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大胆解説・東芝不正会計(企業文化)

2015-07-30 11:33:17 | ニュース
第三者委員会の調査報告発表以来、日本経済新聞は東芝の「プライドが統治阻む」と題して専門家の見方を報じ、続けて「堕ちた東芝」と題して読み応えのあるコラム記事を連載している。多くの他のマスコミも主として東芝で何が起こったか、何故間違えたかという視点で報じている。

私の目で総合すると1)代々経団連幹部を輩出した日本を代表する名門企業の驕り、2)終身雇用で凝り固まり上には逆らえない企業文化で激しい競争に直面し思考停止した、3)先進的な内部統制は見かけだけで機能せず、4)第三者委員会そのものが東芝からの委嘱で踏み込み不足を指摘する声が多かったと思う。

その後の日経の連載コラム「迫真」によると第三者委員会は、私が想像していたより不正解明に深く切り込んでいた気がする。特に第2回目(7/29)で社員210名に聴取し社内メールを復元し、証拠を突きつけて経営陣を追い詰めたというくだりは迫力があった。現代は社内の指示系統で「言った、言わない」の水掛け論を飛び越えて、ドーンと証拠が突き付けられる時代になったのだ。昔なら関連文書が破棄され真実は数人の胸の内だった。

この記事の意味するところは、予想した通り東芝の数百人は不正に関わったということだと考えてよいと思う。予想より遥かに酷かったのは、トップから関係する幹部まで具体的に不正を指示したことだ。悲しいかな三代の社長にわたってリンゴは芯まで腐っていた。それどころか芯から果肉まで腐敗が進んでいた。

私の最大の関心は何故長きにわたって不正が見逃されてきたかだ。今迄の所マスコミ報道は「上には逆らえない企業文化」のせいで済まされている。何だか先の大戦の責任が国民全員と言って済まされている様な気がする。もう少し切込みが必要な気がする。曖昧なのは幹部社員の個人名が出ることになるのを恐れてのことか。

発端は証券取引等監査委員会への内部通報から始まった。調査が進むにつれ上記の様に「筋の良くないメール」が続々と出て来て第三者委員会の衝撃的な報告になったという。そこで多くのメールが削除され証拠隠滅の疑いもあったという。もっと早く内部通報が出ていれば軽傷で済んだはずなのにという思いは消えない。

私は企業文化では済ませられないと感じる。大袈裟だが、私はかつての典型的な日本文化の残滓のようなものを感じる。人は定年まで勤め上げようと思い会社を選び働き始める。その人にとって会社が自分が住む世界になり、その中でルールを守り成果を上げて昇進しようとし会社への忠誠心を高める。東芝だけでない、日本の大企業ならどこでも類似の文化があったし、今も残っている。

言い換えると自分の価値が社内評価、つまり上司の評価で決まる。だが、私の知る米国では自分の価値を職業に置く人が多かったと思う。人事とか会計とか自分の専門分野で高く評価されることでキャリアを積む。キャリアの為に自分の評価を高め、社内で昇進するか会社を変えて地位を高める。その場合、個人にとって重要なのはその職業の世界で評価されることだ。ということは不正に関わったらその人のキャリアはお終いだ。

これ等の人達はプロフェッショナルといって良い。私は東芝に少しでもプロフェッショナルもしくはその心を持っている人がいれば、三代の社長になるまで待たずとも社内で告発があり東芝の内部統制機能が働いたと思う。東芝だけの問題ではないと指摘したのは、上記の様に類似の企業文化はどの会社にもあったからだ。今も無くなったとは言い切れない。

更に言うなら、この問題を扱う日本のマスコミすら同じ文化圏にあるからだ。同じメディアに努める記者は、誤報だと分かっていても上司の指導に従う例が最近もあった。多分朝日新聞だけではない。米国で誤報に関わったと見做されたジャーナリストの未来はないと思った方が良い。

東芝の問題は私のようなかつてのオールド・サラリーマンだけではない、今も続く皆の問題でもあるとつくづく思う。時代は変わり今回威力を発揮したディジタル監査なんて怖い道具立てもある。だが、大学生諸君が一斉に就活に繰り出す姿を見ると、現代の若者たちも余り変わっていないと不安になる。■
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