goo blog サービス終了のお知らせ 

語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】民族問題講義(3) ~トルキスタン~

2016年03月02日 | ●佐藤優
(1)ムスリム共産主義者
 帝政ロシア時代、中央アジアは一つの単位で、トルキスタン(トルコ系の土地)と呼ばれていた。近代的な民族意識はなく、遊牧民は血縁に基づく部族意識、農耕民は定住するオアシスを中心とする地理意識、そして遊牧民と農耕民の両者はスンニー派ムスリムという宗教意識を有していたい。言語は、トルコ系言語とペルシャ系言語の双方を話すバイリンガルも多かった。
 ロシア革命は、西欧に波及しなかった。ドイツ、ハンガリーで起きた革命は、短期間で鎮圧された。
 レーニンは、革命の潜在力として、中央アジアやコーカサスの少数民族に目をつけた。少数民族には、ムスリムが多かった。ムスリム・ コミュニストという奇妙な概念が生まれた。奇妙な、というのは、二つの概念は矛盾するからだ。プロレタリアートの観点からすれば、民族には意味がない。被抑圧民族の観点からすると、階級区別は意味をもたない。
 ソ連は、歴史的にみれば、民族を階級が凌駕することで維持され、民族が階級を凌駕することで崩壊した。

(2)トルキスタンの分割
 レーニンの思惑は成功した。成功しすぎた。ジハードに燃えるトルキスタンの人々の力に、マルクス・レーニン主義が凌駕されそうになった。
 そこで、スターリンは、1930年代に、トルキスタンをタジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタン、カザフスタンの5つの民族共和国に分割した。タジキスタンのみがペルシャ系民族、残余はトルコ系民族と規定された。

(3)トルキスタンの分割がもたらした矛盾
 しかし、これらは上から人為的に作られた民族である。したがって、ことにタジキスタンとウズベキスタンとの関係が捻れた。サマルカンド、ブハラはウズベキスタンに属するが、歴史的にはペルシャ系言語を話す人々が過半数を占め、習俗もタジク人に近い。「民族境界画定」に無理があった。
 捩れは、ウズベキスタンとキルギスの関係にもある。
 キルギス北部の住民は、遊牧民の系統で、カザフ人と親近性がある。他方、キルギス南部のフェルガナ盆地の住民は、農耕民の系統で、ウズベク人に近い。フェルガナ盆地は、東端がウズベクとキルギスに分割され、さらにホジェンドを領有するタジクがからんで、このあたりの国境線は複雑に入りくむ。
 フェルガナ盆地は、もともとシルクロードの中の非常に豊穣なオアシスで、帝政ロシア時代は穀倉地帯だった。もっとも強力なムスリム集団がいた。ところが、ソ連時代、モノカルチャー政策によって綿花のみが栽培された。綿花は大量の水を必要とする。生態系を無視した灌漑により、土地が痩せ、ソ連崩壊後は綿花栽培をやめても元の穀倉地域には戻らなかった。ソ連時代の産業連関が崩壊し、フェルガナは極貧地域に陥った。
 そこへイスラム原理主義者が入りこみ、貧困、社会不安を背景に、この勢力の影響が急速に高まった。フェルガナ盆地では、罌粟の栽培が組織的に行われている。麻薬販売に従事する犯罪組織が、イスラム原理主義過激派と結びついている。

(4)強制移住
 スターリンは、トルキスタンの分割だけではなく、強制移住によって、民族問題をさらにややこしくした。
 独軍が北カフカースから撤退後、1943年末から44年春にかけて、チェチェン人、イングーシ人、カラチャイ人、バルカル人、カルムィク人などを「対独協力」の言いがかりをつけて、北カフカースから強制移住させた。クリミヤ奪回後の44年5月には、クリミヤおよびその周辺の黒海沿岸からクリミヤ・タタール人、ギリシャ人、ブルガリア人、アルメニア人などを追放した。さらに、トルコに接するグルジア南部から、ムスリム系のメスフ人(メスヘチア・トルコ人)、クルド人、ヘムシル人(イスラーム化したアルメニア人)などを、対土協力への危惧から追放した【注1】。
 1989年、商売下手のウズベク人商人が商売上手のメスヘチア・トルコ人【注2】商人に因縁をつけた。殴り合いから、たちまち死者何十人もの殺し合いに騒ぎが広がった。非常事態が宣言された。騒擾は連鎖的に波及し、ウズベク人に不満をもつキルギス人が加わって、3千人の死者が出た。フェルガナ盆地は疲弊した。そこへ、米ドル札をアタッシュケースに詰めこんだアルカイダの連中が入りこんできた。これは、ナゴルノ・カラバフ紛争の余波である。

