語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】ミラボー橋の下をセーヌが流れ ~母音~

2010年03月31日 | 詩歌
 フランス詞華集『ミラボー橋の下をセーヌが流れ』は、原詩に訳と解説を付し、ラ・フォンテーヌからサルトルまで、28人のフランス詩人の詩をとりあげる。1編しかとりあげていない詩人が多いが、2編の詩人も数人、最多はランボー及びプレヴェールの3編である。
 アルチュール・ランボーのソネット「母音」第1行目に

  Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たちよ
   (A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu: voyelles,)

 解説で三好達治を引く。すなわち「五個の母音A、E、I、U、Oのうち、E、Iの二つは痩せた、寒冷な感じを伴う側のもので、他の三者にその点で対立している。後の母音のA、O、Uはいずれも豊かな、潤った、温感の伴って響く性質をもち、就中Aは華やかに明るくまた軽やかに大きく末広がりに響く傾向をもつ」
 同じく解説で、米国の詩人ジョン・グールド・フレッチャーの1行を引く。すなわち、

  Aは光と陰影(かげ)、Eは緑、Iは青、Uは紫と黄、Oは赤

□窪田般彌『ミラボー橋の下をセーヌが流れ -フランス詩への招待-』(白水社、1975)
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書評:『リスボンの小さな死』

2010年03月31日 | ミステリー・SF
 第二次世界大戦初頭、独ソ戦がはじまる直前、実業家クラウス・フェルゼンは親衛隊のレーラー中将に見込まれて、ポルトガルからタングステンを輸入する仕事に就いた。だが、レーラーはフェルゼンが愛するエヴァ・ブリッケを収容所へ送ってしまった。怨念が残った。大戦末、ポルトガルへ逃れてきたレーラーたち親衛隊の残党にフェルゼンは復讐する。他方、色好みのフェルゼンもまた、タングステン採掘の現場責任者ジョアキン・アブランテスの怨みをかっていた。ジョアキンの愛人マリーアを犯した復讐を、戦後、受ける。
 これが本書を構成する流れのひとつである。

 流れのもうひとつは、199*年リスボン近郊における殺人事件である。被害者は15歳の少女で、レイプされていた。同じ年頃の娘をもつジョゼー・アフォンソ・コエーリョ警部は、少々変人の相棒カルロス・ピント刑事とともに、地道に聞き込みを続け、意外な事実をつぎつぎにあばいていく。しかし、政界の上層部から圧力がかかった。

 この二つの事件が交互に語られつつ物語は進行し、本書の末尾で両者は交錯する。交錯したとき、殺人事件の犯人とその動機が解明される。
 つまり、ある人物が殺人を犯すにいたる動機の形成過程と、事件が起きたあとでその動機を探る捜査とが同時平行で物語られるのだ。
 本書には、ウィルキー・コリンズ的な記憶検証の河と、フリーマン・ウィルス・クロフツ的な実地検証の河とが別個に流れて、前者はやや急流で、やがて両者が合流しする地点で大河となり、事件の全貌が明らかになるという仕掛けだ。
 犯人と動機の鍵は読者にすべて提供されるから、古典的な謎解きパズルの要素もあって、読者は安楽椅子にすわったまま探偵することができる。
 緻密で、きわめて手のこんだ構成だが、ねらいは成功していると思う。英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞を受賞(1999年)しただけのことはある。
 多数登場する人物それぞれの個性がていねいに描きわけられているし、入り組んだ人間関係も落ち着いて取りくめば解きほぐすのは容易だ。そして、文章は渋い。

  突堤に数人の釣り人がいた。このような日にどんな魚が釣れるというのか。
  が、釣りというのは、必ずしも魚をとることだけが目的ではない。

□ロバート・ウィルスン(田村義進訳)『リスボンの小さな死(上・下)』(ハヤカワ文庫、2000)
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【言葉】多数の専制

