けた。900回の核実験を国内で繰り返した。
米国では核兵器産業は昔のことではない。米国の保守層が原爆正当化に立ち戻るのは、現在に続く冷戦後の米国と核兵器産業との関係性から目を背けようとしているからだろう。
日本への2回の原爆投下だけでなく、何百回も米国の大地に落とされてきたわけで、それを正当化するのは非常に困難だ。だから原爆投下のあの日に戻って議論を繰り返していくのだと思う。
――リッチランドの住民が原爆について考えようとしないのは知らないだけなのか、見ないようにしているからなのか。
◆両方ではないか。生活文化が核兵器産業に頼っているということが、矛盾に目を向けず、考えることを拒否させる要因だと思う。政治的、経済的、文化的、個人的、さまざまな理由があると思う。
「被害を見せないのは間違い」
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学び合いの価値大きい
――広島を初めて訪れた感想は。
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――映画を通して伝えたいことは。
◆たくさんの対話が生まれることだ。人々がお互いに耳を傾け、相手を人間として見なすことができれば、残虐な行為や戦いはしづらくなる。対話すること、学び合いの価値は大きいと思う。【聞き手・武市智菜実、宇城昇】