goo blog サービス終了のお知らせ 

熊野古道/伊勢路170km 伊勢神宮から川添駅 1日目

2020年03月20日 | データ
予てから計画していた熊野古道・伊勢路踏破を実行に移す。
 
※日程は2020.03.16-18の3日間(2泊3日)で熊野古道・伊勢路を歩いて来た。
伊勢神宮から船津駅まで行ければ1/2踏破となるが・・・・・
 
■2020年3月16日:伊勢神宮から川添駅まで
中山道で用いた車中泊併用走破のため、その日の到着予定地に車で移動し出発点までは公共交通機関で移動する方法を今回も採用。
 
3:20 自宅を出発。高速を乗り継ぎ、勢和多気ICでEXIT。
5:30 川添駅到着。駅のスペースに車を停める。
川添駅からJR紀勢本線とJR参宮線で伊勢市駅まで移動そこから三重交通のバスで伊勢神宮内宮へ。
7:20 伊勢神宮内宮へ到着
 
参拝者は早いせいか非常に少ない。
まず内宮へお参り。
手水舎の柄杓が取り除かれていた。(・・・)
直接手に水を受け作法通りに。
7:57 さあこれからが本番、熊野詣での始まりです。
おはらい町やおかげ横丁はまだまだ開店前(早いところで準備中)。
<歴史>
徳川家斉の文政13年(1830年)おかげ参りが大ブーム。14万人/日が宮川の渡しを渡った記録もある。
この家斉の時代は40人の側室、50人以上の子供を儲けた、享楽的な将軍でケチケチ政治をしていなかったそうです。歴史を見ると緊縮政策の時勢は文化は発展しなかったと歴史は証明している。
おかげ参りは御師というおかげ参りの総合プロデューサーがいて宿、お祓い、宴会も御師の家で行われていた。
この時代の人にしてみればちょっとした一大イベントに参加するようなものでした。
また代参犬と言う犬によるおかげ参りも記録に残っている。
(書籍:「駄犬道中おかげ参り」がこの辺を面白く書いている、高速参勤交代を書いた土橋さんの作品)
 
お店が開いていれば赤福と伊勢うどんで朝食としたいところですがこの時間では無理ですね。
残念なのは熊野古道伊勢路スマホdeスタンプラリーをするために最初のスタンプ場所が当然と言えばまだ閉まっています。(宇治浦田観光案内所)QRコードが室内設置なので・・・・
近くの導きの神、猿田彦神社に旅の安全を祈願。
伊勢神宮内宮から下宮までは4.5kmで約60分程歩きます。
古市地区はほっとする町並みが続く。
 
※下宮
この時間になると参拝客が目立ちます。
下宮前の観光案内所でQRコードを読もうとすると、アプリが見つからない・・・
で・・・早々、スタンプラリーは諦めることに。
 
※これは熊野古道案内の各種道標種類を。(年代も色々)
地図を元にこの標識を拾うように歩く。(地図
外宮から田丸までは8.5km、125分。
※小西萬金丹
越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて万金丹、それを飲む奴ぁアンポンタン」の萬金丹です。
萬金丹は伊勢暦、煙草入れ、伊勢白粉(おしろい)とともに伊勢講の土産物として広まった。
富山には反魂丹、三重には萬金丹、長野には百草丸、奈良には陀羅尼助は同様の胃腸薬で修験者が広めたと言われる。
我が家の常備薬は百草丸です。
※宮川の渡し
ここが伊勢神宮への入口とされていた。
ヘリの音が・・・・
帰って調べると伊勢航空基地が近くにあることが分かる。
冷たい風が吹き付ける、天候は不安定で時折雨が落ちてくる。
常に向かい風で風速10mはある。
ハードシェルを着込み、すべての口元を絞る。
山登っているような格好に。
玉城町に入ると古い街道の面影。
田丸城跡:南北朝時代に北畠親房(きたばたけちかふさ)が築いたのが始まりで、戦国時代には織田信長の次男、信雄(のぶかつ)が天守を築いて居城とした。
田丸を抜けると国道沿いの路が続く。
柿畑が続く。
※女鬼峠:熊野街道(伊勢路)で最初に越える峠が女鬼峠。
轍跡が今も残る。
峠は千枚岩の岩盤を切通しが残っている。
女鬼峠から柳原までは4km、70分の行程。
この辺りで雹が降ってきたので再度ハードシェルを着込む。
気温も更に下がった。
 