2010年03月31日 | 批評・思想
 しかし、親愛なるクリトンよ、なぜわれわれはそんなに多衆の意見を気にしなければならないのだろう。

【出典】プラトン(久保勉訳)『クリトン』(『ソクラテスの弁明・クリトン』(岩波文庫、2007)
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書評:『世界変人型録』

2010年03月30日 | 小説・戯曲
 世の中には、いっぷう変わった人が少なからずいる。
 たとえば、オーストラリア西部に暮らす農夫レナード・ケイズリー。政府による小麦の割り当ての大幅な削減に抗議して、1970年、独立を宣言した。面積18,500エーカー、人口20人の独立国ハット・リヴァーの誕生である。リヴァー国は通貨、切手を発行し、国歌、国旗もつくった。国連にオブザーヴァー国としての参加を求めたが、読者も容易に想像できる理由で、要請は却下された。しかし、ケイズリーはへこたれず、「外交上」の攻撃によってオーストラリア政府を悩ませ続けた。ハット・リヴァー国は、「独立」5年後には1万人の観光客をひきつけるに至った。

 井上ひさし『吉里吉里人』を地でいくはなしだ。この小説、東北地方の一寒村が日本政府に愛想をつかして、とつぜん「吉里吉里国」独立を宣言する。食料もエネルギーも自給自足し、臓器移植ほか高度先進医療を実践、独自の金本位制まで定める。「吉里吉里語」なる東北弁を公用語とし、英和辞典ならぬ吉和辞典まで刊行するのだから、何をかいわんや。
 ノリのよい人はいるもので、小説刊行当時、舞台と目される岩手県上閉伊郡大槌町は、「独立宣言」をやってのけた。

 本書に登場する変人61人は、サルヴァドール・ダリをはじめとする芸術家ないし芸能人が多い。しかし、ハワード・ヒューズのような実業家もいるし、愉快な詐欺師も登場する。
 みな、他のだれとも似かよったところがない。
 他のだれとも似たところがない、という点において、みな共通する。

 集団が維持されるには共通の規範が必要であり、集団の構成員には同調行動が求められる。
 しかし、バーナード・ショーはいった、「わけのわかった人は世の中に自分を合わせる。わからず屋は、世の中を自分に合わせようとして頑張る。だから、世の中の進歩はわからず屋のおかげである」
 一見はた迷惑な変人は、巷間に伝えられる大久保彦左衛門を持ちだすまでもなく、ときには世の中の進歩に寄与し、あるいは地の塩となり・・・・そして、人々を楽しませる潤滑油ともなるのだ。

□ジェイ・ロバート・ナッシュ(小鷹信光訳) 『世界変人型録』 (草思社、1984)
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書評:『B面の夏』

2010年03月29日 | 詩歌
 著者は、俳人黛執の娘。1983年、フェリス女学院短期大学卒業。富士銀行勤務時代に杉田久女を知り、俳句の道に足を踏みいれた。1988、「東京きものの女王」賞受賞。1990、俳句結社「河」に入会。1994年、角川俳句賞奨励賞受賞。同年、処女句集『B面の夏』出版。
 本書は、その文庫版である。タイトルは、「旅終へてよりB面の夏休」から採られたらしい。

 あとがきによれば、句集の文庫化は20数年ぶりのよし。句集は売れないものと相場が決まっているが、売れる句集もあるのだ。歌集では『サラダ記念日』が爆発的な人気を得たように。
 なにしろ、著者は美貌の持ち主である。美人が恋をうたい、失恋をうたう。売れないはずがない。しかも、その恋たるや不倫である。不倫は世代を特定しないから、読者層を限定しない。ますます売れる、という構図だ。

 せっかく逢っても言いたいことが言えないもどかしさ、会いたくても会えないいらだちを十七文字に定着した、と著者は述懐する。「別のこと考えてゐる遠花火」「水着選ぶいつしか彼の眼となつて」。
 中には、たまゆらの逢瀬の喜びもある。「星涼しここにあなたのゐる不思議」「夜光虫いつしかふたりとなつてゐし」。
 概しておとなしい詠みようで、小説の中の一行ならば生きてくるが、詩としてはいささか弱い。受け身の立場、待つ女となった宿命か。ただし、名高い「遠雷や夢の中まで恋をして」には一途な激しさがあり、「会いたくて逢いたくて踏む薄氷」の薄氷が象徴するものは複雑だ。

