西日本新聞 2011年8月7日 00:18
2009年8月、台湾南部を襲った台風で死傷者約700人が出た「88水害」から8日で2年。被災した先住民族も生活再建に取り組んでいるものの、長年にわたって独自の文化を築き上げてきた故郷が辺境の地にあるため、生活基盤の立て直しが極めて難しく、集団移転を余儀なくされているケースもある。パイワン族の故郷で、地域が壊滅的被害にあった屏東(へいとう)県来義(らいぎ)郷を訪ねた。
◆昔の生活に配慮
パイワン族が暮らしていた山あいの被災村から車で1時間ほど走った平地に、被災者が入居予定の永久住宅地区「南岸農場」が整備されていた。同族の伝統的な高床式住宅とは打って変わって、まるで都市部の分譲住宅地の様相だった。
住宅は紅十字会(赤十字会)が約14億円をかけ、台湾政府が所有する25ヘクタールの敷地に、延べ床面積約110平方メートルと約90平方メートルの2種類を計約230戸建設している。同会が屏東県政府に引き渡し、被災者は20日から無償で入居する。
住宅には被災者の希望を取り入れた。敷地内には部族伝統の木や石の彫刻作業ができる施設を建設し、自宅で耕作が可能な数坪のスペースも用意した。「故郷の生活に近い環境を再現した」。紅十字会の林政治・建設責任者は胸を張る。
◆住宅建設を禁止
来義郷来義村のパイワン族約1800人は「88水害」時、いち早く避難し死傷者はなかったが、農地や宅地約900ヘクタールが土石流で消失。さらに村は昨年9月の台風で水没したため、親戚に身を寄せた被災者以外の約400人は永久住宅近くの仮設住宅に入居している。
「村に帰りたいと思う住民がほとんどだよ」と世話役の洪嘉明(こうかめい)さん(55)が被災者の思いを代弁する。「永久住宅の建設に関する村民の会合は数え切れない。最後まで『村を離れたくない』『村の農地はだれが管理するのか』と心配する声しかなかった」
しかし、水害以降、村に通じる道路状況が悪く工事機械を現場に搬入できないため災害復旧はあまり進んでいない。
紅十字会と屏東県政府は永久住宅に入居する被災者に対し、「永久住宅入居後は村に家は建てない」と誓約させた。「村は今後も同様の水害で土石流が発生する可能性が高く、安全ではない」と指摘した関係機関の調査結果を受けた措置だ。
主婦廖桂蘭(りょうけいらん)さん(35)は「農作物を作れても住むことができないなら、村を捨てるのと同じ」と表情を曇らせる。被災者は安全と引き換えに故郷を去る決断をした。
◆ガイドの養成も
山あいから平地に移り住むことで、生活スタイルも大きく変わりそうだ。パイワン族の多くは広大な畑で作物を育て、自ら消費する生活を送ってきた。新生活では自給自足が可能な耕作地は持てないため、生活費を稼ぐ「定職」が必要になる。被災者の中には戸惑いや不安が広がっている。
地元の廖志強(りょうしきょう)・来義郷長(町村長に相当)は「台湾政府は『先住民を安全な場所に移住させて施策は終わり』では困る。新しい生活に必要な仕事を創出しなければならない」と注文。曹啓鴻(そうけいこう)・屏東県長(県知事に相当)は「先住民の暮らしや生活習慣、文化を紹介するガイドを先住民の中で養成したい」と述べ、先住民の文化を継承する施策の必要性も強調する。
■先住民族とパイワン族
台湾政府が認定する先住民族は14部族51万6千人(2011年7月現在)で全人口の約2%を占める。パイワン族も認定部族の一つで、中央部から南部の山間部に住んでおり、人口約9万1千人。屏東県にはこのうち約4万6700人が暮らす。産業はサトイモやコメなどの農業で、木や石の彫刻活動にも従事する。屏東県と東隣の台東県境の大武(だいぶ)山に先祖の霊が宿るとされ、5年に一度、魂を迎える大祭典が開かれる。
=2011/08/07付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/257208
2009年8月、台湾南部を襲った台風で死傷者約700人が出た「88水害」から8日で2年。被災した先住民族も生活再建に取り組んでいるものの、長年にわたって独自の文化を築き上げてきた故郷が辺境の地にあるため、生活基盤の立て直しが極めて難しく、集団移転を余儀なくされているケースもある。パイワン族の故郷で、地域が壊滅的被害にあった屏東(へいとう)県来義(らいぎ)郷を訪ねた。
◆昔の生活に配慮
パイワン族が暮らしていた山あいの被災村から車で1時間ほど走った平地に、被災者が入居予定の永久住宅地区「南岸農場」が整備されていた。同族の伝統的な高床式住宅とは打って変わって、まるで都市部の分譲住宅地の様相だった。
住宅は紅十字会(赤十字会)が約14億円をかけ、台湾政府が所有する25ヘクタールの敷地に、延べ床面積約110平方メートルと約90平方メートルの2種類を計約230戸建設している。同会が屏東県政府に引き渡し、被災者は20日から無償で入居する。
住宅には被災者の希望を取り入れた。敷地内には部族伝統の木や石の彫刻作業ができる施設を建設し、自宅で耕作が可能な数坪のスペースも用意した。「故郷の生活に近い環境を再現した」。紅十字会の林政治・建設責任者は胸を張る。
◆住宅建設を禁止
来義郷来義村のパイワン族約1800人は「88水害」時、いち早く避難し死傷者はなかったが、農地や宅地約900ヘクタールが土石流で消失。さらに村は昨年9月の台風で水没したため、親戚に身を寄せた被災者以外の約400人は永久住宅近くの仮設住宅に入居している。
「村に帰りたいと思う住民がほとんどだよ」と世話役の洪嘉明(こうかめい)さん(55)が被災者の思いを代弁する。「永久住宅の建設に関する村民の会合は数え切れない。最後まで『村を離れたくない』『村の農地はだれが管理するのか』と心配する声しかなかった」
しかし、水害以降、村に通じる道路状況が悪く工事機械を現場に搬入できないため災害復旧はあまり進んでいない。
紅十字会と屏東県政府は永久住宅に入居する被災者に対し、「永久住宅入居後は村に家は建てない」と誓約させた。「村は今後も同様の水害で土石流が発生する可能性が高く、安全ではない」と指摘した関係機関の調査結果を受けた措置だ。
主婦廖桂蘭(りょうけいらん)さん(35)は「農作物を作れても住むことができないなら、村を捨てるのと同じ」と表情を曇らせる。被災者は安全と引き換えに故郷を去る決断をした。
◆ガイドの養成も
山あいから平地に移り住むことで、生活スタイルも大きく変わりそうだ。パイワン族の多くは広大な畑で作物を育て、自ら消費する生活を送ってきた。新生活では自給自足が可能な耕作地は持てないため、生活費を稼ぐ「定職」が必要になる。被災者の中には戸惑いや不安が広がっている。
地元の廖志強(りょうしきょう)・来義郷長(町村長に相当)は「台湾政府は『先住民を安全な場所に移住させて施策は終わり』では困る。新しい生活に必要な仕事を創出しなければならない」と注文。曹啓鴻(そうけいこう)・屏東県長(県知事に相当)は「先住民の暮らしや生活習慣、文化を紹介するガイドを先住民の中で養成したい」と述べ、先住民の文化を継承する施策の必要性も強調する。
■先住民族とパイワン族
台湾政府が認定する先住民族は14部族51万6千人(2011年7月現在)で全人口の約2%を占める。パイワン族も認定部族の一つで、中央部から南部の山間部に住んでおり、人口約9万1千人。屏東県にはこのうち約4万6700人が暮らす。産業はサトイモやコメなどの農業で、木や石の彫刻活動にも従事する。屏東県と東隣の台東県境の大武(だいぶ)山に先祖の霊が宿るとされ、5年に一度、魂を迎える大祭典が開かれる。
=2011/08/07付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/257208