語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】日本政府はなぜ脱原発に舵を切れないか ~日米原子力同盟~

2012年08月31日 | 震災・原発事故
 (1)日本政府は、きわめて積極的な原発拡大政策をとってきた。その根拠とされてきたのは、(a)安全性、(b)供給安定性、(c)環境保全性(環境適合性)、(d)経済性(経済効率性)において原発は優れている、というものだった。
 福島原発事故はしかし、これらすべての反証となった。
  (a)’現場作業員や周辺住民はもとより国民全体に重大な生命・健康上の脅威を及ぼしている。 
  (b)’東電管内に数カ月にわたる深刻な電力不足が発生した。事故・災害・事件による原発の脆弱さが改めて浮き彫りになった。
  (c)’陸海空への広域的な放射能汚染を起こした。
  (d)’福島原発事故の経済的損失として数十兆円が追加され、原発の発電原価は火力発電の2倍以上となることが避けられなくなった。

 (2)しかし、政府は脱原発という政策上の方向性を明確にしていない。のみならず、従来の原発に対する基本政策を変える姿勢をまったく見せていない。福島原発事故への対症療法的な政策を立てるにとどまっている。
 個々の電力会社も、東電が大破した福島第一原発1~4号機の廃止を決めたのを例外として、経営戦略を変えていない。
 
 (3)政府と電力会社が依然として原発に固執する理由は、外交・安全保障にある。それを一言でいえば、軍事利用と民事利用の両面にまたがる「日米原子力同盟」/「日米核同盟」だ。
 (a)日米原子力同盟の民事利用における特徴は、日米の原子力メーカーが密接な相互依存関係を結んでおり、製造面では米国のメーカーは日本メーカーに強く依存していることだ。日本の脱原発は、ドミノ倒し的に米国における脱原発に波及する可能性が高い。米国政府が原発の輸出を外交カードとして、また利害関係者への便宜供与のために積極的に活用しようとするならば、日本の脱原発に対して強く反対するだろう。また、米国内に原発を建設するに際しても、同様の対日依存があるため、日本メーカーのサポートが不可欠だ。つまり、米国の外圧が日本の脱原発の障害となるのだ。
 (b)日米原子力同盟の軍事利用面における特徴は、日本が米国の核兵器政策に対して、全面的に協力するとともに、自前の核武装を差し控えてきたことだ。日本は核武装のための技術的・産業的ポテンシャルを発展させてきた。軍事転用の観点からすると、商業用軽水炉はあまり魅力的ではない。しかし、核燃料サイクルの技術はきわめて野心をくすぐる。かかる核武装ポテンシャルを実際に発動して核兵器保有国となれば、日本が独自の外交政策・安全保障政策を展開する誘因が強まる。日米同盟の不安定化を招きかねない。米国としては、日本独自の核武装を押しとどめるとともに、日本の核武装ポテンシャルの発展を容認することが最善の策だった。もし容認しなければ自主防衛論の火に油をそそぎ、これまた日米同盟の不安定化をもたらす恐れがあった。

 (4)自民党一党支配体制のもとで、日本の政治指導者は「侵略抑止至上主義」的な世界観を米国と共有し、それを基盤として核兵器による日本防衛を不可欠のものと考え、独自の核武装自粛の見返りに、米国からの「核の傘」の提供を求めてきた。
 仮想敵国が核兵器を保有するならば、こちらも核兵器で対抗するしかない。銃には銃を、という考え方を究極まで肥大化させた世界観は、米国の軍事戦略にとって好都合だった。また、日本の政治指導者にとっても、日本が核武装ポテンシャルを堅持すれば、米国は日本の自前の核武装をなんとしても避けるために「核の傘」の提供を拒むことはできないだろう。これが日米原子力同盟のもう一つの支柱となった。
 「侵略抑止至上主義」的な世界観は、被害妄想めいたところがある。軍事抑止は相互的なものだ。一方の軍拡は他方の軍拡を誘導する。その逆も真だ。日米同盟の周辺諸国にとっての脅威こそ、日本に仮想敵国からの核兵器の照準が合わせられている。しかし、日本の政治指導者はそうした認識を持たなかった。
 こうした日米原子力同盟が、日本の脱原発に立ちはだかる最強の障害になっている。
 日本は、脱原発へ向けた明確な方針を示すととともに、日米原子力同盟を破棄するか、少なくとも骨抜きにしなければならない。それが「脱原発国家」だ。

 (5)核燃料サイクルは、核燃料の採鉱から廃棄までの全校的を包括的に表現するものだ。原発創成期に当然と考えられていた循環的再利用は、今では多くの国で放棄されている。
 アップストリーム(フロントエンド)におけるウラン濃縮とダウンストリーム(バックエンド)における核燃料再処理が、核燃料サイクル技術の双璧をなす期間技術だ。高速増殖炉は、原子炉の一種であり、核燃料をこね回す技術には属さないが、バックエンド工程で抽出されたプルトニウムの消費技術として見ることができるため、核燃料サイクル関連技術、それも核燃料サイクルバックエンド関連技術の範疇に加えることもできる。
 ウラン濃縮、核燃料再処理、高速増殖炉の三者は、機微核技術の中核をなす。機微核技術は、核兵器の開発・製造・利用に直結する技術を指す。その種類は多岐にわたるが、核爆発装置に用いる高品質の核分裂物質を大量生産する技術が、その中核となることは言うまでもない。

 (6)脱原子力国家を実現するためには、商業発電用原子炉を廃止するだけでなく、これら3種類の核燃料サイクル施設を廃止する必要がある。
 さらに、それに加えて「核抑止」を根幹に置く日米同盟の見直しも必要だ。「核の傘」が日本全土の上空を覆い、さらに北東アジア全域に巨大な陰を作っている今日の状況を根本的に変えずして、脱原子力国家について語るのは、ほとんどブラックジョークだ。
 原子力は、産業技術としては、国家の手厚い保護・支援なしには生きていけない脆弱な技術だ。それでも、核兵器との技術的リンケージゆえに、今日まで生き延びてきた。しかし、商業化が1960年代から半世紀が過ぎたにもかかわらず、エネルギーとしては低迷し続けている。世界において、原発の一次エネルギー消費に占める比率は、3種類の化石燃料(石油・石炭・天然ガス)には遠く及ばない6.3%(2008年)にとどまる。しかも、実質的には水力(2.4%のシェア)の後塵を拝する第5位のエネルギーにすぎない。発電電力量そのものを一次エネルギー消費としてカウントする水力発電と異なり、原発では発電電力量の2倍となる廃熱も一次エネルギー消費としてカウントしているので過大表示となるのだ。多くの国の政府の半世紀以上にわたる強いコミットメントによって、かろうじてそうした地位を得ているのが実態だ。
 原子力は、そうした脆弱な技術なのだ。原発は、経済合理性の欠如ゆえに、人為的な介入がなくては生存競争を生き延びることは困難だ。そこに脱原発が妥当であることの基本的な根拠がある。

 以上、吉岡斉『脱原子力国家への道』(岩波書店、2012)の第1章「なぜ脱原子力国家なのか」に拠る。

 【参考】
【原発】『脱原子力国家への道』
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【原発】『脱原子力国家への道』

2012年08月30日 | 震災・原発事故


 (1)<本書の目的は、福島原発事故の全体像を描くことではない。また、事故の原因について掘り下げた考察を加えることでもない。「脱原子力国家」を実現する道筋として、どのようなシナリオを描くことができるのか、またそれを進める上でどのような障害を克服していかねばならないかについて、基本的見地から考えるための素材を読者に提供することが、本書の目的である。>

 (2)「脱原子力国家」とは、次の①と②の併せて進める国家のことだ。
  (a)原子力(核エネルギー)の民事利用(非軍事利用)の中核をなす原子力発電について、その廃止へ向けて着実に前進する。
  (b)原子力の軍事利用についても、その縮小へ向けて先導的な役割を引き受ける。
 具体的には、次の国家だ。
  (a)’ウラン濃縮、核燃料再処理、高速増殖炉を大黒柱とする機微技術の開発利用から脱却する。
  (b)’核兵器に依存しない安全保障政策を進める。