(5)ウズベキスタン
 トルキスタンの民族問題をややこしくしたのは、スターリンだけではない。歴代の書記長も関与した。たとえば、ブレジネフ。
 ソ連時代、中央アジアの共産党第一書記には地元の民族が、第二書記にはロシア人が据えられることが多かった。腐敗とコネ政治が蔓延し、ソ連を停滞させる原因になった。
 特に、ウズベキスタンでは、ブレジネフ時代にラシードフ第一書記の一族を中心に部族政治が行われた。力をつけすぎた。ラシード・マフィアがブレジネフ一族、ことに娘婿のチェルバノフ(ソ連内務省第一次官)と結びつき、利権構造をがっちり築きあげた。
 アンドロポフ時代に粛正された。ゴルバチョフもその路線を継承したが、タジク人を登用するという「禁じ手」を使った。ウズベキスタンの中枢部からずん粋なウズベク人を追放し、サマルカンド出身のイスラム・カリモフ(現在の大統領)を据えることで共和国の活性化を図った。
 サマルカンドは、歴史的にはタジク系の都市である。1920年代には住民の80%がタジク人だった。ところが、1930年代になると、住民の75%が自分はウズベク人と考えるようになった。アイデンティティが変化したのである。しかし、ペルシャ系のタジク語の使用は変わらなかった。
 カリモフは、ウズベク語がうまく操れなかった。上手なのはロシア語で、その次がタジク語だった。ウズベキスタン独立後、演説できるレベルまでウズベク語力を向上させた。しかし、タジク系大統領に対するウズベク系エリート部族の反発があって、ウズベキスタンの潜在的不安定要因になっている。
 独立後、米国がカリモフの後ろ盾となった。石油も金も埋蔵されているし、ここを押さえれば中国を背後から抑えることになる。ということで、カリモフがどんなに人権を弾圧しても目をつぶった。しかし、2005年、米国はウズベクに対する見方を変えた。やりすぎだ、と。すると、こんどはモスクワが支持した。カリモフも、米国に距離を置くとともに、中国に歩み寄った。

(6)市民層の欠如
 中央アジア諸国では、ソ連崩壊後、一方では部族を中心とするエリート集団が権力を握り、他方では社会経済的困窮ゆえにイスラム原理主義が拡大している。
 欧米型市民社会を建設しようとする知識人が強権的な大統領に対して講義活動を行い、社会に騒擾を作りだしても、それを政治革命に転換しえる市民層が育っていない。
 ソ連時代には、まがりなりにも市民層が存在していた。民族意識を共産主義というイデオロギーで乗り越えようとした。グラジュダニン(市民)という言葉が肯定的な文脈で用いられた。この市民層は、伝統的な部族社会に吸収されるか【注3】、イスラムに対する帰属意識を強める方向に分解しつつある。この結果、既存権力が打倒されても、その後の主導権は有力部族かイスラム原理主義者が担うことになる。しかし、両者とも国家全体を掌握できるほどの力はない。だから、国家が分裂するのである。
 このことは、1990年代のタジキスタン内戦で明らかになった【注4】。 現在のタジキスタン政府は、有力部族と原理主義者の寄り合い所帯だが、タジキスタン領フェルガナ盆地はイスラム原理主義者が勢力をはり、中央政府が実効支配できない。

 【注1】この段落は、「『民族浄化』という言葉について」 による。
 【注2】スターリンによって、メスヘチア(グルジアのトルコと国境を接するあたり)からフェルガナ盆地へ強制移住させられた。
 【注3】トルクメンは、中東世界と中央アジア世界の交錯点である。中東のひとこぶラクダと中央アジアのふたこぶラクダの両方が棲息する土地は、世界中でトルクメンしかない。トルクメン人は、勇猛な民族で、略奪などを生業の中心に置いた。トルクメンは、鞏固な部族社会で、北朝鮮以上に統制がきつい。トルクメニスタン共和国の現大統領ニャゾフは、個人崇拝の独裁体制を採る。タリバンの指導者、オマールと親交があり、アルカイダ系の影響力が強い。それでいて、この国は永世中立国である。ソ連崩壊後、中央アジアはみなメチャクチャな状態になっている。みな、1988年初頭に起きたナゴルノ・カラバフ紛争に遠因がある。
 【注4】1988年、ナゴルノ・カラバフ紛争がタジキスタンに飛び火した。1988年2月または3月、ドゥシャンベ(タジキスタン共和国の首都)に流言飛語が流れた。ナゴルノ・カラバフ紛争で追われたアルメニア人がドゥシャンベへ避難し、ために住宅が不足する・・・・。街で衝突が起き、軍隊が出動した。反対派を殺し、皮を全部剥いで吊るした。戒厳令が敷かれ、1989年から全面的な内戦に入った。