※元坂酒造:宮川の伏流水を使った伝統の酒造りを守っている。(2段右)
※馬鹿曲り:現在通行止め(3段左)
※神瀬多種神祠:複数の神様が一つ屋根の下に並べてまつられているとても珍しい神祠。「庚申」、「津島天王」、「皇大神宮」、「山の神」と異なる神様が祀られています。(3段右)
※神瀬橋の下(4段左)
※行き倒れの墓(4段右)、熊野詣での途中で行き倒れた人を地元の人が供養した墓。
11神宮から歩いて来ると郊外ではお茶畑が多い(伊勢茶)
室町時代から江戸時代には御師や伊勢商人が伊勢茶を日本中に広めた。
この地方は年貢として収めていた。
16:30 予定より少し早く川添集落の到着
今日は33.5km(ガイド本数値)歩いた事になる、スマホのGPSロガーソフトが上手く継続起動しなかった。
山用でなく別アプリを入れてきたが・・・
9割方舗装された道なので事前準備したトレランシューズ+中敷きで良かった。
トレッキングシューズや登山靴では負荷がきつい。
逆に普通の運動靴でクッション性の高いものが最も適していると思われる。
 
川添駅にデポした車で、翌日のスタート駅(梅ケ谷駅)へ
ストリートビュー通りに神社前に数台の駐車スペースがある事を確認しP泊場所へ移動。
もちろん車中泊OKの場所です。
夕食はカレーヌードル+おにぎり+野菜ジュースでアルコールは無し。
 
かなり冷え込むが快適に睡眠できた。

 

コメント

知多四国巡礼 No3 もくれん寺など

2020年03月14日 | データ
■2020.03.13 南知多町にある大宝寺、通称「もくれん寺」が見頃だとインスタで発信。
近くの三寺を併せて知多四国巡礼へ出かける。
まず、目に入ったのは薄いピンクの辛夷(こぶし)。
木蓮を背景にして
ハナニラ
サンシュユ
■第44番 菅生山 大宝寺(曹洞宗、釈迦如来)
「もくれん寺」で知られる山間の尼寺。
弘法大師が知多布教の歳立寄り、湧き出る山清水の美味しさにしばらく休憩され、書を書く為に水を持ち帰った事から、硯石大師霊場として知られる様になりました。
江戸時代の創建当初より駆け込み寺として多くの女性を救済、東海地方では数少ない縁切り寺ともなっています。
■第47番 井際山 持宝院(真言宗豊山派、如意輪観音)
内海の町と海を見晴らす山寺観音。
724年行基の開創と伝えられる一山九院の巨刹、観福寺の一院として創建された。
戦国の乱世で観福寺は衰亡。江戸時代の地誌「尾張名所図会」には桜の景観地と書かれている。
駐車場の桜が咲いていた。
境内には行き場を無くした弘法道の道標が多く持ち込まれている。
境内にある銀杏の時期は綺麗に色づくが住職は忙しくなるとの事。見事な銀杏の紅葉の時期にも訪れてみたい。
 ■第46番 井際山 如意輪寺(真言宗豊山派、如意輪観音)
港町にとけこむ信者憩いの境内。
ここも一山九院の巨刹、観福寺の一院として創建されたが南北朝からの戦国乱世で荒廃。
1574年中興開山された。
お参り途中、猫が堂内に行き交う、住職に伺うと現在6匹の猫を飼っているとの事。
寺の裏にある式内社「入見神社」に捨てられた子猫も住職がお世話している。
住職頑張って!
■第45番 尾風山 泉蔵院(真言宗豊山派、薬師如来、阿弥陀如来)
開眼した諸願成就のダルマに迎えられて。
ここも観福寺の一坊として創建。
室町時代初期に内海城主一色氏により、鎮守堂として城内に移築された、その後一色氏は家老佐治氏に追われ、内海城は廃城となり跡地に1532-55に廃城跡に中興された。
・マンサク
・椿
・椿
境内には花が多い。椿、サンシュユ、バイモユリ、ウラシマソウ
お庫裡さんとしばし花で長話・・・・
境内にある石灯籠は江戸後期の儒学者、頼山陽の筆があったり、文化財の算額があったりする。
泉蔵院から丘に登り藪漕ぎをすると藪に埋まれた中に一色城跡地の標識。
一色城:応仁の乱頃まで知多半島南部を治めた一色氏の居城で後に家臣の佐治氏に追われ衰退した。
■梅原猛本家
この内海地区には著名な哲学者:梅原 猛が幼少期から青年期まで育った場所。
大胆な仮説の彼の書籍は歴史学会に一石を投じた。
私が読んだ本は
・『隠された十字架―法隆寺論』
・『神々の流竄』
・『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』
なかなか面白いです。
■唐人お吉の出生地(一説です。)
悲しすぎる話しは後年の小説・戯曲・映画によるもので何がホントかわからなくなっている。
この手の話はお多いですが・・・
お吉の仕えたハリスは日米修好通商条約を日本と締結。
この不平等条約を改正するために50年もの歳月を要した。
吉良の仁吉清めの井戸
清水次郎長の兄弟分で荒神山の決闘で鉄砲に打たれ亡くなる。
帰路につく際、ここで仁吉の体を洗ったとされる。
近くに伊勢湾台風時の高潮水位を記した物があった。
今日訪れた場所は南知多町内海地区で海岸線は内海海水浴場となっています。
ちょうど夕暮れ時です。
海辺に車を停めお茶タイムとします。
コメント