 (3)本書は、9章で構成される。
 第1章「なぜ脱原子力国家なのか」・・・・政府の脱原発への消極姿勢について述べた後、原子力が担う外交・安全保障上の機能が脱原発の障害となっていることを示唆する。また、発電以外の機能を主として担っているのが、核燃料サイクル技術であることを示す。 
 第2章「福島原発事故のあらまし」
 第3章「福島原発事故の原因と教訓」・・・・福島原発事故の要因について検討し、それに対して責任をもつ当事者の行動の問題点を検討する。それを踏まえて、末尾でこの事故からどのような公共政策上の教訓を導くことができるか、について考える。その教訓を一言で言えば、世界のどこでも原子力施設(原子炉のみに限定しない)におけるチェルノブイリ級の苛酷事故は起こり得るので、原子力事業を進める者、その周辺地域(少なくとも数十km圏)の住民はそれを覚悟しておく必要がある、という教訓だ。
 第4章「日本の原子力開発利用の構造」・・・・原子力国家としての日本の具体的構造について「核の六面体構造」というキーワードを用いて分析を加える。それは主として6つの勢力が、原子力開発利用の主要アクターとなっており、これらアクターによる利益共同体が築かれていることを指す。政府審議会は、その方針を確認するセレモニーの場であり、そこでは「エネルギー一家の家族会議」のような様式で審議が進められる。
 第5章「日本はいかにして原子力国家となったか」
 第6章「日米原子力同盟の形成と展開」
 第7章「異端から正統へと進化した脱原発論」
 第8章「脱原発路線の目標とシナリオの多様性」・・・・一口に脱原発と言っても、多くのヴァリエーションがある。目標とする社会のあり方も一様ではないことを示す。政治的な右翼と左翼の差異にかかわらず、脱原発が多くの人々の支持するところとなった現在、その多様性に注目するのは重要だ。また、脱原発を進める戦略についても、大きく2つの方式、つまり①政府主導方式と②民間誘導方式があることを示す。①は、脱原発のための法律を作り、国家計画にもとづいて粛々と脱原発を進める方式。②は、原発が政府の電力業界への推進協力指令と、その見返りとしての全面的な保護・支援なくしては成立しない事業であることを踏まえ、そうした指令や保護・支援を廃止することで、電力業界に自主的な脱原発を促す方式。
 第9章「核燃料サイクルのシナリオ」・・・・核燃料サイクル事業について、まず概観を与えた上で、その廃止シナリオを示す。核燃料サイクルは、原子炉の付属物ではない。むしろ、原子力開発利用の初期においては、原子炉のほうがプルトニウム生産装置であり、核燃料サイクルの付属物だった。今日でも、核武装の技術的・産業的ポテンシャルを獲得・強化するためには、核燃料サイクルを進める必要がある。それを廃止することは、核武装の技術的ポテンシャルを捨てることを意味する。その廃止にもっとも強硬に抵抗しているのは青森県行政当局だ。むろん、県民も連帯責任を負っている。

 以上、吉岡斉『脱原子力国家への道』(岩波書店、2012)の「プロローグ」に拠る。
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【原発】「脱原発依存」に潜む官僚マジック ~狙いは原発比率15%~

2012年08月29日 | 震災・原発事故
 (1)8月22日、野田佳彦・首相は、市民団体「首都圏反原発連合」代表11人と官邸で面会。大飯原発再稼働即時停止などを求めた市民団体側に対して、「政府の基本的な方針は脱原発依存だ」と答えた。

 (2)最近野田総理が多用する「脱原発依存」という言葉は、官僚が作ったものだ。
 原発をゼロにするなら、「脱原発」だけで済む。それをわざわざ官僚が2文字追加するのだから、そこに意味がないわけがない。
 官僚の理屈はこうだ。
  (a)日本語の意味としては、「依存」は「あるものに頼る」ことだ。原発比率がゼロであれば頼っていないから、依存していない、と言える。
  (b)原発比率1%であれば、残り99%が原発でないのだから、原発に頼っていない。
  (c)原発比率10%であれば、「たった」1割だから(と言い換えて)、これまた頼っていない。
  (d)以下、11%であれば、12%であれば・・・・15%くらいまでならギリギリ頼っているわけではない、と言えそうだ。
 こう順序立てて、(なし崩し的に)話されると、そうかもしれない、という気にさせられるところが恐ろしい。

 (3)2030年の原発比率の3シナリオ、①ゼロ、②15%、③20~25%のうち、②がもともと政府が狙っていたシナリオだ。
 つまり、②をめざすのが「脱原発依存」という言い回しだ。
 ①を意味する「脱原発」とは、まったく意味が違うのだ。

 (4)政府は、40年経た原子炉を廃炉にしていくことを忠実に実施すると、2030年には原発比率が15%になる、という。
 しかし、実際には、15%シナリオ実現には原発を2基新設しなければならない。この事情が隠されている。
 官僚は考えているのだ。「1基新設できれば、あとは芋づる式に増やしていけばいい」

 (5)官邸前デモなどで、かなり追い詰められた民主党閣僚は、「個人的には」「中長期的には」などと曖昧な修飾語をつけながら、「原発をなくしていきたい」などと無責任な発言を始めた。だが、彼らは選挙目当ての「似而非」脱原発、「にわか」脱原発にすぎない。
 「似而非」「にわか」脱原発とホンモノの脱原発を区別するリトマス試験紙は、「大飯原発」だ。
 大飯原発は、もともと安全性の確認が不十分なまま再稼働した。夏の電力が足りない、という脅しで野田内閣が強行した。しかし、暑い夏は間もなく終わる。そして、原発がなくても何ら問題はなかったことが判明してきた。となれば、(安全性を完全には確認できない)大飯原発を停止するのが筋だ。
 官邸前デモが掲げる最大のイシューも、大飯原発再稼働即時停止だ。
 大飯原発再稼働の停止問題は、政界再編成に影響するだろうし、逆に政界再編成次第でこの問題の行方が決まる。

 以上、古賀茂明「「脱原発依存」に潜む官僚マジック ~官々愕々第31回~」(「週刊現代」2012年9月8日号)に拠る。

   *

 <原発ゼロでも20%以上でもない選択肢を、30年での着地点にしたい。そんな思惑が政府・与党内にはあるようですね>【伴英幸・「原子力資料情報室」共同代表/「総合資源エネルギー調査会」基本問題委員会委員】

 以上、朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠2 ~検証!福島原発事故の真実』(学研パブリッシング、2012)の第12章「脱原発の攻防」に拠る。
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【原発】脱原発に必須の天然ガスを安く調達する事業 ~中部電と大ガス~

2012年08月28日 | 震災・原発事故
 (1)4月、中部電力と大阪ガスは、LNG基地を運営するフリーサポート社との交渉権を取得。
 しかし、交渉期限は異例に短い7月に設定された。一時は、交渉期限を延長しないと無理だ、という判断も検討されたが、二度と同様のチャンスは訪れない恐れがあった。契約交渉と経営幹部との調整を同時に進める中、“サプライズ"ともいえる契約を実現した。
 契約内容は、フリーポートが建設するLNG液化加工基地で、2017年から計440万トンのLNG生産能力を中部電と大ガスが半分ずつ確保する、というもの。両社は、米国で市場に流通する天然ガスを液化し、日本に搬入できる。
 
 (2)何がサプライズなのか。
  (a)天然ガス価格が、現状では圧倒的に安い米国から調達する。
   ①これまでは、天然ガス価格は原油価格に連動するのが一般的だった。ところが、米国では近年、従来の天然ガスとは別の地層から産出されるシェールガスが大量生産され、ガス価格が大幅に低下。米国だけ、全く違う値動きをするシェールガス革命が起こっている。
   ②日本は、原油価格連動で購入している上に、福島第一原発事故以来、調達に走り回った結果、売り主に足元を見られて、LNG価格の高値掴みを余儀なくされた。日本の輸入価格は、米国の天然ガスの6倍にも達し、「ジャパンプレミアム」と呼ばれるほどだ。
   ③この構造を打ち破るべき動きが(1)だ。米国の天然ガスを輸入すると、液化加工や輸送費を含めても通常の輸入価格より4割安くなる。
   ④こうした動きは、特に電力業界では珍しい。
    そもそも電力業界には1円でも安く調達しようとする気合いがない。中部電は異端だ。【資源エネルギー庁】