□佐藤優『国家の謀略』(小学館、2007)
□佐藤優/魚住昭『ナショナリズムという迷宮 -ラスプーチンかく語りき-』(朝日新聞社、2006/後に朝日文庫、2010)
□佐藤優(聞き手斎藤勉)『国家の自縛』(産経新聞出版、2005/後に扶桑社文庫、2010)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【佐藤優】民族問題講義(2) ~ソ連解体の始まり、ナゴルノ・カラバフ紛争~
【佐藤優】民族問題講義(1) ~アゼルバイジャン~
【読書余滴】世界の常識に反するトルコの政策 ~『漂流するトルコ』補遺~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【佐藤優】民族問題講義(2) ~ソ連解体の始まり、ナゴルノ・カラバフ紛争~

2016年03月02日 | ●佐藤優
(1)ナゴルノ・カラバフ紛争
 1985年、ゴルバチョフが書記長に就き、ペレストロイカを始めると、ソ連の各共和国で民族意識が高まった。バルト三国が独立の動きをみせ、その機運がトランス・コーカサス【注4】でも同時に進行した。
 1987年、エレバン(アルメニアの首都)で、ナゴルノ・カラバフの帰属を求める集会が開催された。
 1988年2月、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人が、アルメニア共和国への帰属替えを求めた。
 1988年2月28日、これに反発したアゼルバイジャン人は、バクー(アゼルバイジャンの首都)近郊の都市スムガイトのアルメニア住民を襲撃した。ソ連検察庁発表でも、死者32人、負傷者197人に達した【注5】。
 1990年1月、ソ連軍が介入し、バクーを制圧する。しかし、紛争はエスカレートし、内乱が勃発した。
 1994年、両国間で停戦協定が締結された。

(2)紛争の背景
 (ア)アルメニア
 ナゴルノ・カラバフ自治州【注1】は、アゼルバイジャン人民共和国【注2】の領土内にあった。アルメニア共和国【注3】の管轄権は及ばないが、人口の7割がキリスト教徒アルメニア人だった。
 この地域は、18世紀からイスラム教国のオスマントルコの侵入を防いだ。アルメニア人には、宗教的、民族的に重要な土地だ。
 第一次世界大戦後の国際情勢がこの「飛び地」を生んだ。アゼルバイジャンを「大国」にすることがソ連の利益にかなう、と当時のソ連政府幹部は考えたらしい。大国がその思惑で勝手に小国の国境線を引いたのだ。
 ちなみに、アルメニア人は、19世紀初頭、トルコ人に多数殺害された。これに復讐するべく、トルコ人撲滅を図るグループが出現した。ダッシュナク・ツツン(連合)党である。メンシェヴィキの流れをくむ。テロによる革命をめざし、ボルシェヴィキよりもテロを支持する。シリアにグルンク(鶴)という組織を作ってテロリストを養成し、トルコ大使殺害などに実績をあげている。彼らは、ペレストロイカが始まってからアルメニアやナゴルノ・カラバフに戻ってきた。アルメニアの政権を左右した。

 (イ)アゼルバイジャン
 アゼルバイジャン人(アゼリー人)が自らをそう称するようになったのは、20世紀に入ってからだ。民族アイデンティティの形成がきわめて遅い。
 それまでは、<人間>と称していた。<人間>には、キリスト教徒とイスラム教徒がいる。そんな感覚だった。
 ちなみに、ロシア人はアゼリー人をコーカサスのタタール人(地獄から来た人)と呼んでいた。  
 アゼリー人は、他民族をレズギン、クルドという通称名で呼び、アゼリー人内部ではナヒチェバン族などの名を用いていた。いずれにせよ<人間>と考えていた。アゼルバイジャン人は、友愛の精神に富んでいたのである。地域が豊かだったこともあいまって、強権的な王朝が発達しなかった。
 いわゆるアゼルバイジャン人のルーツは、3つある。
  (a)セルジュク・トルコ系の遊牧民、騎馬民族。
  (b)サファビー朝ペルシャの建国の中心になったペルシャ系の人。
  (c)古代コーカサス・アルバニア王国を起源にもつ中世アルバニア人(バルカン半島のアルバニア人とは別系統)。