 季語とがっぷり四つに組んだ句も見られる。「夕焼の中に脱ぐもの透きとほる」には恋の残照があるが、「しばらくは揺らして含むさくらんぼ」「蓑虫の天より降りて来しごとく」は季そのものに迫る。この先に「寒紅のいきなり罵声浴びせたる」の特異な句が生まれる。
 「ふららこや恋を忘れるための恋」は、ある情念は別のより強い情念によってのみ乗り越えられる、というスピノザ哲学の実践である。

 自分自身を救済しよう、と富永太郎は独り言ちた。
 著者もまた、表現/創造によって自分自身の救済が・・・・たぶん、可能になったのだろう、と思う。

□黛まどか『B面の夏』(角川文庫、1996)
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【言葉】苦しい思いをどう克服するか

2010年03月29日 | 心理
 感情は、それと正反対の、しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることも除去することもできない。

【出典】スピノザ(畠中尚志訳 )『エチカ』(岩文庫、1951)第4部定理7
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書評:『林檎の木』

2010年03月28日 | 小説・戯曲
 大学を出てまもない主人公アシャーストは、徒歩旅行の途上で脚を痛め、たまたま出会ったミーガンの家を宿とする。所用をかかえた連れは翌日出立するが、アシャーストは引き続き滞在する。気だてのよい自然児ミーガンとじょじょに深まる交情。二人して新生活を築く決意をした。そのための買い物にひとり出かけた町で、アシャーストは避暑中の旧友と出会う。階級、教養と生活習慣を同じくする旧友とその妹ステラたち。図らずもよしみを深めるうちに、ミーガンの待つ農場に帰れなくなったことをアシャーストは自覚する。なん日かたって、彼は、ミーガンが主人を見失った小犬のようにためらい、戸惑い、行きかう人々の顔をのぞきこむように、哀れな様子で歩いているさまを目撃した。
 銀婚式の日、アシャーストは見覚えのある荒地(ムーア)を通りかかり、妻ステラがスケッチしている間に、見覚えのある光景を目にして、青春の一時期の記憶がよみがえった。十字路に小さな墓があった。教会に受け入れてもらえない者の墓である。土地の古老が苦痛にみちた眼で思い出を語った。アシャーストは、20年後にしてようやくミーガンの末路を知ったのである・・・・。

 主人公に感情移入し、アシャーストの立場にたてば、たまゆら抱いた慚愧の念は、青春の甘味な思い出のほうが優位にたって、感傷に流されてしまうし、それでもさしつかえない。
 しかし、ミーガンや古老の立場にたてば、見方がガラッとちがってくる。厳然とそそりたつ階級の壁、これが大きい。壁の内側からフラフラと外にでて、いい気な、しかも一貫しない善意によって自分たちの心を攪乱したアシャーストは断罪されるべき者だ。もっとも、ミーガンも古老も人がよくて、アシャーストを非難する気はさらさらなかったみたいなのだが、それはまたそれで切ない。
 英国では、異なる階級のあいだを移動することはまずないらしい。アシャーストは、それを知っていたはずだが、若さと旅先の解放感で、ついフラフラと甘い見とおしを抱くにいたったわけだ。ミーガンは、異なる階級間の移動困難は、たぶん知らなかったにちがいない。無垢は無知である。そして、アシャーストの一瞬の忘我とミーガンの無知から事故が発生した。そう、二人の若者の無知が結果したものは、事故と呼ぶしかない。ただ、事故によって被害をうけるのは常に弱い階級に属する者である。上の階級の者は、せいぜいハートがちょっぴり傷つくくらいですむ。