  (b)燃料調達のプロである照射を頼らずに、新たな契約を実現した。
   ①国内ではガス権益のみならずLNGも商社を通して購入するケースが大半を占める。
   ②だが、商社は価格下落のエンジンにはならない。【橘川武郎・一橋大学教授】今回は、商社がいたら成功しなかっただろう。【関係者】

  (c)天然ガスの「生産者」としての権利を手にした。
   ①これまでの調達契約は、生産基地から一定量のLNGを購入し、日本に運ぶだけ、というのが一般的だった。
   ②今回の契約では、米国内の好きな場所で天然ガスを購入後、生産量を調整し、転売などトレーディングの材料として活用することもできる。今後は、上流ガス田との関係構築やパイプライン輸送を直接手がけることもできる。
    未知の領域が自分たちでできるようになり、日本にとっての調達のあり方が抜本的に変わる。【佐藤裕紀・中部電力燃料部長】

  (d)電力会社とガス会社が共同で動いた。条件がそろえば、短期間で実現可能なことを両者は証明した。
    市場を変えていくんだという意気込みのある人と巡り会えた。【佐藤部長】

 両者があけた風穴が業界全体に広がれば、今後日本のエネルギー価格は適正に低下していくかもしれない。 

 以上、森川潤(本誌)「脱原発に必須の天然ガス調達で中部電と大ガスがあけた風穴」(「週刊ダイヤモンド」2012年9月1日号)に拠る。
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【原発】雨宮処凛の、デモのある生きづらくない街

2012年08月27日 | 震災・原発事故
 今までさんざん「生きづらい」とかそんなことばかり書いていたが、現在、ほとんどまったく生きづらくない。「人間」というものを初めてと言っていいくらいに信じることができているからだ
 生きづらさは、人間への不信感、己の無力感といったものに彩られていた。さまざまな矛盾や不条理に溢れた世界の中で、多くの人がそれに目を背け、見ないふりをし、時には「自己責任」と突き放し、そして時には「どうせ自分たちが何をしても変わらない」と諦めている。そんな人が多数派だと思うと、もう自分が何をどうしようとも1ミリも世界を変えられない気がしてくる。そして変えたいと願う自分が「おかしいのではないか」なんて疑問さえ湧いてくる。
 3・11後の日本で、「お上に従順」「行動しない」と言われてきたこの国の人々が、続々と路上に繰り出している。この1年4ヵ月、人間の持つ根源的な「力」に圧倒されてきた。
 人が立ち上がっている社会は、なんと息がしやすいことだろう。

 今何が起きているか。
 <20年も経済が停滞し、不満や政治不信がたまっていたところに、原発事故と再稼働で政府への不信が臨界点まで上がった。それで何か起きなかったら、その方がおかしい。(中略)『再稼働反対』という声には『日本のあり方』全体への抗議が込められていると思います>【注】
 2008年、韓国では巨大デモが相次いでいた。きっかけは、イ・ミョンバク大統領が米国産牛肉の輸入を解禁したこと。BSE問題への不安を発端としたデモは、「キャンドルデモ」と呼ばれ、数ヶ月にわたって続いた。参加者の「デモに来る動機」に驚いた。
 多くの若者が、格差・労働問題について答えた。高校生に至っては、「教育のネオリベ化」を上げた。「建設政府」と言われるイ・ミョンバク政権による再開発への怒りを口にした人もいた。
 米国産牛肉の輸入解禁問題は、ひとつのきっかけ、起爆剤だったのだ。それ以前から人々の間には政治への不信・不満が渦巻き、BSE問題をきっかけに巨大デモになった。
 今、日本で起きていることもこれに近い。原発は、日本の矛盾をすべてを孕んでいる。戦後の自民党政治的なもののすべてが凝縮されている。そんな大矛盾をあからさまに突きつけられ、多くの人が立ち上がったのだ。

 3・11以前から、主に格差や不安定さ、新自由主義といったものに疑問を持つ人が「新しいデモ」を広めていった。2000年代なかばに登場したサウンドデモのように。そして、そんなノウハウが、3・11以降、これ以上ないほど役立つことになった。

 昨年4月10日、高円寺の「原発やめろデモ!!!!」に15,000人が集まった。レベルの高いコスプレの人たちもたくさんいた。「福島第一原発コスプレ」の人も複数。「デモを楽しむ気持ち」やコスプレを忘れないド根性の一方、深刻なプラカードもたくさんあった。「私は福島から来た“原発難民"です」「俺の双葉町を返せ!」
 「悲しみをシェアし、率直な言葉え原発について語り合う場」としてのデモ。
 震災後、初の巨大デモを主催したのが「素人の乱」だったのが、またよかった。デモへのハードルを限りなく下げた彼らの功績は大きい。
 そして、各地でデモが頻発していった。4月末には、ツイッター発のデモが開催された。呟きは拡散され、当日には1,000人が集結。 
 名古屋の女子高やおばちゃんグループが、9月には在日イタリア人による「東京に原発を!」デモが、新手の「怒りのドラムデモ」が、とにかく全国にありとあらゆるデモが開催されていった。
 今年2月の地域住民による「脱原発杉並」デモには、カラオケカーが世界で初めて登場した。6月24日には、「そうだ、船橋に行こう。電車でGO! 野田退治デモ! 再稼働はダメなノダー」デモ。
 現在までに「原発やめろデモ!!!!」は6回開催され、延べ8万人近くを集めている。
 ちなみに、デモの警備にあたる警察も若干変化している。「俺は福島出身なんだ! デモしてくれてありがとう」と主催者に握手を求めた公安とか。

 この動きがどこに着地するか、もはや誰にも予測不可能だ。
 私たちは今、人類の誰もが経験したことのない原発事故の渦中にいて、その中で壮大な直接民主主義を実践している。
 官邸前には多くの民主党議員も訪れる。野田首相が再稼働を明言した6月から、どっと人が増えただけでなく、プラカードの言葉も変わってきた。「政権打倒」を掲げるものが如実に増えた。この1ヵ月で、「行動する人々」は確実にパワーアップしている。
 あの事故で、私たちはこれまでにないくらい後悔した。原発が何となく怖いと思っていても、黙っていたら自動的に「容認」「賛成」の方にカウントされてしまうのだ。そして、そのことが確実に原発の安全神話を補完していた。
 おかしいと思ったら、声をあげること、黙っていないこと。この1年4ヵ月で、「声をあげること」が当たり前の作法になった人たちはたくさんいるのだ。これが希望でなくて、何なのだろう。
 だから、私は今、これまでにないくらいに、生きやすいのだ。

 【注】インタビュー記事「金曜の夜、官邸前で 小熊英二さんと歩く」【朝日新聞デジタル記事2012年7月19日03時00分】

 以上、雨宮処凛「デモのある生きづらくない街 ~壮大な直接民主主義の実践に寄せて~」(「世界」2012年9月号)に拠る。

 【参考】
「【原発】「【原発】「さようなら原発」17万人集会の記録
【原発】情報は「拡大」から「拡散」の時代に ~金曜日の人々~
【原発】遅れてやってきたマスメディアの人々 ~NHKとテレビ朝日~
【原発】10万人集会とウォール街占拠 ~メディアのあり方~
【原発】紫陽花革命が大手メディアを揺さぶる ~正しい報道ヘリの会~
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【政治】情報公開法改正案は未審議のまま ~国民の知る権利~

2012年08月26日 | 社会
 (1)政権交代にあたり、国民が、自民党長期政権の歪みを糺す試みを新政権に期待していたのは間違いない。
 その一つが、官僚と自民党が独占していた情報を国民の手に取り戻す、という民主党の長年の主張に対する支持だった。