(3)紛争の経済的要因
 (2)-(イ)のうち、もっとも問題なのは(c)である。
 アルバニア人は正統派(カルケドン派)のキリスト教徒だった。
 コーカサス・アルバニア王国は4世紀に滅び、アルバニア人は18世紀にはアイデンティティを失いはじめ、19世紀には完全に喪失してしまう。
 アルバニア人のうち、イスラム教徒(シーア派)になった人々は、自分をアゼルバイジャン人だと考えるようになった。
 他方、グレゴリウス派のキリスト教徒になった人々は、自分をアルメニア人だと考えるようになった。
 それぞれの過程で、各々「固有」の民族神話をつくりあげた。
 元は同じ人々なので、本当は民族の違いを問う意味はない。しかし、それが紛争の根源になってしまった。
 紛争の最大の要因は、経済的な問題にある。それが結果として民族意識を高揚させていった。アゼルバイジャンの版図では、自分をアゼルバイジャン人だと思う人は優遇され、自分をアルメニア人だと思う人は冷遇される・・・・という構図だ。
 ナゴルノ・カラバフのアルメニア人が、同胞の住むアルメニア共和国に帰属替えしてくれ、と要求するのは当然の成り行きなのであった。

(4)紛争の政治的要因
 大国との力関係も要因となった。
 アゼルバイジャンは、ソ連の政策にしたがって工業化を推進したが、計画経済のシステムがうまくまわらず、その矛盾がアゼルバイジャン人のような社会的に弱い部分に凝縮されていった。アゼルバイジャン人は、自分たちの考えを知的言語で表現することに慣れていなくて、不満をうまく政治的言語で表現できなかった。不満は、構造的な敵であるソ連中央政府に向かわず、周辺の他「民族」に向かった。
 互いにいがみあい、暴力の応酬になった。その結果、両国の本来の敵であるソ連の介入を許し、アゼルバイジャン人はソ連軍の戦車に轢き殺された。

(5)紛争の結末
 紛争は、最終的には解決した。アルメニアのほうが軍事力が強く、ナゴルノ・カラバフにアゼルバイジャン人が一人もいなくなったからだ。
 ちなみに、ナヒチェバン自治共和国では逆の事態になった。アルメニア人が一人もいなくなった。殺されるか追い出されたからだ。
 民族問題は、だいたいにおいてエスニック・クレンジング(民族浄化)か暴力で解決される、というのが佐藤優の総括である。

(6)紛争の余波
 ナゴルノ・カラバフ紛争で一番割をくったのは、クルド人だった。
 ナゴルノ・カラバフとアルメニアとの間に、ラチン回廊という地区がある。交通の要衝で、クルド人の自治区があった。
 アゼリー人は、シーア派(十二イマム派)である。アゼルバイジャン国民のうち、スンニ派は、クルド人かレズギン人である。
 クルド人は、アルメニアにも居住するが、ゾロアスター教徒が多い。アゼルバイジャン東部にバクー油田があるが、昔は石油を使わなかった。この地で火をつけるとパッと燃えあがる。昔、それをゾロアスター教徒は拝んでいた。
 そのクルド人自治区に対し、アルメニアは「クルド人の国を作るのに協力するから、この回廊を通らせろ」と要求した。通過が許可された。たちまちラチンはアルバニアによって完全に制圧された。クルド人は、全員追い出された。
 アルゼバイジャンの軍隊は弱い。いまや、アルメニアとナゴルノ・カラバフは完全に繋がっている。ラチン回廊は、アルメニアが実質的に支配することとなった。

(7)複雑な民族地図
 アゼルバイジャン人を悩ますのは、アルメニア人だけではない。
 レズギン人は、アルゼバイジャン共和国の北部隣接国であるダゲスタン共和国にまたがって居住する。ロシアとアゼルバイジャンの国境を行ったり来たりしながら、麻薬などを生業とする。コーカサスでは麻薬を吸う習慣がある。麻薬ビジネスが「悪」という雰囲気はあまりない。レズギン民族は、終始移動している。その移動を阻止することはできない。麻薬がやすやすと入ってくるのだ。