□ジョン・ゴールズワージイ(三浦新市訳)『林檎の木』(角川文庫、1956)
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【読書余滴】支配する者は支配する相手によって支配される

2010年03月28日 | エッセイ
 ジョージ・オーウェル(1903-1950)は、自分の目で見たものを自分の頭で考える人だ。借り物の思想に依りかからない。その分、苦渋が滲みでる。自分に権限がないから責任はないものの、かといってまったく責任がないとも言えないものの矛盾も見えてくるのだから。
 比較的初期の「象を撃つ」(1936)にすでにオーウェル的特徴が示される。

 この小説ともエッセイともつかぬ作品(ヌエ的なところがオーウェルらしい)は、ビルマで警官を勤めた体験をもとにしている。
 当時オーウェルは、頭では大英帝国の圧制を嫌ってビルマ人に味方していた。
 反面、感情的には帝国主義の手先である警官、つまり自分を憎むビルマ人を嫌っていた。
 ある日、象が暴れてドラヴィダ族の苦力が死んだ。知らせを受けて、オーウェルはライフルをかついで駆けつけた。
 もはや象はおとなしくなって草を食べていたから、撃つ必要はなさそうであった。
 しかし、背後に群衆が続々とつめ寄せ、すでに2千人になろうとしていた。群衆の期待するところは明かであった。

 ここで忽然とオーウェルは悟る。
 「原住民」を支配する白人の旦那は、「原住民」の期待にこたえ、感心させる行動をとらなくてはならない定めにあるのだ、と。
 さもなくば群衆は嘲るだろう。「東洋にいる白人の生活のすべては、ひたすら嘲られまいがための戦いだったのである」

 支配する者は、支配する相手によって支配される。
 支配される、というより、がんじがらめに縛られる、と言ったほうがよさそうだが、とにかくこの逆説をオーウェルは象を撃つにあたって発見した。かといって英国の植民地政策を正当化しているわけでは、無論、ない。
 ただ、それまで彼が抱懐していた「帝国主義は悪だ」に、複雑なニュアンスが加わった。
 オーウェルの複雑さは、彼が歳をとるにつれていっそう陰翳を増していく。

□ジョージ・オーウェル(小野寺健訳)『象を撃つ』(『オーウェル評論集』、岩波文庫、1982、所収)
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書評:『ニルスの不思議な旅』

2010年03月27日 | □スウェーデン
 著者は、スウェーデン人として、また女性として初めてノーベル文学賞を受賞した(1909年)。
 本書の原題は、『ニルス・ホルゲルソンの不思議なスウェーデン旅行』。スウェーデン教育会が執筆を依頼した。10歳前後の子どもたちにわかりやすい、スウェーデンの地理や歴史に関する読みもの、というのが注文であった。
 準備に3年間を要した。苦心のかいがあって、子どもはもとより大人の鑑賞にたえる文学となった。

 第1部(第1章から第21章まで)が1906年に発表され、第2部(第22章から第55章まで)が1907年に発表された。この発表年次のずれは、看過できない。
 第1部は、冒険小説の気配が濃厚である。スウェーデンの伝説的な妖精トムテの魔法にかかって、こびととなったニルスは、ガンの群とともに旅立つ。空から鳥瞰するスウェーデン各地の自然。各分冊に地図が付され、章ごとの進路が記されていて便利である。鳥や小動物は、人間と同じ感情とことばをもって行動する。天敵となったキツネの<ずる>との闘いやドブネズミ対クマネズミの戦さがある。ほとんどの場面で、ニルスが主役となる。ニルスは、次第に鳥や小動物から頼られる存在になっていく。

 ところが、第2部になると、ガラリと趣がかわる。深みがぐんと増し、主役は次々に交替する。大型の動物も登場し(オオジカの<灰毛>)、シートン動物記の英雄譚に近い味わいさえ漂わせる。あるいは、擬人化された自然(ストール川とフェール川)がある一方、家族の病気と事故で貧困と孤独におちいった人間にも大幅に紙数が割かれる(少女オーサ)。ことに特徴的なのは、伝説・昔話が頻出することだ。自然の創生(イェムトランド伝説)から銅山の開発(ファールン鉱山の昔話)まで。人間は自然と一体になって、大きな生のうねりの一部をなす。これら単独で完結する物語には、ニルスは申しわけ程度に顔をだすにすぎない。ただし、依然として主役はニルスという体裁であり、もとの姿にもどって両親と再会する大団円も用意されている。