 (2)情報公開法改正案は、民主党が枝野幸男・現経産相を中心に準備し、2011年1月に菅直人・首相(当時)が施政方針演説で取り上げ、同年4月に法案を衆院に提出した。

 (3)法案は、2001年施行の同法を抜本的に見直すものだ。情報公開制度が、「国民の知る権利」を保障する観点から定められたことを条文に明記し、専門家の評価もおおむね高い。改正案には、
 (a)国や公共の安全に係る情報であっても、公開を求められたときに「十分な理由」がなければ拒否できないよう歯止めをかける。
 (b)開示決定までの期間を実質3週間に短縮する。
 (c)手数料を無料化する。 
 (d)開示請求を拒否された場合の情報公開訴訟も改革し、「インカメラ制度」(不開示になった文書を裁判官に見せて審理させる)を導入する。
 ・・・・などを盛り込む。制度を利用する国民の立場に立った内容だ。

 (4)ところが、東日本大震災をはさんで動きが鈍化。自民、公明両党への法案説明を済ませたものの、国会に提出されて1年4ヵ月経つのに、審議入りには至っていない。

 (5)今年6月、民主党の公文祖管理や情報公開を話し合うワーキングチームで、逢坂誠二・事務局長が訴えた。
 「民主党政権の大きな心の部分だ。法案の重要性を再認識していただきたい」
 出席議員には、それなりの反応はあった。しかし、その直後の「小沢新党」騒ぎで、この問題を議論する雰囲気はまた霧消した。

 以上、青島顕(新聞記者)「民主党から国民の心が離れた理由は自民党政権の歪みを正す「心の部分」を忘れたからだ」(「週刊金曜日」2012年8月10日号)に拠る。
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【本】『幸福の森』『鎮魂の海』 ~25年をかけて長編を完結した加賀乙彦~

2012年08月25日 | ●加賀乙彦



(1)『永遠の都』執筆開始から25年。書き継いできた渾身の自伝的大河小説が、第4部『幸福の森』、第5部『鎮魂の海』でついに完結。激動の昭和から世紀末を舞台に、人間と家族のあり方を描く。

 1985年から書き始め、執筆を終えたのが昨秋。およそ25年。自分でもこんなに長くなると思わなかった。
 ただ、自分の生きた時代を若い人たちにも分かるように伝えたい。特に戦争中のことはきちんと書いておかなければ、という一種の義務感のようなものはあった。

(2)『永遠の都』では、東京で外科病院を開業した時田利平・元海軍軍医を中心に、昭和初期から敗戦直後までの一族の歴史が描かれる。『雲の都』では、戦後の東京を舞台に、悠太・利平の孫を中心に物語が展開し、第4部、第5部で一族の複雑な人間関係に、さまざまな形で決着がつけられていく。

 ほかの小説を書きながらも、最終的にはこれを書いて人生を終えようと思っていた。だから、そういう意味で登場人物の関係などは前々から考えていた。
 ただ、当初書こうと思っていたのは、戦争中のことだけ。『永遠の都』で完結したつもりだった。
 ところが、当時「新潮」の編集長が軽井沢の別荘に来て、続編を書いてくれ、と言う。これから始まる最後の時代を、家族の生活と絡めて書くべきだ、と。
 最初、断った。でも、戦後に起きた事件や犯罪について資料をかなり集めていたし、日記も書いていたから、これを使わずに死ぬのが惜しくなって、半年後には「書く」と返事をした。

(3)物語は三人称で語られているかと思えば、一人称になったり、一つの出来事についても語り手が次々に変わっていく。対話形式、日記、書簡なども挿入され、多彩な話法で展開する。

 僕の小説について、ポスト・モダンを信奉する若い批評家から「19世紀的リアリズム小説」と言われることがある(自分ではそうは思わない)。19世紀の小説家(ドストエフスキーやトルストイ)は、最後まで一貫して同じ人称で語られる。
 精神科医として東京拘置所に勤めていたとき、ある死刑囚と親しくなった。彼は、僕に冷静な思索者としての顔を見せる一方、文通相手の女性には手紙を通してやんちゃな子どものような顔を見せていた。そして、死後に残された獄中日記から読み取れたのは、絶望のどん底で苦悩する顔。
 同じ人間が、相手や状況によって、まるで違って見える。そのことに衝撃を受け、人間の多面性や人間同士の複雑な絡みは、一つの人称での一面的な視点では描ききれない、と感じるようになった。そこから、必要に応じていろんな視点から書いていくという、小説についての僕なりの方法論を考えた。
 いわば、いろんな織り方を絡めて複雑な模様を織り出したタピストリーのような小説だ。
 だからといって、19世紀的リアリズムを否定するわけではない。ドストエフスキーやトルストイも大好きで、いつか『戦争と平和』のような小説を書きたい、と思っていたから。

(4)第4部『幸福の森』、第5部『鎮魂の海』では、幸福な場面から物語りが始まる。悠太は昨夏としてのデビューを果たし、幼いころから憧れていた千束と結婚するのだ。他方、周囲の人たちが少しずつ亡くなっていき、全編に憂愁の匂いも漂い始める。

 2008年、僕が79歳のとき、妻が70歳で急逝した。自分自身の妻の死にも向き合わざるを得ない、と思い、千束が亡くなる場面は僕の体験に重ねて描いた。
 そして、妻の死を書く以上、僕の分身とも言える悠太の死も想定し、物語の最後を締めくくった。決して明るい小説ではないかもしれないが、人間の一生を僕なりの手法で描けた、と思う。

(5)『雲の都』5部作では、戦後の激しく変わっていく東京の街、全共闘運動、あさま山荘事件、阪神大震災、地下鉄サリン事件といった出来事が、登場人物の人生に絡めて克明に描かれる。

 この小説を通して、僕は東京という「故郷」を描いたつもりだ。僕の生家は、いまの新宿区歌舞伎町2丁目あたりにあった。空襲では焼け残ったが、すでに取り壊され、かつての面影は何もない。あまりにも変わりすぎたため、東京を舞台にした小説は書けないだろう、と思っていた。しかし、よく考えれば、永遠なんてあり得ないからこそ、逆説的な意味で東京は「永遠の故郷」なのだ。
 そして、東京の街が時代とともに変わっていく過程で、世の中はさまざまな事件が起きる。そういう現実と結びついた上で、小説のなかの人物たちが自在に動いていくわけだ。

(6)悠太は非常に理性的な一方、自分には祖父譲りの姦淫の血が流れている、と葛藤する。そういう人間の「業」を描くことも意識していたのか。

 僕はキリスト教徒だから、人間の罪についてずっと考えてきた。
 悠太は、妻が不倫相手の子を身ごもったのではないか、と恐れ、「堕ろしたい」と言ったとき、賛成する。
 しかし、妻の死後、それが自分の意識のなかに罪として芽生えてきて、苦しむ。宗教は、登場人物にいろんな形で影響を与えている。

(7)100年近くにわたる「家族」の物語を書いてきたわけだが、日本の家族像や日本人は、その間に変わったのか。

 日本人はそう簡単に変わることができない、と思う。明治から昭和を経て、世界を相手に戦うような戦争を経験しても、そしてそれから60年以上が過ぎても、本質は何も変わっていない、と僕は感じている。そういう意味で、この作品で描いた日本人やその家族像あh、普遍的なものだ、と言える。

 以上、伊藤淳子・構成「インタビュー 書いたのは私です 加賀乙彦」(「週刊現代」2012年9月1日号)に拠る。
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【官僚】退職金引き下げの先延ばし ~勝・事務次官、逃げ切る~

2012年08月24日 | 社会
 8月7日、「公務員退職金400万円引き下げ」という報道が流れた。
 これを霞が関語に翻訳すると、「公務員退職金引き下げ、来年の1月まで先延ばし」「400万円引き下げは2年後」だ。
 決まったのは、「400万円下げるが、来年1月から3段階に分けて2年後までに実施」だからだ。

 公務員給与の大原則は、「民間並み」だ。
 だが、長びくデフレの影響で民間の退職金が下がったのに、公務員の退職金は高いまま放置されてきた。
 退職金が下がらなかったのは、永田町特有の「事情」があるからだ。