  【注1】現在はアルツァフ共和国、ただし国際的に認知されていない。
  【注2】1991年、ソ連解体に伴い、アゼルバイジャン共和国として独立。
  【注3】1991年、ソ連解体に伴い、アルメニア共和国として独立。
  【注4】アルメニアやアゼルバイジャンが含まれる。
  【注5】この段落は、前掲『自壊する帝国』による。

□佐藤優/魚住昭『ナショナリズムという迷宮 -ラスプーチンかく語りき-』(朝日新聞社、2006/後に朝日文庫、2010)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【佐藤優】民族問題講義(1) ~アゼルバイジャン~
【読書余滴】世界の常識に反するトルコの政策 ~『漂流するトルコ』補遺~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【佐藤優】民族問題講義(1) ~アゼルバイジャン~

2016年03月02日 | ●佐藤優
(1)アゼリー語、アゼリー人
 「【読書余滴】世界の常識に反するトルコの政策 ~『漂流するトルコ』補遺~」の「(2)「トルコ語」の定義」に「アゼリー語」が出てくる。「トルコ語」に含まれる言語という扱いだ。
 アゼリー人は、アゼルバイジャン共和国の基幹民族をなし、680万人が暮らす。イランのアゼリー人は、もっと多く、1,500万人だ【注1】。

(2)複合アイデンティティと政治力学
 アゼリー人は、アゼリー民族意識とシーア派(十二イマーム派)に所属するという複合アイデンティティを持つ。
 民族的にはトルコ系で、アゼルバイジャン語とトルコ語は通訳なしでも基本的な意思疎通が可能である。アゼルバイジャンでは民族意識が強いが、イランでは宗教意識が強い。
 イランのアゼリー人は、民族感情よりも宗教感情を重視するので、同じ十二イマーム派のイラン人との同胞意識が強い。イラン人は、宗教的にスンニー派で、しかもケマル・アタチュルク改革以降、世俗主義を採用しているトルコ共和国に対する違和感と対抗意識が強い。
 アゼルバイジャンのアゼリー人にとって、アルメニア人は不倶戴天の敵であるが、イランのアゼリー人には激しい反アルメニア感情はない。トルコとアルメニアは不倶戴天の敵である。「敵の敵は味方」ということで、イランとアルメニアは友好的である。

(3)民族意識と紛争
 イランのアゼリー人も、アゼルバイジャンのアゼリー人を同胞と考えている。ナゴルノ・カラバフ紛争が事実上の内戦に展開したとき、イランのアゼリー人に北の同胞を支援しようという機運が生じた。
 1989年のベルリンの壁崩壊の映像はイランでも放映された。アゼリー人をイランとアゼルバイジャンの国境が隔てるのはおかしい、という風潮が高まった。
 1989年12月31日夜、ナヒチェバン【注2】とイランの国境が2万人の群衆によって破壊された。襲撃は、総延長137kmの広範囲に及んだ。
 ナゴルノ・カラバフ自治州でも、1990年1月2日、バスが銃撃と投石を受け、1人死亡、3人負傷の事件が起きた。
 アゼルバイジャン共和国は、1990年の新年早々、緊迫しはじめた。

(4)イランの危機意識
 イラン政府の危機意識は一つ。アゼリー人が民族意識を高揚させると、これに伴ってイラン人の民族意識が覚醒される。その結果イランが分裂する・・・・。
 ちなみに、イランは民族というアイデンティティはあまり強くない。シーア派はイスラム教の中ではマイナー・グループである。イスラム教シーア派が勢力を握っている国は、世界中でイランとアゼルバイジャンしかない。だから、イランとアゼルバイジャンとの関係は難しい。両国が宗教的アイデンティティで結びつくか否か、アゼリー人が民族的アイデンティティで結びつくか否か。アゼリー人が民族的アイデンティティで結びつけば、イランは解体する。しかも両国とも石油を産出するから、かなり豊かである【注3】。