 本書の見どころを、三つあげておこう。
 第一に、スウェーデンの風土である。本書は、地理はもとより、今なお生きている伝説・昔話のよきガイドブックである。
 第二に、少年の精神発達である。怠け者の悪たれ小僧が、旅を通じて、数多くの他者との関わりの中で大きく成長していく。「自分にも北のラプランドへ旅する力があるのだ」と証明するべくガンの群に身を投じたガチョウのモルテンも、ニルスとともにひとまわり大きくなる。
 第三に、人間の集団あるいはその営みからはみ出た、と感じる者の、自然との豊かな交歓である。ニルスは、矮小なトムテとなったことで、鳥や動物たちと会話する能力を獲得する。自然との共生が可能になった。これは、たとえば事故あるいは疾病により体や心に障害を受けた者が、自然に身をひたすうちに再生していく過程とほとんど重なる。今日では、アニマルセラピーという分野も開拓されているのだ。
 百年前の児童文学だが、現代のおとなにも読みごたえのある小説だ。

□セルマ・ラーゲルレーヴ(香川鉄蔵・香川節訳)『ニルスの不思議な旅(1)~(4)』(偕成社、1982)
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書評:『マンガ 心のレスキュー』

2010年03月27日 | 心理
 パニック障害、強迫性障害(OCD)、うつ病、睡眠障害という4種の心の病気をとりあげ、原因、症状、治療法を漫画と文章でやさしく説く。最後に、今日の精神医療について、精神科・神経内科・心療内科の異同、よい病院・医者の選び方、外来医療と入院医療の違い、向精神薬の効果、神経伝達物質と心身の相関、薬物療法以外の治療法などをQ&A方式で解説する。
 あとがきによれば、発症率はパニック障害1~2%、強迫性障害2%、うつ病3%(睡眠障害は記されていない)だから、一人が複数の病を病んでいないと仮定すると、わずか4種の心の病気だけで人口の5%を越える。
 うつ病や発症率1%のスキゾフレニア(日本精神神経学会は2002年8月に精神分裂病を「統合失調症」に名称変更した)は昔からあったが、現代に特徴的な心の病もある。OA機器の普及に伴うテクノストレスはすでに耳なれた言葉だし、ノルマストレス(朝刊症候群、通勤電車症候群ほか)は近ごろの経済情勢からして増えていきそうだ。
 要するに、誰もが心の病気にかかる可能性を秘めているわけだ。
 だから、精神衛生に係る啓発は大事だ。早めに症状をキャッチして、すみやかに対応するのだ。
 
 本書は、心を病む本人と家族や周辺の人々への水先案内である。患者への接し方から相談機関、参考書もガイドしている。
 この本を、あるいはこの手の啓発書を、保健所や市町村の精神保健主管課の文書展示コーナーなど住民の目にふれやすいところ、気軽に手にとってパラパラとめくって見やすいところに常備するとよさそうだ。

□越野好文・文、志野靖史・作画『マンガ 心のレスキュー』(北大路書房、2002)
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書評:『スローカーブを、もう一球』

2010年03月26日 | ノンフィクション
 1979年の日本シリーズ第7戦、広島が1点リードの9回裏、地元の近鉄はリリーフ・エース江夏豊を攻めて無死満塁とした。
 『江夏の21球』は、この緊迫した場面を緻密に描く。21球の計算された球種とコース。その計算を実行できるだけのコントロールと速球をもつ球界屈指の投手の動作、その微妙な心理の襞。