知多四国巡礼 No2 地元の三寺+二寺

2020年03月14日 | データ
■2020.03.11 生協の注文品を受取りに行くついでに二寺巡礼。
先日行くには少し離れている。
 
■第62番 御嶽山 洞雲寺(西山浄土宗、阿弥陀如来)
蓮の花から紅葉まで四季の情緒を堪能する。
御嶽三百坊と呼ばれた高讃寺が兵火を逃れるために埋められた阿弥陀如来坐像を掘り起こし本尊として1537年に建立された。
堂内には寧護(ねこ)大師がある。
■第61番 御嶽山 高讃寺(天台宗、聖観世音菩薩)
知多三山のひとつに数えられた名刹。
648年行基により天武天皇の勅願寺として創建されたと伝わる。
1537年織田と今川の戦火にあい堂塔末坊の大半を失い、南の坊一院を残すのみとなった。
 
■2020.03.09 天気もよく暖かいので時間が空いた昼から地元の三つのお寺(知多四国)へ。
焼き物散歩道を経由しぐるりと徒歩で周回する。
最初の目的地までは徒歩で30分程度、遊び慣れた路も今では当時の風景を残す場所は少なくなった。
 
■第65番 相持院(そうじいん) 宗派:曹洞宗、延命地蔵菩薩
陶都に知多半島随一の大梵鐘が鳴りひびく。
1560年創建、明治の廃仏毀釈の難にあい、六十四番の宝全寺に統合されるも静岡県にある寺の寺号を譲り受け大正時代に再興された。近年では映画『20世紀少年』シリーズのロケも境内で行われた。
知多半島随一の1.99トンの大梵鐘は1回100円の布施でつくことができる。
ここから一丘超えれば次なる目的地。
 
■第63番 大善院(だいぜんいん)宗派:真言宗豊山派、十一面観世音菩薩
樹齢五四〇年イブキと常滑焼の陶製塀。
白鳳十二年(684年)御嶽山三百坊が滅亡の時、御本尊の十一面観音をこの地へ移したのが始まり。
1469年常滑城主が十一面観音を新たに造立し常滑城の鬼門にあたるここに再建。
本堂の屋根が痛々しいが境内には540年の時を刻むイブキの巨木がある。
ここは私の子供の頃の遊び場で、また娘が絵を習いに通った場所でもある。
■第64番 宝全寺(ほうぜんじ) 宗派:曹洞宗、十一面観世音菩薩
懐かしい町並みに佇む川べりの寺。
1573年創建、以前は賑やかま町並みだったが今は閑散とした常滑の銀座通りにある。
子供の頃は、野菜は「八百屋」、魚は「魚屋」、鶏肉は「かしわ屋」、鍋などは「雑貨屋」と個々に買い物をしていて賑わった場所である。
最近はランニングのルートの一部として通ることはあるがゆっくり歩くのは久しぶりだ。
常滑の陶器(土管、筒管、焼酎便など)は今でも土留として至る所に残っている。
以下はその一部を今回撮影したもの。
焼酎瓶の製作窯屋の屋号が入っている。
今でも残っている会社の屋号がある。
至る所にあるオブジェなど。
この丸窯は主に焼酎瓶を焼いていた物です。(今は展示用)
月曜日定休が多く閉まっている店が多いなか手作りパン屋さんが開いていた。
15時も過ぎているのでおやつとしてパンを購入しお茶タイムとする。
ここから散歩道メイン場所へ。
焼き物散歩道の土管坂です。
今は使われていない煙突。
子供の頃は真っ黒な煙を出していた。
ゆっくり歩いて3時間で自宅に戻る。
知多四国霊場巡りと焼き物散歩を一緒にした一日でした。
コメント (2)

