朝日新聞 2011年08月29日
■続く生活苦 道外は切実
政府がアイヌ民族を「先住民族」と認め、着実に施策を進めるとしてから3年。政府は「重要政策の一つ」(枝野幸男官房長官)と位置づけるが、政治主導による「成果」はなかなか見えず、民族の多くが不満を募らせている。アイヌの人たちが待ち望む政策は、いつになれば実現するのだろうか――。特に、生活や教育、文化活動への支援が行き届かない道外で暮らす人たちは切実だ。
7月30日午後。JR東京駅近くで、アイヌ政策を具体的に議論する「アイヌ政策推進会議」の作業部会長2人と道外で暮らすアイヌの人たちとが向き合った。
推進会議は6月、作業部会が1年以上かけてまとめた報告を了承した。しかし、この日は、道外のアイヌの人にも報告についての理解を得るため、推進会議の事務局が呼び掛けた。説明会は非公開だった。
会では、2人の作業部会長が白老町に建設する「民族共生の象徴となる空間施設」の基本構想と、道外アイヌ民族の生活実態調査の結果を報告し、アイヌの人たちから質問を受けた。
最後に女性が言った。
「年金だけでは生活はおぼつかない。生きていく基盤をどうしていけばいいのか切実な問題なんです。そういうことは協議されているのですか。生きているうちに何とかなりませんか」
推進会議はこれまでの二つの作業部会に代わり、新たに作業部会をつくる。初会合は東京都内で8月31日に開かれる。就労支援や高等教育機関への進学支援、アイヌ文化を伝承するための活動支援など、道外のアイヌの人たちが望む政策課題などを検討する方針だ。だが、これまでの議論に失望感が広がっている。
上村英明・恵泉女学園大教授(先住民族論)は「国会決議から3年、具体的に国がどんな政策を進めていくかという『結果』が問われる時期なのに、ほとんど停滞したままだ」と話す。
推進会議の委員の一人は、アイヌ政策の議論が盛り上がらないのは「政治の熱が冷めているため」とみる。「国会議員の中でアイヌ政策に汗をかく人が少ない。いまの政治状況では、省庁の職員はアイヌ政策の議論から逃げ放題だろう」
上村教授も「政治の監視が弱く、議論が官僚主導になっているからだ」と分析する。そして、「アイヌ民族は政策提言するなど政治へのアプローチをしていくべきだ」という。
◇
■いじめられ 差別され 下を向いて生きてきた
■東京の女性「苦しんだ分、補償を」
道内のアイヌ民族とは違って支援策に乏しいのが道外の人たちだ。しかも、過去に受けたつらい体験に今なお苦しみ、生活が不安定な人が多い。
東京都内で暮らすアイヌ民族の女性(55)は釧路市出身。十数年前に母親の介護で関東にやってきた。
「ずっと下を向いて生きてきた気がする」
小学2年の冬。バケツで水を掛けられた。髪の毛がバリバリに凍った。走って家に帰り、家族に気づかれないように着替えた。翌日から教室に入れなくなった。校舎裏で過ごす日々が中学3年まで続いた。
中学を出てバスガイドになろうと試験を受けた。合格したが、家が貧しくてガイド練習用のカセットテープが買えず、入社を辞退した。その後、2回の離婚。義理の家族や親戚らから無視され、暴力もふるわれた。それらは民族への差別や偏見に起因したと言う。
母親が亡くなったことに加え、過去の差別体験を引きずり、うつ病になった。自殺しようと、歩道橋に向かった夜もあった。
今は年下の男性とマンションで暮らす。病気は一段落したが、就職はしていない。男性の会社を手伝い、年に数回、アイヌ舞踊を指導する。個人の年収は100万円に遠く及ばない。
生活は男性頼みだ。ただ、今年は会社の業績不振で賞与がなかった。食費を切りつめる日々だが、「周りに気を遣うことのない今が一番幸せ」と笑う。
世間体もあり、3度目の結婚には及び腰だ。だから、今後の人生に不安が付きまとう。「この人と離れたら、どうやって生きていこうか」。時々頭をもたげ、眠れなくなる。
「アイヌ民族というだけでいじめられ、差別を受けたことに、何も返してもらっていない。国には、苦しんだ分だけの補償をしてほしい」
(神元敦司)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001108290006
■続く生活苦 道外は切実