 (1)人事院・・・・「公正中立な」「第三者機関」のはずだが、その事務局は全員国家公務員だ。よって、公務員の退職金が民間より高い、ということを認めたがらない。その人事院が嫌々調査したら、公務員のほうが400万円も高い、という結果が出て、今年3月に発表された。経団連その他の期間による調査では500~1,000万円ほど公務員が高い、という結果が出ているから、400万円という数字はマユツバだ。が、ともかく引き下げの前提が整った。
 だが、すぐには実施されない。政府は、有識者会議を立ち上げて、「どうやって」下げるかの検討を始めた。そこから引き延ばしが始まり、ようやく8月7日に退職金引き下げを決めた。
 本来なら、3月の時点ですぐに全額引き下げ法案を国会に提出し、今年度冒頭から全額引き下げを実施すればよかったのだ。しかし、第2の事情がこれを阻んだ。

 (2)組合・・・・選挙を前に連合の言いなりになるしかない民主党は、簡単に引き下げると組合に怒られる。だから、とにかく少しでも先送りにして、しかも3回に分けて下げることにして、「努力」の跡を見せなければならないのだ。

 (3)自民党と公明党・・・・キャリア官僚を守ろうとする元祖「官僚主導」の両党が、政権返り咲き後に官僚に協力を求める心算から、官僚に恩を売りたい。だから、退職金を下げろ、とは両党は決して言わない。国会でも問題にならない。
 選挙前に退職金引き下げ法案に反対できる政党はいない。だから、下半期開始で10月実施は、やる気になれば十分できる。逆に、どうしても先送りしたいなら、自然なのは来年度初めの4月だ。では、なぜ来年1月からなのか。ここに第4の事情が登場してくる。

 (4)勝栄二郎・・・・退職金引き下げ発表とほぼ同時に、勝栄二郎・財務事務次官が近々退職すると報道された。勝次官は来年3月には定年で辞めなければならないが、実際には遅くとも年内には辞める、と言われてきた。現場の官僚としては、勝次官の退職金を下げる法案など、畏れ多くてとても作れない、来年1月実施としておけば勝次官の退職金には影響しない、と考えた。これこそ1月実施を決定づけた第4の事情なのだ(という怪説が霞が関を駆け巡っている)。

 以上、古賀茂明「退職金引き下げ 逃げ切った勝事務次官 ~官々愕々第30回~」(「週刊現代」2012年9月1日号)に拠る。

    *

 勝次官が8月中にも退任し、後任に真砂靖・主計局長を充てる方向で調整に入った、との報道が出ている。お疲れ様でした、これにてお役御免のタイミングだ。
 財務省では、「増税は勲章・手柄」という“社風"がある。税率を上げれば、わかりやすい業績となる。税法の改正が必要で、バカな政治家を手玉にとった、という証明でもあるからだ。政治家より官僚が偉いことを示したものが、本当の「財務省の王」になるわけだ。
 人のいい谷垣禎一・自民党総裁を洗脳して消費増税を吹き込み、他方、やることのない野田佳彦・財務相を洗脳しながら総理にまで仕立て上げ、野田・谷垣という増税派のツートップという惑星直列のような奇跡を演出したのが勝次官だ。今後「王」の座に君臨するためには、ここで辞める必要があった。
 ただし、今の時代、すぐには天下りは無理だ。さすがの財務省も、ここ3代の次官はそれまでの特殊法人トップのような華麗な天下りはしていない。
 とはいえ、勝次官は10年に一度の「王」なので、それなりのポストが確保されるまで、従来の例に倣って財務省顧問などで個室・車・秘書付きで一休みする可能性もある。もっとも、最近は役所の顧問職にも風当たりが強いので、役所に友好的な会社などに避難するかもしれない。
 財務省は、近年、日銀総裁人事で苦杯を嘗めさせられてきた。事務次官級を3人も候補として出しながら、軒並み民主党に否定された過去がある。財務省としては、ここはたっぷりと利子をつけて返してもらいたいところ。来年4月に任期が到来する日銀総裁は、まさしく「王」にふさわしいポストだ。国際的には中央銀行総裁は経済学博士号取得者であるのが常識だが、日本では財務次官経験者は有資格者と見られている。

 ドクターZ「勝栄二郎次官 気になる退任後の進路 ~ドクターZは知っている~」(「週刊現代」2012年9月1日号)に拠る。 
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【外交】佐藤優の、韓国大統領「竹島上陸」に対する日本政府の対応

2012年08月23日 | 社会
 (1)竹島は、島根県隠岐の島町に属する我が国固有の領土だ。にもかかわらず、韓国に不法占拠された状態にある【注】。

 (2)韓国政府の立場は、こうだ。「独島は、歴史的にも国際的にも韓国領で、しかも韓国が実効支配している。従って、日本との間に領土問題は存在しない」
 しかし、歴代大統領は、竹島上陸を差し控えてきた。竹島を巡って日本が本格的に外交攻勢を行うと、韓国にとって不利な状況になる、という認識を韓国の外交当局が持っていたからだ。

 (3)日韓外交正常化交渉は、14年もの長期交渉になった。この交渉で最後まで残ったのが竹島問題だ。日韓基本条約では、調印(1965年6月22日)直前まで、竹島をめぐる日韓の見解が一致しなかった。そこで、同日付けで外交文書「紛争の解決に関する交換公文」を作成し、問題を棚上げした。「両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかった場合は、両国政府が合意する手続きに従い、調停によって解決を図るものとする」という内容の交換公文だ。椎名悦三郎・日本国外相と李東元・韓国外務部長官が合意した。
 日本側は、竹島問題がここでいう紛争だと主張し、韓国側は独島問題をめぐる紛争はないと主張し、双方の見解の相違について、あえて詰めないようにした。東西冷戦下、米国の同盟国たる日韓両国が領土問題をめぐって対立すると、ソ連、中国、北朝鮮を利することになるので、両国とも自制したのだ。
 しかし、その間に韓国は、独島を韓国人統合のシンボルに変容させた。

 (4)東西冷戦終結後20年を経て、国際関係は国家エゴを剥き出しにする帝国主義的傾向を強めている。その中、急速に力をつけつつある韓国は、帝国主義国となる基礎体力のない国であるにもかかわらず、意識においては帝国主義国のように振る舞っている。
 かかる状況で、韓国はこれまで自制していた最後の一線を踏み越えた。8月10日、李明博・韓国大統領が竹島に上陸した。

 (5)一方的に竹島をめぐる状況を変更しようとしている韓国に比べ、日本政府は適切な対応をとっている。
 (a)韓国大統領が竹島に上陸した10日、政府は武藤政敏・在韓国大使を呼び戻した。その夜、記者会見で、野田佳彦・首相は「抗議の意思を示すために、武藤駐韓大使を本日帰国させることとした次第であります」とはっきり述べた。首相が、公式の場で、「抗議の意思を示すため」と述べたことで、国際社会に日本政府は事態を絶対に看過しない、というシグナルを送った。
 (b)さらに玄葉光一郎・外相は、竹島問題を国際司法裁判所に提訴する意向を示した。韓国が提訴に応じないことは織り込み済みだが、竹島問題を国際化することで、日本は「客観的に見て紛争がある」と韓国が認めざるを得ない環境を作ろうとしている。
 紛争であるとすれば、(3)の交換公文に基づき、韓国は竹島問題に関する外交交渉を余儀なくされる。

 【注】8月22日、参院決算委員会で、玄葉光一郎外相は、民主党政権発足以来現職閣僚としては初めて、竹島は韓国による「不法占拠だ」と答弁した。【記事「玄葉外相「竹島は不法占拠」 自民政権時並みの答弁に」(朝日新聞デジタル記事2012年8月22日19時39分)】

 以上、佐藤優「李大統領「竹島上陸」日本の対応 ~佐藤勝の情報リテラシー第39回~」(「週刊現代」2012年9月1日号)に拠る。
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【原発】原子力規制委員会委員案の違法性 ~欠格人事~