 たとえば、救援の切り札の江夏がマウンドに立っているのに、ダッグアウトの古葉監督は次の救援投手を手配する。
 それは万一同点となった場合、つまり延長戦にはいる場合を想定した指揮官の、当然といえば当然の措置なのだが、マウンドに立つ江夏としては見限られた、との思いに駆られる。
 その反撥を読みとって近寄る衣笠一塁手。衣笠は戦友として、守備する者同士として一言ささやく。
 こうした力学が鮮やかに一筆書きされる。

 その場で思いつくままを記録したかのようにさりげない文章だが、背後に綿密な取材があったはずだ。
 じじつ、両チームの選手たち、最終打者となった石渡選手やほぼ手中にしていた日本シリーズ優勝を逃した西本監督の証言さえ盛り込まれている。
 直線的に時間が流れる映像ではとらえきれない多角的、多層的なアプローチと構成が言葉で築かれている。

 かくて、固唾をのんで見つめるファンたちの姿さえ見えてくるような散文の傑作が生まれた。感嘆するしかない。
 たかが野球、されど野球・・・・いや、第8回日本ノンフィクション賞を受賞した短編集『スローカーブを、もう一球』は、分野を野球(『江夏の21球』)に限定しない。
 シングル・スカル(『たった一人のオリンピック』)から、ボクシング(『ザ・シティ・ボクサー』)、スカッシュ(『ジムナジウムのスーパーマン』)に棒高跳び(『ポール・ヴォルター』)まで。
 いずれもスポーツする人たちの、ひとたび去ってもはや帰ることのない煌めく一瞬を簡潔かつしなやかな文章で見事に定着する。

 山際淳司は1948年生。1980年に発表の『江夏の21球』で一躍ひろく知られるようになり、以後スポーツ分野で優れたノンフィクションを次々に発表した。
 小説にも手を染めたが、惜しくも1995年病没。胃癌であった。享年46。長寿社会の今日、夭折といってよい。

□山際淳司『江夏の21球』(『スローカーブを、もう一球』所収、角川文庫、1985)
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【言葉】高校野球と精神主義

2010年03月26日 | 社会
 日本の社会では、すでに指摘されてきたとおり権力と道徳とがつねに結びついてきたので、勝敗が善悪を意味する傾向があった。「勝てば官軍」である。世俗的成功者が精神的優越者とみなされた。だから、野球においても勝たなければならないのである。そのうえ、日本の社会では、個人は集団を、集団はもっと大きい集団を代表する仕組みになっている。大はオリンピックから小は高校野球にいたるまで、人は国家のために、母校や郷土の栄誉のために、どうしても勝たなければならない。私たちはいつも、家族や職場や組合の代表者としての責任を重く背負ってよろめいている。

【出典】作田啓一『高校野球と精神主義』(『恥の文化再考』、筑摩書房、1967、所収)
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書評:『パリ 旅の雑学ノート』

2010年03月25日 | ●玉村豊男
 多産なエッセイストの処女作である。
 当時東大仏文科の学生だった著者は、2年間パリで留学生生活をおくり、その後本書を書きあげるまでの10年間、毎年2回ほど渡仏していた。
 ただし、名所旧跡とは縁がなく、ブラブラとあてどなく散歩するだけ、といった過ごし方だった。だから、いつまでたっても「フランスの政治・経済・文化など、高級なことども」はわからず、「ただ身近なこまかい事柄」だけが蓄積された、と著者はいう。
 かくて、まえがきは言う。「これからパリに行こうとしている人、(中略)パリの好きな人、(中略)フランス語を知っている人いない人、その他すべてのヒマな人のために書かれた。(中略)パリに関する本は山ほどあるが、本書ほどくだらない、どうでもいいようなことばかり、それもこれほど綿密に書き並べた本はない」