知多四国巡礼 No1

2020年03月08日 | データ
近隣のテニスコートはコロナ騒ぎでついにすべて・・・。
また利用している公共のアスレチックジムも・・・。
山もまだお気に入りの花が咲いていないので今しばらく花待ち。
そこで体力維持の為に、夕方ランニングを始めた。(一部インターバル速歩を組み合わせている)
 
そしてこの地方は知多四国八十八箇所と言う巡礼があり2巡目を始めた。
 
近くには六箇所の番所があり子供の頃は巡礼者から道を聞かれたことがあるし、またそのお寺は遊び場でもあった。
今は亡き私の母は町内の順番で近くの番所でお接待役を努めていた。
妻の母も毎年必ず巡礼をしており納経帳は真っ赤だった。
 
知多四国霊場
弘法大師(空海)は、東国巡錫の途中に知多半島に上陸し、その時、弘法大師は知多の風景があまりにも四国に似ていることに驚き、「西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらん」という歌を詠んだとされている。その後1809年(文化6年)に、妙楽寺住職亮山阿闍梨が弘法大師の夢告によって発願。三度四国に巡拝を重ね、岡戸半蔵・武田安兵衛の協力を得て、知多四国霊場を開創したとされる。
また知多四国霊場は、八十八ヶ所の番号札所、三ヶ所の開山所そして七ヶ所の番外札所の併せて九十八ヶ所の札所寺院で成り立っている。弘法大師空海への信仰で結び合い、各寺院は八宗十一派という宗派の違いを超えて結束している。
 
今回はなるべく順番に巡る事に。
(知多四国はどこから巡っても良い)
移動手段は車が基本で徒歩と組み合わせる。
 
持ち物は、納経帳、数珠、お経本、納め札、白衣、蝋燭、線香、納経料、お賽銭など
 
※巡礼の手順
・山門前で合掌し一礼
・手水舎でお清め
・本堂でお賽銭を納め、合掌礼拝、そして「御本尊真言」を唱える
・大師堂(弘法堂)で蝋燭、線香を奉納、お賽銭を納める。
・大師堂でおつとめ。
 懺悔文[さんげもん]、般若心経、光明真言、大師宝号、回向
・納め札を納める。(願い事が書かれている)
・納経帳の宝印(御朱印)をいただき御納経料を納める。
・場所により「お接待」がある。

■第1番 曹源寺(そうげんじ) 宗派:曹洞宗、 釈迦如来
山門に見せる第一番札所の風格。
1505年開創、当初は天台宗が曹洞宗に改められた。近郊で桶狭間の戦いがあり戦死者を「戦人塚」に祀った。
また、同寺は今川義元の位牌も守られている。

■第2番 極楽寺 宗派:浄土宗 、無量寿仏(阿弥陀如来)
千人の信者が願いを託した大師像。
1620年開創、梅干し、夏みかん、ねぎのお接待を受ける。

■第3番 普門寺(ふもんじ) 宗派:曹洞宗、 十一面観世音菩薩
老人の夢に現れた観音像。
壬申の乱の予兆でお告げがあり観音像を安置したお堂を建てたのが始まりと言う由来がある。

■第4番 延命寺(えんめいじ) 宗派:天台宗、延命地蔵菩薩
荘厳な楼門をふり仰いで境内へ。
鎌倉時代創建、当時は七堂伽藍を備えていたが応仁の乱で焼失。
ふくろう、唐辛子などの手作り品をお接待。

■第6番 常福寺(じょうふくじ) 宗派:曹洞宗、千手観世音菩薩
平家一門の供養を念じた景清ゆかりの地。
壇ノ浦の戦いで破れた侍大将「平景清」がこの地に逃れ、草庵を結んだことが常福寺の起こりである。

■第7番 極楽寺(ごくらくじ)宗派:曹洞宗、阿弥陀如来
「抱き地蔵」にこめる願い。
1430年開創、尾張と三河の境に位置するため戦国時代は武士の宿坊として使われていた。
地元では「抱き地蔵」が敬われている。

■第8番 傳宗院(でんそういん)宗派:曹洞宗、延命地蔵菩薩
女性の病いに霊験をあらわす「みょうほうさま」
1567年開山、またみょうほうさまが祀られている。

■第9番 明徳寺(みょうとくじ)宗派:浄土宗、阿弥陀如来
夫婦和合と金運を授かるなら秘仏「歓喜天」。
1391年創建、五葉松と相生松、蘇鉄など銘木がある。

■第10番 観音寺(かんのんじ)宗派:曹洞宗、聖観世音菩薩
路傍のお堂が集めた村人の信仰。
村人たちが畑仕事の行き帰りに手を合わせる辻堂が霊場となる。

■第11番 安徳寺(あんとくじ)宗派:曹洞宗、釈迦牟尼仏
藤江の里にひびく再興梵鐘の音。
1559年開創、第八世の和尚は能筆家として名高く大本山永平寺の鐘の銘を記している。
納経所にはプロ野球グッズが所狭しと並んでいる。