2012年08月22日 | 震災・原発事故
 (1)原子力規制委員会委員(長)候補に「違法性あり」の指摘が、8月1日、衆議院第二議員会館の院内集会で提起された。
  (a)提起者・・・・河合弘之・弁護士/脱原発弁護団全国連絡会、海渡雄一・同/同。
  (b)問題の委員候補・・・・更田豊志、中村佳代子。
  (c)問題・・・・「原子力に係る製錬、加工、貯蔵、再処理若しくは廃棄の事業を行う者、原子炉を設置する者」は「委員長又は委員となることができない」(原子力規制委員会設置法第7条第7項第3号)に抵触する。
    ①更田が勤務する日本原子力研究開発機構は、使用済み核燃料の「再処理」を事業内容の一つとしていて、「もんじゅ」の設置主体。
    ②中村が勤務する日本アイソトープ協会は、原発の「廃棄」を手がけていて、法が定める欠格要件にぴったり当てはまっている。

 (2)田中俊一・委員長候補も、田中が勤務する高度情報科学技術研究開発機構の昨年度の収入7億1,221万円のうち5億2,089万円が、更田が勤める日本原子力研究開発機構からの事業収入(服部良一・衆議委員議員だ(社民党)の調査)。
 田中は、「(原発事故は)どんなに反省してもしきれるものではない」と述べた(8月1日、衆参両議院運営委員会)が、「原子力ムラ」との密接な関係は絶っていない。

 以上、野中大樹(編集部)「原子力規制委は「違法性ムラ」」(「週刊金曜日」2012年8月10日号)に拠る。

 【参考】
【原発】天下り容認の規制庁人事 ~民自公修正談合~
【原発】規制委員会委員長候補は「原子力ムラ」の中心人物
【原発】秘かに進行する全原発再稼働計画
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【原発】茨城県の住民266人、東海第二原発廃炉を求めて提訴

2012年08月21日 | 震災・原発事故
 (1)7月31日、茨城県の住民266人が、水戸地裁に東海第二原発(日本原子力発電)運転差し止めを提訴した。
 弁護団71人、賛同会員492人。

 (2)訴訟の特徴は、
  (a)東海第二原発を運転する原電に対して、運転停止を求める(民事訴訟)。
  (b)国に対して、原子炉等規制法に基づく原子炉設計許可処分に係る処分無効確認を求める(行政訴訟)。
  (c)改正後の原子炉等規制法に基づき運転停止の義務づけを求める。
 原電に対しては運転停止を求め、国に対しては福島事故を念頭に今までの安全指針に効果がないことを認めさせ、新しく作る原子力規制委員会に運転停止を命じせるよう訴えるものだ。

 (3)原告団は、規制委員会人事案についても原子力委員会設置法の趣旨に反するとして国に人事撤回の要請書を提出した。

 (4)茨城県では、3・11で放射能汚染の影響を受けた。また、地元の原発も事故一歩手前だった。
 県内17市町村の首長と議会が、東海第二の再稼働に反対する意見を採択した。
 3・11以降、東海第二の廃炉を考える運動と連携し、裁判が準備され、今日に至る。脱原発運動を広げることで、裁判を盛り上げていきたい。【相沢一正・原告団共同代表】
 原発訴訟は、全部負けてきた。なぜか? それは原子力ムラが40年間大金をかけてやってきた原発安全キャンペーンが国民だけでなく裁判官にも染みわたっていたからだ。【河合弘之・弁護士/弁護団共同代表】

 以上、中村ゆうき(ライター)「東海原発の廃炉を」(「週刊金曜日」2012年8月10日号)に拠る。

 【参考】
【震災】原発>勝俣恒久・東京電力会長らを刑事告発
【震災】原発>事故の責任者を刑事告発した理由
【原発】検察、告発20件を棚ざらし ~誰も責任をとらない原発事故~
【原発】地検、福島事故に係る刑事告発・告訴を受理

【原発】福島県民、東京電力を集団告訴 ~勝俣東電会長の逃げ切りを阻止~
【原発】福島県民はなぜ刑事告訴告発をしたか ~告訴団長は語る~

【震災】原発>原発を問う民衆法廷
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【原発】地検、福島事故に係る刑事告発・告訴を受理

2012年08月20日 | 震災・原発事故
 (1)8月1日、福島第一原発事故に係る刑事告発・告訴が、福島・東京・金沢の各地検で受理された。

 (2)広瀬隆および明石昇二郎が東京地検に告発したのは、昨年の7月11日【注1】。1年以上“塩漬け”にされていた告発状だが、内容を補正し、今年7月31日に再提出。翌日、受理された。
 地検の受理に、各事故調の報告書が出そろったことが影響した可能性がある。
 告発状が問うた刑事責任は、
  (a)地震・津波対策に対する懈怠、(b)原発事故後に周辺住民に責任を果たさなかったこと(業務上過失致死罪)。医療過誤と同様、自らの意に添わない被曝は傷害である、とする。
 当初、告発対象者は東電幹部や国の幹部職員ら26人だったが、8月6日、田中俊一・元原子力委員会委員長代理/原子力規制委員会委員長候補も追加された。

 (3)1,324人の福島県民が福島地検に告発したのは6月11日【注2】。
 告発対象者は、東電役員ら33人だ。
 薬害エイズ事件の刑事裁判で厚生労働官僚を有罪にさせた経験を持つ保田行雄・弁護士/告訴団代理人は、「検察の強制捜査権を行使して、今回の事故の原子力ムラにおける癒着の問題も含めて全面的に明らかにされるべき」と述べた。

 (4)福島地検への第二次告訴は、11月に実施予定。
 全国から告訴する人が募集される。
 巨大マネーの上に成り立っている原子力ムラに対峙するには、日本国民全体の怒りを結集させる必要がある。【河合弘之・弁護士】 

 【注1】「【震災】原発>勝俣恒久・東京電力会長らを刑事告発
     「【震災】原発>事故の責任者を刑事告発した理由
     「【原発】検察、告発20件を棚ざらし ~誰も責任をとらない原発事故~
 【注2】「【原発】福島県民、東京電力を集団告訴 ~勝俣東電会長の逃げ切りを阻止~
     「【原発】福島県民はなぜ刑事告訴告発をしたか ~告訴団長は語る~

 以上、赤岩友香(編集部)「検察は原発事故の真相開明を」(「週刊金曜日」2012年8月10日号)に拠る。

 【参考】
【震災】原発>原発を問う民衆法廷
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【原発】を推進させるリニア新幹線 ~原発1基分の消費電力~

2012年08月19日 | 震災・原発事故
 (1)JR東海は、昨年9月下旬、「環境影響評価方法書」を計画沿線上の住民に縦覧し、10月から説明会を開催した。
 リニア新幹線は、全行程の8割が地下だ。時速500kmで大都市の地下をも走り抜ける。膨大な量の建設残土、水源の枯渇、直径30mの立て杭、振動や騒音・・・・市民の疑問は尽きない。
 ところが、1時間半の説明会のうち1時間がビデオ上映。当然、質問時間は短くなるが、住民の疑問に具体的に回答せず、時刻が来たら無言でピタリと閉会。

 (2)説明会のあと、12月から今年1月にかけて川崎市の「環境影響評価審議会」が開催されたが、審議会委員もJR東海の対応に本気で怒っていた。
 方法書の縦覧にあたり、JR東海は市民からのパブリックコメントを募集し、集まった150件の意見のほとんどは反対や疑問で占められていた。ところが、こうした疑問に対し、JR東海は審議会で「・・・・といったご意見をいただいています」と紹介しただけ。さすがに審議会委員が噛みついたが、市民の意見を反映させるのは「これからやる」、立杭工事の時期などは「環境影響評価準備書の段階まで詰めてから説明する」。
 つまり、JR東海は着工寸前まで情報を出さない、というのだ。