 じじつ、パリの名が喚起するイメージ、文学も哲学も政治も恋愛も、本書には一切出てこない。出てくるのは「こまかい事柄」ばかりだ。
 無名と有名とを問わず万民がそこで一杯やり、食事し、議論し、あるいは呆然と路上を行く人を眺めてすごすカフェをはじめ、パリ人の生活の核がきめこまかに、かつ、徹底的に綴られる。
 カフェにはカウンター(立ち食い、立ち呑みが原則)、サル(室内の椅子とテーブルを並べた空間)、テラスの歴然と区分される空間があるとか、街路樹の種類(もっとも多いのがプラタナス、その次がマロニエ、以下エンジュ、ボダイジュ、ニレ、ポプラ、アカシア、カエデ・・・・)とか、もっとも乗降客の多い駅はサン・ラザール駅だとか。

 これらは「どうでもいいようなこと」は、パリの住民にとって空気のように当然そこにあるものだ。読者は、「どうでもいいようなこと」をつうじて、パリジャンやパリジェンヌの日常感覚の一端を感じとることができる。
 すくなくとも、メトロの切符とかワインのラベルを旅のノートに張りつけて楽しむ人には無類におもしろい。

 日常生活で使われる言葉には原語が付記され、一部の言葉には歴史的な由来の説明もあるから、フランス語ないしフランス人の生活に関心のある人には興味深く読める。
 四半世紀以上前に書かれたから、その後の世情は反映していない。たとえば、世界で唯一普及したビデオテックスシステムのテレテル、そしてその端末機のミニテルには当然ながら言及されていない。また、貨幣単位をはじめ、今はむかしの「雑学」もある。

 だから、21世紀に初めてパリを訪れる短期旅行者向けのガイドブックとは言いがたい。しかし、パリを再訪する人、パリの生活の一端にふれたい人には、一読、再読する価値は今もってじゅうぶんにある。人を描かず、人をとりまく環境を綴って、見事にパリ人の生活を浮き彫りにしているからだ。

 本書は、後に文庫にはいったが、単行本に豊富に収録されていた写真、図版が小さくなってしまった。また、注釈をはじめとするノート感覚のレイアウトが失われ、単行本のときの妙味が消えてしまった。惜しい。

□玉村豊男『PARIS パリ 旅の雑学ノート カフェ/舗道/メトロ』(ダイヤモンド社、1977。後に新潮文庫、1983。後に中公文庫、2009)、『PARIS パリ 旅の雑学2冊目 レストラン/ホテル/ショッピング』(ダイヤモンド社、1977。新潮文庫、1983)
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【映画談義】『蝶の舌』

2010年03月25日 | □映画
 1936年、冬も終りに近いガリシア地方の小さな村。喘息のため遅れて1年生となった8歳の少年モンチョは、初登校の日、びびって漏らし、級友から囃したてられて教室から自宅へ逃げ帰った。心やさしいグレゴリオ先生は、自宅を訪れて詫びた。
 以来、少年を慈しみつつ導き、休日に教室の外へ連れ出して昆虫採集したりする。自然の驚異を教える。
 蝶にはゼンマイのような舌があるんだよ。今は隠れていて見えないけれど、蜜を吸う時に巻いていた舌を伸ばすんだ。顕微鏡を注文したから近いうちに見ることができるんだよ。オーストリラリアにきれいな鳥がいてね、ティロノリンコと言うんだよ・・・・。
 これを徳として、仕立て屋の父親は、貧しい教師のために服を無料で仕立ててあげるのだった。
 内戦の嵐が近づいていた。モンチョの父親は人民戦線派、敬虔なカソリックの母親はフランコ派だった。
 町ではファランヘ党員がヘゲモニーをにぎった。母親は意気消沈した父親を叱咤して党員証や機関誌を焼く。
 逮捕された人民戦線派の面々がいずこへともなく護送される朝。
 トラックへ連れ込まれた面々には、モンチョの兄がともに楽団を組んだ音楽家たちもいた。母親は、気の進まない父親や子どもたちを厳しく叱りつけ、周囲の町民たちとともに罵倒させる。父親は顔を歪めながら、兄は涙を流しながら付和雷同する。「アカ、不信心者」
 牢獄から最後に出てきたのは、つい先頃定年退職したばかりのグレゴリオ先生だった。
 衝撃の一瞬。
 それまで凝固したように沈黙していたモンチョが急に罵りはじめる。悪ガキに混じって、走り出したトラックを追いかけつつ石を投げつける。だが、悪罵はいつのまにか変わっていた。「ティロノリンコ、蝶の舌」・・・・