(5)ソ連の危機意識と対応、その結果
 ソ連も危機意識は二つ。第一、ソ連・イラン関係の緊張。第二、イランからのシーア派原理主義の影響がアゼルバイジャンに及ぶこと。
 ソ連政府は、ナゴルノ・カラバフ紛争には現国境の維持を基本方針とした。結果としてアゼルバイジャンの立場を支持した。
 しかし、ソ連政府は、1989年の国境不祥事を機に、アゼルバイジャンの民族運動を厳しく取り締まることとした。アゼルバイジャンの民族主義者は、激しく反発した。
 1990年1月20日未明、バクーにソ連軍が突入。同日付けで、ソ連最高会議幹部会はバクーに非常事態を導入した。
 この事件による死者は300人以上と言われる。短期的にはアゼルバイジャン人民戦線に大きな打撃を与えたが、長期的にはアゼルバイジャン社会にソ連中央への深い不信感を残した。
 ソ連の過剰ともいえる反応は、カスピ海湾岸の石油利権だけではなく、ソ連基地の戦術核を守る意図があったからだ、と佐藤はみる。
 この事件後、ゴルバチョフは民族問題を力によって解決しようとするようになる。この志向が、1991年1月のビリニュス(リトアニアの首都)における「血の日曜日」事件を引き起こした。ソ連は、崩壊に向けて坂を転げ落ちていった。

 【注1】数値は、佐藤優/宮崎学『国家の崩壊』(にんげん出版、2006)による。
 【注2】ナヒチェバン自治共和国は、アゼルバイジャン共和国の飛び地である。面積5,500km2。アルメニア(221km)、トルコ(9km)、イラン(179km)に接する。
 【注3】佐藤優/宮崎学『国家の崩壊』(にんげん出版、2006)による。

□佐藤優『甦る怪物 -私のマルクス ロシア篇-』(文藝春秋、2009)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【読書余滴】世界の常識に反するトルコの政策 ~『漂流するトルコ』補遺~


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【古賀茂明】岩盤規制に負けた「安倍ドリル」 ~ 薬のネット通販~

2016年03月02日 | 社会
 (1)2月10日付け日本経済新聞に、こんな見出しがあった。
 <電子処方箋4月解禁 厚労省、薬局の事務負担軽く>【注1】
 厚労省は、今年4月から、医師が紙の処方箋を患者に渡さずに処方薬のデータを地域の専用サーバーに送り、そのデータを薬局が呼び出して患者に薬を渡すという仕組みを認めるというのだ。
 これを認めていない先進国は、日本くらいだ。これまで認めていなかったことの方が驚きだ・・・・から、一歩前進してよかった、と思ってしまう。
 しかし、何故今まで認められなかったのだろうか。
 その鍵が、この記事の末尾にほんの数行あった。
 <厚労省は市販薬のネット販売を解禁する際に、十分な議論のないまま処方薬を法律で禁止した。処方薬は重い副作用があるという理由だが「医師が診察したうえで処方している薬だからこそ、処方箋があればネットでの販売を認めるべきだ」との声が民間企業からは上がっている>【注2】

 (2)薬局業界と厚労族議員の利権の牙城は堅固だ。
 「岩盤規制にドリルで穴を開ける」と大見得を切った安倍晋三・首相が掲げた成長戦略唯一の目玉が「医薬品ネット販売全面解禁」だった。
 しかし、「全面解禁」は看板だけ。
 解禁されたのは、いわゆる「一般用医薬品」だけで、「処方薬(医療用医薬品)」は禁止のままだった。
 処方薬の市場は6兆円超、一般用医薬品の10倍近い。しかも、価格競争が激しい一般約と違い、処方薬は業界にとってドル箱だ。ネット通販業者にこの美味しい世界を荒らされてはたまらないので、医薬品全体で見れば1割に過ぎない一般医薬品の自由化だけに抑え込んだのだ。

 (3)当時の議論では、ネット通販禁止の理由として、薬局側は、「対面でないと患者の顔色が見分けられない」とか、「鼻水が白色か黄緑色かが見分けにくい」などという珍論を強力に展開した。
 その結果、一般医薬品の一部(約1%)に要指導医薬品【注3】という分類を作り、これをネット販売の対象から外した。
 これは、一般用医薬品でさえ対面販売すべきものがあるのだから、ましてや処方薬は対面販売して当然だ・・・・という論理を作りたかったからだ。

 (4)しかし、
   ①処方薬・・・・医師が処方している。
   ②一般医薬品・・・・医師が関与していない。
 よって、①は②より対面販売の必要性は低いはずだ。
 マイナンバーカードを使えば、ネットでの本人確認も容易だ。医薬品ネット販売解禁の条件は整った。
 病院に来る患者だから、体調が悪いとか、体が不自由だとかいうのが普通だ。また、夫婦共働きで勤務の合間に薬を取りに行くのは大変だ、という人も多い。
 処方薬のネット販売が解禁されたら、どんなに喜ばれることだろう。