政府がアイヌ民族を「先住民族」と認め、着実に施策を進めるとしてから3年。政府は「重要政策の一つ」(枝野幸男官房長官)と位置づけるが、政治主導による「成果」はなかなか見えず、民族の多くが不満を募らせている。アイヌの人たちが待ち望む政策は、いつになれば実現するのだろうか――。特に、生活や教育、文化活動への支援が行き届かない道外で暮らす人たちは切実だ。
7月30日午後。JR東京駅近くで、アイヌ政策を具体的に議論する「アイヌ政策推進会議」の作業部会長2人と道外で暮らすアイヌの人たちとが向き合った。
推進会議は6月、作業部会が1年以上かけてまとめた報告を了承した。しかし、この日は、道外のアイヌの人にも報告についての理解を得るため、推進会議の事務局が呼び掛けた。説明会は非公開だった。
会では、2人の作業部会長が白老町に建設する「民族共生の象徴となる空間施設」の基本構想と、道外アイヌ民族の生活実態調査の結果を報告し、アイヌの人たちから質問を受けた。
最後に女性が言った。
「年金だけでは生活はおぼつかない。生きていく基盤をどうしていけばいいのか切実な問題なんです。そういうことは協議されているのですか。生きているうちに何とかなりませんか」
推進会議はこれまでの二つの作業部会に代わり、新たに作業部会をつくる。初会合は東京都内で8月31日に開かれる。就労支援や高等教育機関への進学支援、アイヌ文化を伝承するための活動支援など、道外のアイヌの人たちが望む政策課題などを検討する方針だ。だが、これまでの議論に失望感が広がっている。
上村英明・恵泉女学園大教授(先住民族論)は「国会決議から3年、具体的に国がどんな政策を進めていくかという『結果』が問われる時期なのに、ほとんど停滞したままだ」と話す。
推進会議の委員の一人は、アイヌ政策の議論が盛り上がらないのは「政治の熱が冷めているため」とみる。「国会議員の中でアイヌ政策に汗をかく人が少ない。いまの政治状況では、省庁の職員はアイヌ政策の議論から逃げ放題だろう」
上村教授も「政治の監視が弱く、議論が官僚主導になっているからだ」と分析する。そして、「アイヌ民族は政策提言するなど政治へのアプローチをしていくべきだ」という。
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■いじめられ 差別され 下を向いて生きてきた
■東京の女性「苦しんだ分、補償を」
道内のアイヌ民族とは違って支援策に乏しいのが道外の人たちだ。しかも、過去に受けたつらい体験に今なお苦しみ、生活が不安定な人が多い。
東京都内で暮らすアイヌ民族の女性(55)は釧路市出身。十数年前に母親の介護で関東にやってきた。
「ずっと下を向いて生きてきた気がする」
小学2年の冬。バケツで水を掛けられた。髪の毛がバリバリに凍った。走って家に帰り、家族に気づかれないように着替えた。翌日から教室に入れなくなった。校舎裏で過ごす日々が中学3年まで続いた。
中学を出てバスガイドになろうと試験を受けた。合格したが、家が貧しくてガイド練習用のカセットテープが買えず、入社を辞退した。その後、2回の離婚。義理の家族や親戚らから無視され、暴力もふるわれた。それらは民族への差別や偏見に起因したと言う。
母親が亡くなったことに加え、過去の差別体験を引きずり、うつ病になった。自殺しようと、歩道橋に向かった夜もあった。
今は年下の男性とマンションで暮らす。病気は一段落したが、就職はしていない。男性の会社を手伝い、年に数回、アイヌ舞踊を指導する。個人の年収は100万円に遠く及ばない。
生活は男性頼みだ。ただ、今年は会社の業績不振で賞与がなかった。食費を切りつめる日々だが、「周りに気を遣うことのない今が一番幸せ」と笑う。
世間体もあり、3度目の結婚には及び腰だ。だから、今後の人生に不安が付きまとう。「この人と離れたら、どうやって生きていこうか」。時々頭をもたげ、眠れなくなる。
「アイヌ民族というだけでいじめられ、差別を受けたことに、何も返してもらっていない。国には、苦しんだ分だけの補償をしてほしい」
(神元敦司)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001108290006