 テンポのゆっくりした、のどかな映画。だが、それは表面的なものであって、画面の背後には時代の危険な軍靴の音がだんだんと高まっているのだ。「軍隊の近づく音や秋風裡」(中村草田男)・・・・そして、クライマックス。
 最後の数分間、ほとんど表情をかえない少年の、急激な変貌はみる者の胸をグサリと突き刺す。
 8歳の少年は、人生の現実というものを知ったのである。愛や友情や自由の高貴さ、貧富の格差、怯懦と自恃、そして人が人を裏切る陋劣さ・・・・。

 マヌエル・リバス原作。ホセ・ルイス・クエルダ監督。フェルナンド・フェルナン・ゴメス、マヌエル・ロサノ、ウシア・ブランコ、ほか出演。

□『蝶の舌』(スペイン、1999)
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書評:『住まなきゃわからないドイツ』

2010年03月24日 | ノンフィクション
 1週間や2週間訪れただけでは、その国はわからない。著者は、様子が少しわかってくるのに3年間かかった、という。
 本書は、NHKに入局して各国を転々とした後、フリーのジャーナリストとなって滞独6年間の著者が「大所高所から見たドイツではなく、地面の上を歩きながら、この国のあまり知られていない面を観察したスケッチ」である。著者自身の手にかかるカット、というよりも漫画が随所に挿入されていて楽しい。

 たとえば、書店に発注すると、翌日の午後には届く、本好きにはこたえられない合理的なシステム。日本でAmazon.comの日本版サイトが開店したのは2000年で、ビーケーワンの前身もほぼ同時期にスタートしているから、ドイツにくらべると一歩遅れている。
 あるいは、地下鉄(Uバーン)や電車(Sバーン)の駅にはたいていエレベータがあり、車いすの人でも気軽に利用できるバリアフリーな環境。日本で「交通バリアフリー法」(高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)が施行されたのは、2000年だから、これまた一歩遅れている。
 または、民間リサイクリングの会社デュアーレス・ジュステーム(DSD)社の効果(1995年には空き箱・空瓶の79%が同社により回収され、66%が資源に再利用にまわされた)。日本では・・・・、いや、比較する元気は、もうない。
 サラリーマンは年間6週間の休暇を取得できるし、大部分の会社では時間外労働に対して振替休があるから、年間7週間を超える休暇が取得できる、しかも完全に取得できるときけば、わが日本の同胞はため息をつくにちがいない。

 もちろん、光の部分があれば影の部分がある。たとえば、営業時間がすぎればなじみの客の目の前でもピシャリと扉をとざす。非情といえば非情な割りきり方で、ここまでやらないと合理性は保てない、ということだろう。
 レストランで料理や接客に不満があったら、1円相当の1ペニヒをチップとすることで、不満を意志表示すればよい、といった笑わせる話も載っている。

 入浴好き、というドイツ人の意外な側面が紹介されている。
 ミュンヘンのミュラー公衆浴場(フォルクスバート)は、白い時計塔をもつ豪壮な建物で、正面玄関の壁には重厚な人物の彫刻、建物の随所にアール・ヌーボーの装飾があり、一見教会か美術館のおもむきである。、サウナと大浴場にも彫刻多数だから、湯浴みながら鑑賞できる。1901年建造、1992年に大改造。曜日によって男性の日、女性の日が決まっている。混浴の日まであるそうな。じつに論理的、ドイツ的だ。
 宿やアパートの底の浅い湯船に不満がたまったら、ここで心ゆくまで汗を流すのだ。

□熊谷徹『住まなきゃわからないドイツ』(新潮社、1997。後に新潮文庫、2001)
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