 (3)2010年2月、国土交通省の交通政策審議会に設置された「鉄道部会・中央新幹線小委員会」に、この事業の妥当性が諮問され、20回以上の審議を経て昨年5月12日「妥当」との答申が出た。
 小委員会はセレモニーだった。特に、昨年4月14日に開催された耐震性に係る議論は余りに短かった。前月に東日本大震災が起きたばかりなのに、審議は、JR東海の説明を受けたあと、わずか15分で「耐震への追加対策は不要」と判断を下した【注】。   
 しかも、民意を完全に無視した。パブリックコメントで集まったのは888。うち、計画中止や再検討を訴えるものは648件。計画推進を望む声はわずかに16件。ところが、家田仁・鉄道部会・中央新幹線小委員会委員長(東大大学院工学系研究科教授)は、これら反対の声に対し、「批判は答申を覆す意見ではない」と切り捨てた。
 その後の各地の方法書縦覧でも、パブリックコメントの総数は1,042件。ほとんどが反対意見で占められたが、JR東海は「具体的対策は2013年の準備書で示す」と回答する。
 いったい説明会やパブコメは何のために存在するのか。

 (4)川端俊夫・元国鉄技師は、1961年、リニア鉄道のアイデアを月刊『車両工学』に載せ、それを読んだ鉄道技術研究所が、翌1962年から研究開発を始めた。その川端元技師は、リニアは新幹線の40倍も電力を消費する、との投稿を1989年8月7日付け朝日新聞に載せた。
 「いや、3倍だ」という反論を尾関雅則・理事長(当時)が同年9月4日付け朝日新聞に載せた。
 今年6月13日、リニア中央新幹線建設促進岐阜県期成同盟とJR東海が主催する中津川市での説明会の配布資料に、品川・大阪間の消費電力は74万kWとある。ほぼ原発1基分に相当する電力だ。
 昨年5月14日に浜岡原発が運転停止したわずか10日後、葛西敬之・JR東海会長は、産経新聞に談話を載せた。いわく、「原発継続にしか活路はない」「原子力の利用には、リスクを承知のうえで、それを克服・制御する国民的覚悟が必要。政府は原発をすべて速やかに稼働させるべきだ」うんぬん。

 【注】リニア新幹線は、南アルプスの糸魚川静岡構造線や中央構造線などの巨大断層を横切る。

 以上、樫田秀樹(ジャーナリスト)「疑問だらけのリニア新幹線 ~そもそも必要か?~」(「世界」2012年9月号)に拠る。
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【消費税】増税が公共事業に化ける時 ~自民党「国土強靱化法案」~

2012年08月18日 | 社会
(1)附則第18条第2項
 消費増税法案には、増税一辺倒よりもさらに悪質な問題が隠されている。
 法案には、三党合意の前にはなかったものが新しく入れられている。附則第18条第2項がそれで、これが問題の根源だ。附則は「消費税率の引き上げに当たっての措置」として、次のように記す。
 <税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引き上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する>
 読み辛い文章だ。しかも、通常は経過措置などを記載する附則の中に入れて専門家でも気づかないようにしている。
 政府は、消費増税が必要な理由として、少子高齢化のもとで誰もが安心して社会保障の恩恵を受けられるようにするためには安定財源確保と財政健全化が必要だ、と繰り返し説明してきた。
 しかし、「事前防災及び減災」は、断じて社会保障ではない。これは広い意味で公共事業だ。しかも、この分野に「資金を重点的に配分する」とは、消費税を多く公共事業に使う、ということだ。

(2)背景
 6月4日、自民党は衆議院に議員立法で「国土強靱化法案」を提出した。大災害がほぼ確実と言われる中、日本は国土を強靱化して備えなければならない。そのためには民間資金も含め、10年間で200兆円規模の事業費が必要だ、というのだ。
 自民党本部の中に国土強靱化総合調査会がある。会長は運輸大臣、経産大臣を歴任した二階堂俊博、委員には古賀誠、町村信孝ら昔からの公共事業族議員が名を連ねている。
 法案提出が6月4日、三党合意成立が6月15日だから、この会の意を受けた誰かが200兆円の財源を求めて「附則」を捻り出したのだ。
 ちなみに、三党合意の立役者になったのが、政府側は藤井裕久・元財務相と古本伸一郎・社会保障と税の一体改革調査会筆頭副会長/民主党税制調査会事務局長だ。裏で何が何でも消費増税法案を通したい財務省、自民党のほうでも財務省出身議員らが陰に陽に力をふるった、という観測がある。
 消費税が10%になれば税額は13.5兆円という巨額なものになる。このうち確実に社会保障に充てられるのは2.7兆円で、残りの10.8兆円は社会保障の借金返済に充てる(ただし、全額借金返済に回るわけではなくて、社会保障分を増額する)、というのがこれまでの政府説明だった。
 しかし、この附則によれば、10.8兆円を全額公共事業に回しても合法だ。
 自民党の一部議員は、すでに国土強靱化をぜひ次の総選挙の目玉にしたい、と息巻いている。そのような主張が通り、自民党が政権を握れば、10年で200兆円が公共事業に投入され、国の借金は増え続ける。
 しかし、政府も自民党も、この附則について、国民にほとんど説明していない。これでは、消費税は社会保障に使われる、と信じてきた国民に対する詐欺ではないか。
 大手マスコミは、もちろん附則が国民に対する背信であることを知っている。だが、黙して語らない。

(3)「国土強靱化法案」
 (a)基本理念・・・・「多極分散型国土の形成、均衡ある発展、大規模災害発生時の政治・経済・社会活動の確保」  
 (b)基本政策(なぜ10年間で200兆円なのかは不明)
   ①強く災害を意識したもの・・・・「東日本大震災からの復興、大規模災害に対する強靱な社会基盤の整備、医療・福祉の確保、エネルギーの安定供給」など。
   ②一般的事業・・・・「地域間交流・連携の促進、我が国全体の経済力維持向上、農村漁村の振興、地域共同体の活性化」など。
 (c)具体的な「強靱な社会基盤の整備」は法案では不明。ただし、国土強靱化総合調査会のブレーン的存在の論からすれば、高速道路網14,000kmの建設が含まれるらしい。国土強靱化とは、高く強い防潮堤、高速道路と鉄道をミックスした多重防御、津波対策のためのコンクリート構築物などを指すらしい。
 (d)会は、財源として原則「建設国債」を予定している。さらに、このような財政出動をすれば、雇用が発生し、景気が上向き、さらにはそれが税になって国庫に入り、日本の赤字財政も解消されていく、という例の論理が加わる。
 (e)建設国債のこれ以上の発行は、国内だけでなく国際的にも大きな批判がある。日本の財政規律をどうするかは、世界中の大論点なのだ。このような厳しい状況のなかで、国土強靱化総合調査会にとっては消費増税はビッグでありラストチャンスだった。
 (f)こうした思惑もあってか、自民党案に併せて公明党も100兆円プラン(防災・減災ニューディール推進法案)を発表。民主党の部会も160兆円プランを準備するようになった。選挙の秋風が吹き始めだして、公共事業は党派を超えて「打ち出の小槌」となった。

(4)人口減の時代の公共事業
 (a)田中角栄が「日本列島改造論」によって公共事業のシステムを作った頃は、爆発的な人口増で高度成長を遂げようとしていた時代だった。
 (b)この時代、公共事業は人々の所有、スピード、便利さなどの欲求を満たし、幸福感を与え、雇用を生み出し、経済を成長させる魔法の杖だった。人口が増えれば需要もまた喚起する、というのは当然の法則だった。自民党が戦後一貫して政権を担ったのは、この公共事業をうまく操ったことが決定的だ。
 (c)しかし、民主党が政権をとった2009年には、日本は世界でもまったく例を見ない少子・高齢化の時代に入り、今後急速に人口減と高齢者を抱えるようになっていた。したがって、人口増を前提とした公共事業(社会保障を含む日本の全システム)は、これまでとはまったく逆のものにならなければならない。
 (d)民主党は国家戦略局を設けて民間の知恵を集めようとし、官僚に依存することの多い公共事業にとって不可欠な視点を導入しようとしたが、国家戦略局は不完全燃焼に終わった。
 (e)この間、従来の公共事業は大きな欠陥を露呈するようになった。
   ①人口増を前提にした各種設備が人口減に伴って続々と不要になってきた。
   ②公共事業=コンクリートの劣化に伴って既存の施設の老朽化が急速に進行した。<例>橋は全国で4万本を数えるが、劣化のために危険が増し、道路や下水道なども同じような状態となった。
   ③新規事業と維持・管理費の観点からは、現在の予算の状態では、まもなく新規公共事業はストップし、旧来の施設の維持・管理だけで精一杯という状態になる。
   ④少子・高齢化に伴って発生する日本国土の偏向=多くの集落は限界集落となり、東京など大都市の一部だけは現状を維持するが、それでも内部に沢山の高齢者を抱え、孤独死や無縁社会が蔓延するようになる。
 (f)これら全体にどう対処していくか、日本国のありようを考える「グランドデザイン」の構築は待ったなしなのだが、民主党はここでもサボタージュし続けた。ほとんど説明することなく「八ッ場ダムを中止」し、これまた説明なく「八ッ場ダムの中止を中止」した。財源調達のめどもなく、整備新幹線や外郭環状道路を再開した。

