西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

NPO地域支援研究フォーラムならの「打ち合わせ」他

2005-11-27 | 地域居住学
私は、一応、「NPO地域支援研究フォーラムなら」の理事長をしている。副理事長が奈良女子大学の中山徹先生だが、現在院生の井倉雅子さんが久しぶりに「打ちあわせ」に「つなね」の家に来た。中山先生に頼まれた「書類」を探しに来たのだが、一寸見当たらず別を探すことにした。ついでに、最近の生駒商店街のことや、研究のこと、住宅設計のこと、来年ヨーロッパに希望者で行きたいなあということ等を駄弁った。彼女もル・コルビュジェにも関心があるので、そこも行きたいし、私としては、来年はロンドンのハムステッド田園郊外のスタート百周年なので、その行事にも行きたいし、同じイギリスに行くならパトリック・ゲデス関係のエジンバラ他にも久しぶりに行きたいし、と「希望」が膨らんでくる。元々は、ワールドカップでドイツに希望者で行こうということだったのに・・。でも本当に実現するかどうか不確定だが、「宝くじ」と同じように色々「旅の夢のシュミレーション」は頭の体操兼休養で楽しいものだ。(写真は行きたい所の一つ、ル・コルビュジェのロンシャン教会、知り合いで、ここで結婚式を挙げた人もいる)
NPOについては、NPO地域支援研究フォーラムなら番地:http://geocities.yahoo.co.jp/gl/chiikisien_nara へ

地域での共同清掃

2005-11-27 | 地域居住学
日曜日、朝8時半から町内(桜が丘一丁目)で共同清掃が約1時間、その後、公園で消防署の人に来てもらって消火器使用訓練があった。私は、軍手にズックで出かけた。スタートで近所のある婦人が「集会所の裏がもやもやしている・・」とつぶやいた。それを聞いていたのが私と近所のF.さん夫妻ともう一人知らない若い男性だった。その4人で、とにかく集会所の裏に回ってみると、確かに雑草で通り抜けられない状況になっていた。両方から手分けして片っ端から抜いていった。集会所から少し離れて「境界のコンクリート」が立ち上がっているが、その間、約1~2メートル(途中で壁の位置の関係で変わる)離れている地面は元々白い小石が敷き詰められているので雑草が繁茂しにくく、抜きやすい状況だ。今後は、表の道路から見えない所だが時々「草抜き」をしたら、こうまでならなかったのにと思った。これで、大変だったのは、軍手、セーター、ズボン、ズック一面に、更に髪の毛までに「雑草の実」がはりついたことである。他の三人も同じだ。雑草も「生き延び戦略」で必死なのである。とにかく終って公園に行くと、最初に「つぶやいた」婦人が、「御免ね、自分が言ったばっかりに・・」と言って「雑草はりつき」にも気の毒がった。家に帰って「猿の蚤取り」のように取るのに小1時間かかった。軍手は、新品を一つ貰った。(写真は雑草取り後の集会所裏、縁とこちら側壁2m、向こう側壁1m位)

大阪・梅田の歩道橋

2005-11-26 | 京都の思い出(学生時代)
世に「歩道橋の日」というのがあるらしいが、それは1963年(昭和38年)4月25日、大阪駅前に日本初の歩道橋が完成したことに由来している、と言う。
しかし、実は日本で最初の歩道橋は大阪のそれではなく、1959年(昭和34年)6月27日に愛知県西枇杷島町(にしびわじまちょう)を走る国道22号線(現在は県道67号名古屋祖父江線)に造られたものが日本初だったようだ。
思い出すと、私が大学4回生か大学院1回生の時に梅田に見学に行った。どちらの日付か判然としない。というのは、上の情報では1963年だから私の4回生だが、実際の梅田の歩道橋には、寄付した松下電器の名とともに、その日付として1964年10月となっていて、それだと私の大学院1回生の時だからだ。とにかく、その時、「へ~」と思うと共に歩道橋の「根元」で老婆が一人座り込んでいるのを目撃して、一瞬にして「これは駄目だ」と思ったことを覚えている。後で冷静に考えると、馬力の弱い人間が「えっちらおっちら」上下して、馬力の大きな自動車が真っ直ぐスイスイ行くのはおかしいということである。その梅田の歩道橋を見た後で、自民党の福田赳夫さんと日本共産党の宮本顕治さんが「交通安全のため歩道橋を造るべし」で意見一致した政治座談会をテレビで見たことも覚えている。(写真は、梅田の歩道橋)

向島ニュータウン(17)-向島駅のエレベーター設置

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
近鉄・向島駅は改札が「空中駅」であるが、地表から駅には、今は階段とエスカレーターで上がっている。ところが、車椅子などで駅にアプローチしようとすると、地表から駅改札へと、そこから駅ホームへの両方でエレベータが必要となろう。向島駅では、現在、それらは工事中である。この近鉄沿線では、可能な所はエレベーターを鋭意設置している。我々の現在住む最寄りの高の原駅では既にエレベータは設置された。だから、前に関空に行った時も楽だったのだ。これらを運転する電気エネルギーは、無駄ではないのか、のチェックが必要なのは論を待たない。(写真は、外から向島駅改札へアプローチのエレベーター工事)

向島ニュータウン(16)-鉄錆(てつさび)

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウンの6街区のバルコニー鉄板の錆について紹介した。5街区では補修したようだが、1街区でもバルコニーに鉄錆が出ていた。ニュータウンを歩いて近鉄・向島駅に戻ってくると、バス停の覆いの鉄ポール、歩道と車道の間の鉄柵、それらに凄い鉄錆が出ていた。これら共通空間においても、早急に何とかしないといけない。これは向島ニュータウンだけの現象だけでなく、高槻市などでも見られ、日本全国の普遍的現象ではないだろうか。皆さんの回りではどうですか。
(写真は、向島ニュータウンのバス停回りのの赤錆)

向島ニュータウン(15)-中央公園の紅葉とスケッチ

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウンの中央公園の紅葉は綺麗だ。今回行った時も落葉樹が紅葉していた。ふと見ると、一人の住民が、紅葉のスケッチをしているのが目に留まった。聞くと、私と同じ位に住み始めたようだ。もう定年後で、悠々と風景スケッチをしているのだった。近鉄・向島駅の近くで、横に人工河川の別の滝と池があった。
ただ、ポツンとスケッチしているのは、やや淋しい風景でもある、と思った。
(写真は、向島ニュータウンの紅葉と住民のスケッチ)

向島ニュータウン(14)-京都市立向島図書館

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウンの地域公共施設は、京都市立向島図書館ではないか。私が住みだしたころ、2街区と5街区の間にやや広い空地があった。私がイギリスの留学から戻った1983年頃に、ニュータウンの近くで「暴力団」の発砲事件があったりして地域の雰囲気は余り良くなかった。その頃に、この空地の使い方が問題となってきた。私は、もう少し文化的な雰囲気を出すべく、イギリスで地域に多数あった図書館のことを思い出し、伏見区に既に図書館はあったが、ロンドンの良く似た大きさのバーネット区には10以上の地域図書館があることなどを示して、図書館が良いのでは、と『京都新聞』に投稿した。そのことが、どの程度効いたか分からないが、現在ある図書館が出来たのである。(写真は、京都市立向島図書館)

向島ニュータウン(13)-中央公園

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウン6街区の商店街・広場の辺りから近鉄・向島駅に向かって、一番南の宇治市との境にある公営の1街区と先に話した分譲の2街区の間に、中央公園が帯状にある。林の中に散策路をとり、その中心点あたりから東西両方に人工の川を流している。人工川は、それ以前に公団の平城ニュータウンの第二団地でも試みられていた。今から30年ほど前には、人工であっても「河川」が近くにあることが住宅地の「住み良さ」の一つの条件だった。ただ「人工」だから井戸水を汲み上げ循環させるなどの工夫をしていた。それと、絶えず流していないと水路は汚くなる。向島でも、鉄分が滝の石について事実、汚くなっている。散策路を歩きながら、人工河川の管理と改善のあり方を真剣に考える時だな、と思った。(写真は、向島ニュータウン人工川の滝)