■第12番 福住寺(ふくじゅうじ)宗派:曹洞宗、無量寿如来
「有脇の昔話」が語る寺の伝説。
桶狭間の戦い前年にこの地の移し、砦の鎮護にしたのが開創と伝わる。
 
 

■第54番 海潮院(かいちょういん)宗派:曹洞宗、釈迦牟尼仏
潮風に導かれ海辺の札所へ。
もともと野間の大御堂寺塔頭の龍松院にあったが、廃仏毀釈で廃院になるが大師像をここに移転した。
海潮院

■番外年弘法 東光寺(とうこうじ)宗派:西山浄土宗、阿弥陀如来
弘法大師六十二年の生涯をうつす年弘法。
年弘法は大師誕生から入定までの六十二年間を、一年一体であらわしている。
 

10時過ぎから16時までかかり知多半島の北東方面を廻った。
本来この時期はバスでの巡礼も多く混み合うが、この御時世殆ど参拝者に合わなかった。
 
今回は個人的な願い事と共に「疫病退散」を祈願。
 
歴史の深いお寺だったり、花がきれいなお寺だったりゆっくり見ながら巡るのは楽しいものです。
それよりお賽銭用の小銭を貯めなければ。
2人×賽銭箱数なので沢山必要になる。
 
 
コメント

スプリング・エフェメラル(福寿草)

2020年03月02日 | データ
 
■2020.03.01 テニスもジムも当面施設の利用ができない。
ジムは感染リスクが高いのは分かるが、チュッとした仲間で行うテニスがリスクは高いとは思わない。
この地域でもテニスコートが使える地方自治体とそうでない所がある。
 
必要な買い物も結構リスクが高い。
感染リスクの最も少ないもは?
 
単独行での山登り。
 
 
藤原岳へスプリング・エフェメラル(福寿草)を探しに出かける。
登りに木和田尾根を使い天狗岩で昼食し聖宝寺道(裏道)で下山。
いずれのマイナールート。
 
木和田尾根は電力会社の鉄塔巡視路。
途中から坂本谷へルートを外れるが、比較的新しい熊の爪痕を見つけ正規ルートに戻る。
(何年か前にいなべ市で捕まった熊を滋賀県に逃し色々騒動がありました。)
この辺から残雪が現れる。
ツチグリ(昨年の物?)
鉄塔を追いかけるように登ってきた。
ここで稜線に出るが特に風が強いのでビニーを被る。
稜線を天狗岩方面へ、この辺から登山者とよくすれ違うようになる。
灌木帯で風の影響は少ない。
稜線(1200m)では春はまだ
この山は冬の遊び場ですがここ2年は積雪が少なく遊べていない。
天狗岩で少し早めの昼食、他に2名ほどが食事中。
カップ麺とふりかけ+ご飯で。
家からは伊勢湾越しに鈴鹿がよく見える、特に藤原岳は石灰岩採掘場所が痛々しく見える。
ここは素通り。
さあ下山です。
今年初の福寿草、チョットくたびれている。
10合目〜9合目でちらほら咲いている。
目を凝らして探すとちらほら。
9合目。
今日一番の株。
まだ数は少ない。
福寿草:典型的なスプリング・エフェメラルであり、春を告げる花の代表である。そのため元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。
お日様を浴びて気持ちよさそう。
8合目から聖宝寺道(裏道)へ入る。
アセビが咲いていた。
植林の道
ボタンネコノメソウ
登山道崩壊で長いことこのルートは通れなかった。
土石流の規模は大きくこれだけ頑丈なものが必要。
藤原岳は石灰岩質の山なので暖かくなると吸血ヒルの山となる。
従って冬から春先まで雪と花を楽しむ山です。
 
下山後、車を止めた場所までしばらく歩と・・・・電気柵が多い。
 
この地域ではサル、シカ、イノシシ被害が多く電気柵や警報機の設置シているが以前よりしっかりした対策になっているようだ。
 
いなべ市では獣害対策をしています。→「みんなができる獣害対策
獣害のことが良くわかります。
コメント (3)