(5)東日本大震災被災地
 (a)政府は復興庁という新組織を立ち上げ、過去最大かつ過剰といわれる復興予算を組み、さらに特区や一括交付金など新しい制度を作って復興を進めようとしている。しかし、被災地ではほとんど復興が進まず、政府の政策と被災地の乖離はかつてないほど大きくなっている。
 (b)その理由を消費税と公共事業を考える文脈のなかで整理すると、
   ①災害への対策は必須であり急務だが、しかもハード面とソフト面の両面について必要だが、全国各地についての対策は個別に計画されなければならない。従来のような霞が関中心ではなく、自治体・市民・企業などの叡智が主体となって新しいシステムを創造しなければならない。
   ②最も重要かつ本質的なことは、災害対策も結局はそれぞれの国民が今後どのような町でどのような人生を送りたいか、にかかっている。公共事業はかつてのように国が独占するものではなく、「公」つまり市民や自治体が計画し、実行するものとなったのだ。
   ③東日本大震災の被災地で復興が進まない本当の理由は、政府による復興を必ずしも被災者は望んでいないからだ。被災者が望んでいるのは、かつての故郷を取り戻したい、ということだ。自力で住宅を建設するか、仮設住宅を出て区画整理された土地あるいは高台に住むか。その土地で生活はできるのか。そして年老いたら、あまり息子や娘の世話にならずにうまく老後を送れるか、ということが最大の心配事なのだ。物理的な安全や安心はもちろんそれらと並行的に考えなければならないが、決してそれが最優先ではない。端的に、大きくて強い防潮堤をとるか、将来の医療や介護を望むかと言われれば、ほとんどの人は後者を選ぶだろう。
   ④③のような被災者の希望は、まもなく限界集落を迎える町、若者の都市離れで将来設計が困難になっている多くの小都市、少子・高齢化を迎える全国の自治体・地域にも共通している。

 以上、五十嵐敬喜(法政大学法学部教授/弁護士)「消費税が公共事業に化ける時 ~再び土建国家へ~」(「世界」2012年9月号)に拠る。
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【原発】紫陽花革命が大手メディアを揺さぶる ~正しい報道ヘリの会~

2012年08月17日 | 震災・原発事故
 (1)間接民主主義の機能不全
 紫陽花革命の17万人集会(7月16日)は、むろん、野田政権が国民の意志を反映していないどころか、その逆のことをやっていることへの強い抗議の表明だ。国会が、国会議員自らの利益のために動くばかりで、まったく民意を反映せず、「主権在民」という基本理念が蹂躙されていることに、多くの国民が怒りを感じているためだ。
 間接民主主義が機能不全に陥ったとき、しばしば市民は直接民主主義で自分たちの意志を表明してきた。

 (2)「正しい報道ヘリの会」
 17万人集会は、既存の新聞・テレビなどのマスメディアへの不信感を極めて鮮明に表出した。
 その象徴は、「正しい報道ヘリの会」の成功だ。
 これまでヘリコプターを飛ばして空影するのは、大手メディアだけが可能な取材方法だった。ところが、市民メディアがそれを実現し、予想を超えるカンパが集まった。カンパは、7月5日現在で860万円を超えた。「正しい報道ヘリの会」は、ヘリのチャーター代やスタッフへの支払いなどに105万円を使い、残りのうち500万円を「福島原発告訴団」に寄付した。
 チャーターしたヘリでの空影は、最初6月29日の首相官邸デモに対して行われた。山本太郎・俳優が乗り込み、レポートした動画の映像を、1時間後にいったん帰還してネットにアップした。次に、野田雅也・日本ヴィジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)/カメラマンがヘリに乗り込み、スチール写真の撮影を行った。
 映像配信は、OurPlanet-TVとJWJが担った。これまで市民メディアとして活動してきたジャーナリストがプロジェクトを組むことで、空影は成功したのだ。
 7月16日の「さようなら原発10万人集会」でも空影が行われた。7月29日の国会包囲デモで、3回目の空影が行われている。
 「正しい報道ヘリの会」の成功は、既存のマスメディアが市民の意志をきちんと伝えないことへの、市民の抗議意思表明でもある。
 新聞・テレビが市民デモをほとんど報道しなくなっていることが、これまでしばしば指摘されてきた。政治報道を永田町の政局報道に矮小化し、国会の外の市民の動きを報じなくなった大手マスコミへの不信感が、今回、ヘリのチャーターという形で現れたのだ。

 (3)国会記者会館
 紫陽花革命で、もう一つ大きな問題になったのは、国会記者開館の使用だ。
 国会記者会館を所有するのは衆議院だが、国会記者会に管理を委ねられ、政治取材の拠点として使われてきた。国会記者会は、153社の新聞・テレビによって構成される記者クラブだ。
 7月初め、国会記者会館の屋上を7月29日の国会包囲デモを撮影するため使用させてほしい、と白石草・「OurPlanet-TV」代表理事が申し出たところ、認めない、と国会記者会が回答し、7月17日に東京地裁に仮処分を申し立てた。この2年間、さまざまな省庁で問題になった記者会見の開放と似た経緯だった。
 歴史的に見れば、国会記者会館は、国民の知る権利を代行する存在としてマスコミが権利を勝ち取った成果なのだが、その本来の意義を忘れて大手マスコミが既得権益だとしてその使用権を独占し、フリーやネットメディアの要請を事実上拒否した(OurPlanet-TVの主張)。ネットの登場などメディアの多様化によって、これまでのように大手の新聞・テレビが記者クラブを占有し、フリーやネットなど他のメディアを排除する根拠はなくなった、というわけだ。
 7月26日、東京地裁はOurPlanet-TVの申し立てを却下した。OurPlanet-TV側は即時抗告。
 国の所有物である国会記者会館を、国会記者会という一私人が、なぜ排他的に使用できる権利を有するのか。その根拠が示されないままで判断が下された。国から国会記者会に本件建物の使用管理権を委ねられた趣旨が、報道の自由や知る権利に資するものでないとするならば、なぜ国会記者会は随意で運営を委託されているかを明らかにすべきであり、逆に、もし知る権利や民主主義の伸張のために委託されているならば、当然、私たちOurPlanet-TVにも立ち入りが認められるべきだ。【白石「OurPlanet-TV」代表理事】
 問題提起の意味は大きいが、本来は司法の判断をあおぐのではなく、ジャーナリズム自身が、現状の記者クラブ制度が時代にそぐわない面が出ていることを認め、権利を開放する方向で考えるべきだろう。一部既存メディアだけが特権を享受している現実は、改めるべき時期にきている。

 以上、本誌編集部「脱原発のうねりはメディアをも揺さぶっている」(「創」2012年9・10月号)に拠る。

 【参考】
【原発】「さようなら原発」17万人集会の記録
【原発】情報は「拡大」から「拡散」の時代に ~金曜日の人々~
【原発】遅れてやってきたマスメディアの人々 ~NHKとテレビ朝日~
【原発】10万人集会とウォール街占拠 ~メディアのあり方~
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