 (5)しかし、安倍総理自慢の「ドリル」はお蔵入りし、この問題は安倍自民党ではタブーだ。
 今や、2016年度予算成立前から「補正予算が必要だ」と、さらなるバラマキを求める声だけが響く。
 一方の野党は、選挙のための野合だけ。
 国民のための政策実現の展望は開けないままだ。

 【注1】記事「電子処方箋4月解禁 厚労省、薬局の事務負担軽く」(日本経済新聞電子版 2016/2/10)
 【注2】前掲記事。
 【注3】劇薬等とも言われるが、一部のロキソニン系の貼り薬など馴染みのものが多い。

□古賀茂明「岩盤規制に負けた「安倍ドリル」 ~官々愕々第190回~」(「週刊現代」2016年3月12日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【古賀茂明】一線を越えた高市早苗総務相の発言
【古賀茂明】シャープ救済劇と官僚の思惑
【古賀茂明】ルールが守られない国、日本 ~途上国体質~
【古賀茂明】争点化すべき企業献金問題
【古賀茂明】基地をめぐる二つの選挙
【古賀茂明】前半がバラマキ政策、後半が憲法改正 ~「先楽後憂」の今年~
【古賀茂明】玉虫色の民主・維新政策合意 ~平和主義も放棄?~
【古賀茂明】シリア空爆の裏にある真実 ~軍需産業の大儲け~
【古賀茂明】橋下市長の去就で、憲法改正が現実味?
【古賀茂明】空虚な「日本再興戦略」 ~成長戦略の挫折~
【古賀茂明】「なかったこと」にされた議事録 ~閣議決定の記録~
【古賀茂明】【原発】大手電力のエゴ丸出し
【古賀茂明】勝っても負けても安倍自民には得 ~大阪ダブル選
【古賀茂明】問題だらけの軽減税率 ~最悪の方向へ~
【古賀茂明】【原発】骨抜きの「ノーリターンルール」
【古賀茂明】アベノミクス「第二ステージ」 ~失敗を隠す官僚の常套手段~
【古賀茂明】難民と安倍とメルケルと ~ドイツと差がつく日本~
【古賀茂明】安保法成立の最大の戦犯
【古賀茂明】軽減税率、本当の問題 ~官々愕々第170回~
【古賀茂明】国民のために働く官僚の左遷 ~読売新聞の問答無用~
【古賀茂明】安倍首相の「積極的軍事主義」が根付くとき
【古賀茂明】電力自由化は進んでいない
【古賀茂明】【TPP】の漂流と「困った人たち」
【古賀茂明】安保法案の裏で利権拡大 ~原子力ムラ~
【古賀茂明】東芝の粉飾問題 ~「報道の粉飾」~
【古賀茂明】「反安倍」の起爆剤 ~若者たちの「反安倍」運動~
【古賀茂明】維新の党の深謀遠慮 ~風が吹けば橋下市長が儲かる~
【古賀茂明】腐った農政 ~画餅に帰しつつある「日本再興」~
【古賀茂明】読売新聞の大チョンボ ~違法訪問勧誘~
【古賀茂明】「信念」を問われる政治家 ~違憲な安保法制~
【古賀茂明】機能不全の3点セット ~戦争法案を止めるには~
【古賀茂明】維新が復活する日
【古賀茂明】戦争法案審議の傲慢と欺瞞 ~官僚のレトリック~
【古賀茂明】「再エネ」産業が終わる日 ~電源構成の政府案~
【古賀茂明】「増税先送り」「賃金増」のまやかし ~報道をどうチェックするか~
【古賀茂明】週末や平日夜間に開催 ~地方議会の改革~
【古賀茂明】原発再稼働も上からの目線で「粛々と」 ~菅官房長官~
【古賀茂明】テレビコメンテーターの種類 ~テレ朝問題(7)~
【報道】古賀氏ら降板の裏に新事実 ~テレ朝問題(6)~
【古賀茂明】役立たずの「情報監視審査会」 ~国民は知らぬがホトケ~
【報道】ジャーナリズムの役目と現状 ~テレ朝問題(5)~
【古賀茂明】氏を視聴者の7割が支持 ~テレ朝問題(4)~
【古賀茂明】氏、何があったかを全部話す ~テレ朝「報ステ」問題(3)~
【古賀茂明】氏に係る官邸の圧力 ~テレ朝「報道ステーション」(2)~
