昨日朝、いつものように食後の散歩をした。競馬場に続く陸橋を逆方向に駅に向かって歩くと道幅一杯になって急ぎ足で歩く大群にぶつかった。平日の朝ビール工場に向かうサラリーマンの姿とは違う。陸橋の端に立つ新聞の売り子を認めて、今日は日本ダービーだとやっと気が付いた。反応が遅いのは歳のせいか。ちょっと古いが「競馬場にビール工場」とはユーミンの歌みたいだ。
そういえば、一昨日のストリート・ジャズ祭も見逃した。毎年楽しみにしていたのに午前中のバドミントン練習が終り、昼食後テレビを見ながらウトウトしているうちにすっかり忘れてしまった。もう、夕方になっていた。念のため目抜き通りに言ってみたが、プログラムどおりに進捗し後の祭り。
昨日に戻ると、散歩から帰りコーヒーを飲みながらネットで電車やフライトと田舎の天気を確認、支度をして空港に向かった。一日前に宅急便を2箱も送ったが、後から気が変わって追加した数冊の本がやたら重い。それでも今年はバックアップのノートパソコンは持ち帰らないことにした。
パソコン環境は2GBのUSBメモリーに記録させ、そのバックアップとして情報を限定して別の512MBメモリーに書き込み、それも駄目な場合のために、野口悠紀雄さんお勧めのGmailの下書き保存を記憶装置代わりに使った。これだけやっておけば、重いノートパソコンを背負って歩くこともない。
松山空港に降り立つと、空気が澄んでいて直射日光がまぶしい。リムジンバスから路線バスに乗り換え実家に向かった。西側の窓際の席は日差しが強くカーテンを引いて本を読み始めたが、途中乗り込んできたメタボ中年男性が座ると両側からの熱気で集中出来なくなった。左の腿の辺りが汗でじっとりしていた。我慢するしかない。
窮屈で退屈な1時間後、実家の最寄の停留所に着いた。懐かしい堤防沿いの道を歩くとどの田圃も田植えが終っておらず、細かく耕して水を待つ間に白く乾いた表土が続いていた。一部に割れ目が出来始めている。昨年同じ時期に田舎に来た時はどこも田植えは終った後だった。家について早速母に聞くと、今年は雨が降らず水不足だそうだ。
夕方には異常乾燥のため火の元に注意するよう有線放送が流れた。母によると、このところ何度も同じ放送が流れているという。夕方散歩のときに近所の人に声をかけてみたが、「今年は雨がふらんなー」と暢気な応えで、この程度の水不足ではびくともしないように聞えた。■
http://blogs.yahoo.co.jp/nm20050201_0001/18139803.html
正直言うと、道後温泉に入ったことがありません。近くにいるとそういうものかも。温暖な気候はそこに住む人の気質を決めたと感じます。もっと言うと、松山は過去に生きる街のように私には感じます。
多分そうだと思います。天邪鬼で人とツルマズ時に言葉を選ばない性格は、かなりの部分会社生活を通じて得られた後天的なものだと思っています。自己分析すると田舎が自分の過去を見るような気持ちにさせるのかも知れません。
松山は観光で生きて行くと決意した街です。旅行者に気持ちよくしてもらうのは再優先で、そう言って頂くとそれはそれで大変嬉しく思います。
それにしても奇遇ですね。シアトルは今でも好きな街です。直ぐ近くにある大自然と最高の組み合わせでした。