昨夜12時前に自宅に戻り、入浴後お酒を飲みながら一泊二日の忙しいパック旅行を振り返った。話は1日目日の岐阜羽島駅で新幹線を下車して近鉄バスに乗り込んだ所に戻る。添乗員が配布してくれた地図を見てバスは名神高速から北陸道を通り日本海に向かうと初めて分かった。
更に地図の小さい文字を読んでいくと、北陸道を北上すると関ケ原・長浜城跡・姉川の戦い・小谷城跡・賤ケ岳の戦いと若い頃に見た歴史上の名跡が次々と出て来た。家内から天橋立に行くパックツアーと聞き、岐阜羽島からバスで天橋立に向かうとしか理解してなかった。なので、途中戦国時代の歴史を辿ると突然理解し、「らしい景色」を求めて窓に吸い付いた。
しかし、乗客の誰も興味がなさそうで添乗員も歴史に触れることは殆どなかった。明智光秀ゆかりの地だというだけだった。今回は物知りのガイドもいない格安ツアーなのでやむを得なかった。その中で多分ここが小谷城址だろうと思ったのが、幟(のぼり)が数本立った小さな丘だった。それ以外はこの地に疎い私には歴史を感じさせる風景は何も見えなかった。
有名な賤ケ岳の名を聞いて興奮したが道の駅のインフォメーションの若い女性によると高速道路からは見えないとのこと。だが、彼女によると歴史好きの旅行客も沢山いるそうで、その為に準備した「余呉の床と賤ケ岳の合戦記」と「七本槍」に関する資料のコピーをくれた。
私の実家は四国愛媛県(伊予)にあり、七本槍の一人だった加藤嘉明は伊予松山藩主だったことがあると興味を持った理由を簡単に説明したが、彼女は無反応だった。多分、全国からこんな旅行客がたくさん来るのだろう、一一相手にしてたら大変なのだろうと納得した。
それはそれとして、もし私がこの辺に住んでいたら毎週あちこち歩き回り歴史を体感したかもしれないと思った。だがそれは他にやる事がない時の事で、他に別の興味のある事ができたらそちらに向かうかも。例えばこの東側に伊吹山地が、その北東に白山がある。どちらも歴史ある山々だ。
そんなことを思い巡らしながら景色の変化を楽しんでいると、バスは敦賀の手前で左折し日本海沿いに西に向かい舞鶴若狭自動車道を走り始めた。日本海沿いと言っても高速道路からは時折湾の一部が見えるだけ、その理由はNHKの人気番組「ブラタモリ」見れば推測できる。■
更に地図の小さい文字を読んでいくと、北陸道を北上すると関ケ原・長浜城跡・姉川の戦い・小谷城跡・賤ケ岳の戦いと若い頃に見た歴史上の名跡が次々と出て来た。家内から天橋立に行くパックツアーと聞き、岐阜羽島からバスで天橋立に向かうとしか理解してなかった。なので、途中戦国時代の歴史を辿ると突然理解し、「らしい景色」を求めて窓に吸い付いた。
しかし、乗客の誰も興味がなさそうで添乗員も歴史に触れることは殆どなかった。明智光秀ゆかりの地だというだけだった。今回は物知りのガイドもいない格安ツアーなのでやむを得なかった。その中で多分ここが小谷城址だろうと思ったのが、幟(のぼり)が数本立った小さな丘だった。それ以外はこの地に疎い私には歴史を感じさせる風景は何も見えなかった。
有名な賤ケ岳の名を聞いて興奮したが道の駅のインフォメーションの若い女性によると高速道路からは見えないとのこと。だが、彼女によると歴史好きの旅行客も沢山いるそうで、その為に準備した「余呉の床と賤ケ岳の合戦記」と「七本槍」に関する資料のコピーをくれた。
私の実家は四国愛媛県(伊予)にあり、七本槍の一人だった加藤嘉明は伊予松山藩主だったことがあると興味を持った理由を簡単に説明したが、彼女は無反応だった。多分、全国からこんな旅行客がたくさん来るのだろう、一一相手にしてたら大変なのだろうと納得した。
それはそれとして、もし私がこの辺に住んでいたら毎週あちこち歩き回り歴史を体感したかもしれないと思った。だがそれは他にやる事がない時の事で、他に別の興味のある事ができたらそちらに向かうかも。例えばこの東側に伊吹山地が、その北東に白山がある。どちらも歴史ある山々だ。
そんなことを思い巡らしながら景色の変化を楽しんでいると、バスは敦賀の手前で左折し日本海沿いに西に向かい舞鶴若狭自動車道を走り始めた。日本海沿いと言っても高速道路からは時折湾の一部が見えるだけ、その理由はNHKの人気番組「ブラタモリ」見れば推測できる。■
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