羽衣国際大学人間生活学部開設記念講演会へ

2005-11-26 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日は、平安女学院大学生活環境学部長としての「近所付き合い」で、羽衣国際大学人間生活学部開設記念講演会へ行った。南海沿線の羽衣駅の近くだ。難波から急行で堺の次の停車駅で約15分、便利な立地だ。「近所付き合い」で来たのは私ぐらいだ。大阪教育大学のK.先生は、来年からここに勤めるので、来ておられた。人間生活学部は、この4月に開設、人間生活学科一つで、中に食物栄養学専攻(管理栄養士受験資格コース)、介護福祉学専攻(介護福祉士コース)、生活マネージメント専攻の三専攻を設置している。色々実情の一端を聞いて「参考」になった。
講演は、阪大教授の生田香明さんで演題は「『人間力』の回復をめざしてー子どもの身体能力と脳の発達からー」というものだった。子どもの3,4歳及び8,9歳の辺りに脳が発達する時期があり、それらの時に走り回ったり、ボールゲームをしたりしておかないと後々上手くいかないと言う。(昔から「三つ子の魂、百まで」と言うし、私の体験からも小学校3、4年がポイントだ)人間、二本足になって脳も発達させてきたが、最近は二本足で立っても5本指がきちんと地面について体重を支えている子ども達は調査によると半分ほどとのことだ。これを18歳の大学入学から4年間で修正するのは並大抵ではない、と思った。

パリの下水道

2005-11-25 | 地域居住学
帰りに良く『日経』夕刊を買う。色々考える素材も提供してくれる。50円は安いかもしれない。今日の「あすの話題」で大久保尚武さん(積水化学工業社長)が「ロスアンゼルスの下水道」を書いていて興味深い。積水がリニューアル工事を請け負っているようだ。非開削工法で、道路上から送り出す帯状のプラスティック板を、ロボットが自動的に「かんごう(つなぎあわせ)」してパイプにしていく、と言う。(中略)アメリカでは未だ「アセットマネジメント(インフラ資産の管理)」の考えがない、とのこと、一寸驚いた。オーストラリアが先進国のようだ。一度調べてみよう。最後に「目にふれない地下深くのインフラの優劣が、都市の価値を決める時代になってきたようだ。」と締めている。そうだな、と思う。これを読んでいて、初めて大都市で近代的下水道を造ったパリを思い出した。昔、小説『レ・ミゼラサブル(ああ無情)』でジャンバルジャンがパリの地下道を駆け回るのを読んで、どういう所を走っているのか想像も出来なかった。前にパリで下水道観光で入り口のある「アルマ橋」まで行ったが入れなかった。今度は是非行ってみたい。(写真はパリの地下下水道・・人の走れる管理道路がある)

住宅計画Ⅱ講義要約6-「物言わぬ」赤ん坊や高齢者の要求把握

2005-11-25 | 色々な仮説や疑問
地域の施設を計画する場合、利用者の要求を把握しないといけないが、言葉を通じて把握できるのは、小学校高学年以上である。方法は色々だが、不特定多数には予備聞き取り等に基づくアンケート調査がある。特定多数なら、聞き取り、座談等がある。座談では建前しか聞き取れない場合があるから本音を聞く工夫が必要。
ところで、赤ん坊や「認知症」高齢者の場合は、言葉では無理である。ではどうしたら良いか。じっと観察するしかないのではないか。私は、孫が赤ん坊の時に、赤ん坊は生活空間を絶えず拡張しようとしている(成長の一面である!)、という仮説を持って、観察した経験を話した。生活空間を拡張しようとしているので、ハイハイしていても外が見たいのではないか。そうだとすると、部屋の周囲が壁で、外を見ようとする視線が壁で撥ね返される空間は拙くて、低い窓ガラスやベランダを通して外界と繋がっていなければならないのでは(窓ガラスの場合、安全性との兼ね合いが重要だが)・・と話した。うなずいている学生もいた。一度、赤ん坊の研究者に聞いてみよう。(写真は、ハイハイ、窓に向かっているのは殆どない。親が撮るので親を見ているのが殆どだ。)

