世に「歩道橋の日」というのがあるらしいが、それは1963年(昭和38年)4月25日、大阪駅前に日本初の歩道橋が完成したことに由来している、と言う。
しかし、実は日本で最初の歩道橋は大阪のそれではなく、1959年(昭和34年)6月27日に愛知県西枇杷島町(にしびわじまちょう)を走る国道22号線(現在は県道67号名古屋祖父江線)に造られたものが日本初だったようだ。
思い出すと、私が大学4回生か大学院1回生の時に梅田に見学に行った。どちらの日付か判然としない。というのは、上の情報では1963年だから私の4回生だが、実際の梅田の歩道橋には、寄付した松下電器の名とともに、その日付として1964年10月となっていて、それだと私の大学院1回生の時だからだ。とにかく、その時、「へ~」と思うと共に歩道橋の「根元」で老婆が一人座り込んでいるのを目撃して、一瞬にして「これは駄目だ」と思ったことを覚えている。後で冷静に考えると、馬力の弱い人間が「えっちらおっちら」上下して、馬力の大きな自動車が真っ直ぐスイスイ行くのはおかしいということである。その梅田の歩道橋を見た後で、自民党の福田赳夫さんと日本共産党の宮本顕治さんが「交通安全のため歩道橋を造るべし」で意見一致した政治座談会をテレビで見たことも覚えている。(写真は、梅田の歩道橋)
しかし、実は日本で最初の歩道橋は大阪のそれではなく、1959年(昭和34年)6月27日に愛知県西枇杷島町(にしびわじまちょう)を走る国道22号線(現在は県道67号名古屋祖父江線)に造られたものが日本初だったようだ。
思い出すと、私が大学4回生か大学院1回生の時に梅田に見学に行った。どちらの日付か判然としない。というのは、上の情報では1963年だから私の4回生だが、実際の梅田の歩道橋には、寄付した松下電器の名とともに、その日付として1964年10月となっていて、それだと私の大学院1回生の時だからだ。とにかく、その時、「へ~」と思うと共に歩道橋の「根元」で老婆が一人座り込んでいるのを目撃して、一瞬にして「これは駄目だ」と思ったことを覚えている。後で冷静に考えると、馬力の弱い人間が「えっちらおっちら」上下して、馬力の大きな自動車が真っ直ぐスイスイ行くのはおかしいということである。その梅田の歩道橋を見た後で、自民党の福田赳夫さんと日本共産党の宮本顕治さんが「交通安全のため歩道橋を造るべし」で意見一致した政治座談会をテレビで見たことも覚えている。(写真は、梅田の歩道橋)
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