【古賀茂明】氏に対するバッシング ~テレ朝「報道ステーション」問題~
【古賀茂明】これが「美しい国」なのか ~安倍政権がめざすカジノ大国~
【古賀茂明】原発廃炉と新増設とはセット ~「重要なベースロード電源」論~
【古賀茂明】改革逆行国会 ~安倍政権の官僚優遇~
【古賀茂明】安部総理の「大嘘」の大罪 ~汚染水~
【古賀茂明】「政治とカネ」を監視するシステム ~マイナンバーの使い方~
【古賀茂明】南アとアパルトヘイト ~曽野綾子と産経新聞~
【古賀茂明】報道自粛に抗する声明
【古賀茂明】「戦争実現国会」への動き
【古賀茂明】日本人を見捨てた安倍首相 ~二つのウソ~
【古賀茂明】盗人猛々しい安倍政権とテレビ局
【古賀茂明】安倍政権が露骨な沖縄バッシングを行っている
【古賀茂明】官僚の暴走 ~経産省と防衛省~
【古賀茂明】安倍政権が、官僚主導によって再び動き出す
【古賀茂明】自民党の圧力文書 ~表現の自由を侵害~
【古賀茂明】自民党が犯した最大の罪 ~自民党若手政治家による自己批判~
【古賀茂明】解散と安倍政権の暴走 ~傾向と対策~
【古賀茂明】解散と安倍政権の暴走
【古賀茂明】文書通信交通滞在費と維新の法案
【古賀茂明】宮沢経産相は「官僚の守護神」 ~原発再稼働~
【古賀茂明】再生エネルギー買い取り停止の裏で
【古賀茂明】女性活用に本気でない安部政権
【古賀茂明】【原発】中間貯蔵施設で官僚焼け太り
【古賀茂明】御嶽山で多数の死者が出た背景 ~政治家の都合、官僚と学者の利権~
【古賀茂明】従順な小渕大臣と暴走する官僚 ~原発再稼働~
【古賀茂明】イスラム国との戦争 ~集団的自衛権~
【古賀茂明】「地方創生」は地方衰退への近道 ~虚構のアベノミクス~
【古賀茂明】【原発】原子力ムラの最終兵器
【古賀茂明】【原発】凍らない凍土壁に税金を投入し続けたわけ
【古賀茂明】【原発】勝俣恒久・元東電会長らの起訴 ~検察審査会~
【古賀茂明】安倍政権の武器輸出 ~時代遅れの「正義の味方」~
【古賀茂明】またも折れそうな第三の矢 ~医薬品ネット販売解禁の大嘘~
【古賀茂明】「1年後の夏」に向けた布石 ~集団的自衛権~
【古賀茂明】法人減税で浮き彫りにされる本当の支配者 ~官僚と経団連~
【古賀茂明】都議会「暴言問題」の真実 ~記者クラブによる隠蔽~
古賀茂明】集団的自衛権とワールドカップ
【古賀茂明】野党再編のカギは「戦争」
【古賀茂明】電力会社の歪んだ「競争」 ~税金をもらって商売~
【原発】【古賀茂明】規制委員会人事とメディアの責任
【古賀茂明】医師と官僚の癒着の構造
【古賀茂明】電力会社「値上げ救済」の愚 ~経営難は自業自得~
【古賀茂明】竹富町「教科書問題」の本質 ~原発推進教科書~
【古賀茂明】安部総理の「11本の矢」 ~戦争国家への道~
【古賀茂明】理研は利権 ~文科官僚~
【古賀茂明】「武器・原発・外国人」が成長戦略 ~アベノミクスの今~
【古賀茂明】マイナンバーを政治資金の監視に ~渡辺・猪瀬問題~
【古賀茂明】東電を絶対に潰さずに銀行を守る ~新再建計画~
【古賀茂明】「避難計画」なき原発再稼働
【古賀茂明】「建設バブル」の本当の問題 ~公共事業中毒の悪循環経済~  
【古賀茂明】安倍政権の戦争準備 ~恐怖の3点セット~
【原発】【古賀茂明】利権構造が完全復活 ~東日本大震災3年~
【古賀茂明】アベノミクスの限界 ~笑いの止まらない経産省~
【古賀茂明】労働者派遣法改正前にすべきこと
【古賀茂明】時代遅れな、あまりにも時代遅れな ~安部政権のエネルギー戦略~
【古賀茂明】森元首相の二枚舌 ~オリンピックの政治的利用~
【古賀茂明】若者を虜にする「安部の詐術」 ~脱出の道は一つ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする