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原野に育まれた更科源蔵

2011-08-20 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2011年08月19日
【北の文人 立ち話 高山美香】
■少年時代の体験 花開く
 詩人、更科源蔵は、弟子屈村字熊牛原野の大自然の中、開拓農家の末っ子として誕生しました。
 とても内気で甘えん坊だった源蔵。地元の小学校に入りますが、自宅から学校までは往復16キロもあり、北見に住む姉の元から近くの小学校に通うことになります。しかし、人見知りが激しく1週間で弟子屈村に戻ってしまいました。
 そんな源蔵もいつしか立派な青年に成長。東京の獣医学校に入学しますが中退。大自然の中が一番自分らしくいられると気づき帰郷します。弟子屈の素晴らしさを伝えたいと、源蔵は牧羊、代用教員、印刷業など様々な仕事に就きながら自然や農民をテーマに作品を次々と発表。「原野の詩人」と呼ばれるようになりました。
 詩誌「抒情詩」への作品入選をきっかけに、各地の詩人たちと交流も始まります。またアイヌ研究家としても活躍しました。1939(昭和14)年に妻を亡くし札幌に転出。戦争に翻弄(ほんろう)されながらも精力的に「北方文芸」「至上律」など多くの詩誌や雑誌を創刊。道史研究にも業績を残しました。
 内気な少年時代とは別人のような活躍ぶり。しかし源蔵を詩人として大成させたのは、実は少年時代に培われた鋭い洞察力や自然への観察眼だったといいます。人生には無駄なことなど無いのですなぁ。余談ですが、源蔵さんの口癖は「ですなぁ」だったそうです。
   ◇
 更科源蔵(1904~85)。弟子屈町生まれ。麻布獣医畜産学校を中退し帰郷。詩誌「リリー」「潮霧」を刊行、高村光太郎らに私淑し詩作を行う。戦後は多くのアイヌ関係の研究も発表。著作、詩集に「凍原の歌」「コタン生物記」「熊牛原野」など。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000961108190001

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