ご近所の底力ーついのすみか 妙案20より

2005-11-25 | 地域居住学
昨夕のNHKTV「難問解決 ご近所の底力」で「ついのすみか 妙案20大集合」というのを見た。三つの部分に分かれており、(1)安くて安心の住まい(住まい自身)、(2)気の合う仲間と暮らす(共同住宅)そして(3)町全体を終のすみかに、というものだ。ここでは第二、第三について、面白いと思ったことをメモしておく。第二では神奈川県伊勢原市の「多世代で住む共同住宅」で「おばあさん」4人と若い女子大生の共同生活、おばあさんも女子大生も喜んでいる。女子大生は「家の人がこういう共同住宅を探してきた」と言っているのも面白かった。こういうのを住居学と福祉学で共同開発しても良いと思った。第三では、昔、千里ニュータウンで黄色い旗運動(元気だとバルコニーに黄色い旗を出す)があったが、あれだと年寄りが何処にいるかわかってしまい「駄目」となった。高知市丸池町の例は、個々のお年寄りの毎日の「生活の癖」を町内全体で確認して毎日さりげなくチェックするという方法、例えば「癖」として毎朝に玄関の雨戸を開ける、午前中に自転車を乗り回す等々、これだとその町内の人しか分らないサインだ。「なるほど」と思った。(写真は高齢者と女子大生の共同の住まい)

世界遺産ーイエメンのシバーム

2005-11-24 | 地域居住学
私としては遅れているかもしれないが初めて聞いた都市の名だ。世界遺産、イエメンのシバームだ、乳香の里である。シルクロードと同じように「乳香の道」がローマに通じていたようだ。今夕NHKTVでやっていた。出来れば何時か行ってみたいな、と思った。16世紀頃に出来た7、8階建てまでの泥(日干し煉瓦)の高層住宅がユニークだ。玄関で履物を脱ぎ上足が裸足で日本と同じなのも興味深い。2階に家畜を飼っており、イスラム社会なので3階が男性空間、4階が女性空間と別れている。外敵から自らをまもるために身を寄せ合って高層で集積し、もし攻め込まれても高層部において互いに通じている通路が空中廊として完備していて素早く逃げることも出来るようだ。窓からは「内部」では、パリのアパルトマンと同じく向かいの泥の住棟しか見えないが、一寸外に出れば回りは大自然である。念のため。(写真はShibamの泥の高層住棟)
注・・・乳香:「カンラン科の常緑高木。また、その樹脂。葉は羽状複葉。白色または淡紅色の小花を円錐状につける。北アフリカの原産。樹脂は芳香があり、古代エジプト時代からの薫香料。」


虐(いじ)めより励(はげ)ましを

2005-11-24 | 時論、雑感
広島で又小1の女児が下校時に殺害された。去年は奈良で同じく1年生の女児が殺害されている。これで直接対応的には登下校時の「保護」が強まり、昔あった道草は益々出来なくなるだろう。昔、縦横に道草していた世代としては一寸残念である。それはともかく、この現象を考えると、弱い子どもに対して「強い」「変な」大人が「虐め」に入っているということだ。これは、冷静にみると、その大人は、更に「上」の強い力によって圧迫されているのではないか、ということである。つまり、より大きな虐めがあるのではないか。それが連鎖的に「下」に向かっているのではないか。だとすると、問題を「下」を虐めることで、「解決」するのではなく、むしろ「下」を励ますことによって人々の「つながり」、連帯を発展させることによって解決することが大切になる。特に一番「上」が考えるべきだ。単純なことだが「虐めより励ましを!」と強く言いたい。

精華町の都市計画審議会に出る

2005-11-24 | 地域居住学
今日、京都府精華町の都市計画審議会に出た。副会長をしている。会長は吉川和広先生(京大名誉教授、土木学、75歳)だ。精華町は、関西学研都市の中心自治体である。国立国会図書館関西館、厚労省関係の「仕事館」はじめ民間の研究所も多く、中心に「けいはんなプラザ」がある。今日は、地区計画を改訂して、今までは敷地ロットがha単位だったが、ベンチャー企業にも来てもらうために基本的に300㎡からOKの部分を設定するが、それで良いかという審議だった。勿論OKとなった。
ところで精華町庁舎は、写真のようだが、これを造るにあたり町民の意見が集められた。私も住民の一人として意見を言った。なるべく高層ではなく中層にしてワンフロアに多くの関連部局を集め住民が行きやすいように、NPOや住民団体も利用出来るように等を提案した。コンペで設計が行われ、審査委員長は池田有隣先生(京大建築先輩、京都工芸繊維大学名誉教授)だった。私だけの意見が作用したわけではないが、中層で図書館や交流スペースも併設していて、まあ合格点の庁舎と思っている。